奈々の これが私の生きる道!

映画や読書のお話、日々のあれこれを気ままに綴っています

漫画「快傑ハリマオ」石ノ森章太郎

2012-08-30 17:43:34 | 読書

あれは、半年くらい前だったでしょうか?
石ノ森章太郎さんの「快傑ハリマオ」を古本屋さんで見つけたのは。
その少し前に、親しくさせていただいている風こぞうさんが、この漫画の記事を書いていらしたのです。
それで気になって、手に取り、パラパラめくってみたんです。
買おうかな?
どうしようかな?
上下2巻で、一冊1600円が350円ですので、合わせて700円です。
昭和30年代の漫画は、再出版のものでも、結構高くて、なかなか手が出せない場合が多いのです。

だから、とてもリーズナブルだなと思いました。
風こぞうさんがご紹介されるご本ですから、ストーリーも面白いに違いありません。
ですけど、風こぞうさんはブログで沢山、漫画のご紹介をされていらっしゃるのです。
そのご紹介された漫画を、古本屋さんで偶然見つけたからと言って、全部買っていたら、いくらお金があっても足りなくなります。

なので、この漫画は見なかった事にしようと、本棚にそっと返し、その時は何も買わずにそのまま古本屋さんをあとにしたのです。(苦笑)

でも、完全に忘れようとしていた訳ではなく、二、三ヶ月にいっぺん、その古本屋さんに行くたびに、まだ売れ残ってるなと確認していたのです。

そう、その漫画はなかなか売れなかったのです。

これは最近、気づいたのですが、手塚治虫先生や横山光輝さんや石ノ森章太郎さんなど、かつての大御所と言われた方の名作もなかなか売れずに、いつまでも店頭に並んでいる事が多くなりました。
今の若い人の中には、漫画の神様と呼ばれた手塚治虫先生すら知らない人がいるらしいです。
この現実は、手塚先生を敬愛している私には嘆かわしいとしか言いようがありません。
温故知新という言葉もありますので、若い世代の方にも、ぜひ昔の名作にふれてほしいものです。

ところで、少し前に、再びこの漫画の話題を、風こぞうさんと空飛ぶアカエイさんがしていたのです。
風こぞうさんが「快傑ハリマオ」を重複して持っているので、空飛ぶアカエイさんに譲ろうかと、お二人で文章のやり取りをされていらしたのです。
その清らかで美しいお二人の友情に、私は感激して、涙をこぼしてしまったのです。
その時、ふとこの漫画は手塚先生も関与していたのを思い出したのです。
「快傑ハリマオ」は、当初、少年マガジン側から、手塚先生にお話があったのですが、先生はすでに少年サンデーと専属契約していたため、少年マガジンには描けなかったらしいです。
そこで、最初のうちだけ、手塚先生が鉛筆で下書きをして、そのあとを石ノ森章太郎さんが描いて仕上げていたとか。
手塚先生が関与した漫画だったら買うしかありません。

だけど、まだ古本屋さんにあるかしら?

勇んで、古本屋さんに行ったら、まだ売れずに残っていました!

坊や(快傑ハリマオ)、半年以上も売れずにいたのは私に買ってほしいためだったのね?(涙)

風こぞうさんにも、早速、買った事をご報告し、名作なので大切に保管するようにという有り難いお言葉までいただきました。

風こぞうさんに誉められちゃったわ!

私、うれしい♪

ところが、なんて事でしょう。
お店では気づかなかったのですが、家でご本をめくってみたら、最初のページに落書きがしてあったのを発見しちゃったのです!
しかも文字なのか絵なのか、まったくわからない大きな落書き。

文字だとすると、かなりの下手くそです。(笑)

ああ、なんて事なの?

もしかしたら、半年以上も誰も買わなかったのは落書きがしてあったからかも?

これじゃ、大切に保管する気にもなれやしない…

風こぞうさんには悪いけど、一度読んだら、ごみ箱行きね。

いいえ、読まずにこのまま捨てちゃおうかしら?(苦笑)

そう思って、無造作に部屋の片すみに置いたままにしていたのです。

だけど、ある日、何気なくその落書きを見ていたら、石ノ森章太郎と書いてあるように見えたのです。

はっ!もしかしたら、この漫画は、石ノ森章太郎さんのサイン本では?

でも、石ノ森章太郎さんて、すでに亡くなっていますよね。

亡くなられたあとに出版されていたら、当然、サイン本ではない事になります。

そこで、出版された日付を見ると、1995年6月25日と書いてありました。

石ノ森章太郎さんは1998年にお亡くなりになっていますので、本物のサイン本に間違いありません!

そう思うと、とても達筆で味わい深いサインに見えなくも。(苦笑)

あの世の石ノ森章太郎さん、こんな下手くそな落書き見た事ないと言って、ごめんなさい!

絶対、ごみ箱には捨てたりしません。

家宝として、子々孫々に伝えていきます~!


わ~!すごく得しちゃったわ!

風こぞうさんも空飛ぶアカエイさんも、びっくりして、うらやましがるに違いないわ♪
(なんて、げんきんなのかしら?私って)

でも、そうなると、気になるのが、このサイン本のお値段です。(笑)

本当は一体、いくらするものなんでしょう?
石ノ森章太郎さんはすでに亡くなっていますので、かなりの高値がつきそうな気がします。

そこで、漫画史研究家の風こぞうさんと空飛ぶアカエイさんに鑑定してほしいのです。

きっと、お二人ともテレビ番組「開運何でも鑑定団」の中島誠之助さんのように「いいお仕事してますねぇ」と言って、高値をつけて下さると信じています。

風こぞうさん、空飛ぶアカエイさん、鑑定どうかよろしくお願いします!


それではお二人が鑑定価格を思案している間に、感想を述べさせていただきますね♪

この漫画は、簡単に説明しますと、東南アジアを舞台に、現地住民を苦しめる悪人達を、日本人のハリマオが大活躍して、こらしめるストーリーです。
それに、拳銃の名手、太郎少年や、タドン小僧、ドンゴロスの松、太郎少年の姉のれい子もハリマオの味方として、重要な役割を担っています。

ところで、私がこの漫画を読んで、疑問に思ったのは、ハリマオを慕う太郎少年の登場場面が非常に多いという事です。

確かにハリマオはかっこよくて、最終的に事件を解決するのも彼なのですが、太郎少年の活躍ぶりはハリマオの比ではないのです。

そして、あともう一歩というところで、いつも窮地に陥り、ハリマオに助けられて、事件が解決するのが殆どなのです。

太郎少年だって、あれほど頑張ってるんだもの。
ハリマオの助けを借りなくても、一度くらいは悪人に勝ってもいいのでは?と思いたくなってしまいます。

私の、この疑問に石ノ森章太郎さんは後書きで、こう答えて下さっていました。

石ノ森章太郎さんは本当は小説家か映画監督になりたくて、「快傑ハリマオ」を描いていた頃は、漫画家という仕事を踏み台くらいにしか考えていなかったそうです。
だけど、何をやっても思わしくなく、計画通りに事が進んでいなくて、とっても悩んでいらしたとか。
そんな時に、「快傑ハリマオ」の仕事が舞い込んで来たそうです。
太郎少年のあと一歩のところで、いつも及ばないのは、石ノ森章太郎さんの悩みや焦燥感をそのまま現したものだったのでしょうね。

でも、太郎少年はそれでも何度でも悪に挑んでいくのです。


この漫画が名作たりえるのは、若い人に有りがちな、自分が抱いていた夢や憧れにつまずきそうになりながらも、決して諦めずに、何度でも果敢に挑戦していく太郎少年の姿にあるのだと私には思えました。



風こぞうさん、空飛ぶアカエイさん、無理なお願いをしてごめんなさい。
鑑定価格の見当がつかなければ、感想だけでもお願いしますね。

漫画「宇宙虫」水木しげる

2012-08-25 20:06:57 | 読書
この漫画は、小説家の三島由紀夫が大絶賛していた事で、知る人ぞ知る有名な作品らしいです。

それでは、まず私が初めて読んだ時のお話から。

私が小さい頃、日本中がUFOブームで大騒ぎしていました。
テレビや、雑誌で、よくUFOの特集をやっていて、好奇心旺盛だった私は興味津々ドキドキしながら読んだり、観たものでした。
そのなかで、私がもっとも覚えているのは、アメリカで突然、行方不明になり、数週間から数ヶ月後に、記憶喪失で発見された人が続出したという出来事です。
その人達の治療にあたるために、催眠術をかけて、過去を思い出させる方法が取られたそうですが、そうした人の中に、宇宙人にさらわれ、宇宙に連れ出されて、生体実験をされた後、記憶を消されて、地球に帰されたと喋った人が何人もいたらしいのです。

また、UFOに乗って、地球にやって来た宇宙人は巧妙に地球人に化けて、地球を調査している。
もしかしたら、あなたの隣りの人や友達も宇宙人かも知れないなどと書いてあったのです。

何でも、すぐに信じる私は、こういうお話を読んで、いつかは自分も同じ目に会うかも知れないと、ブルブル震えながら、暮らしていたのです。(苦笑)

そんな折り、UFO人気にあやかって、UFOというカップ焼きそばまで登場し、UFO熱は過熱する一方でした。


ところが、それから二年後、そのUFO人気に、さらに拍車をかける歌が発売されたのです!

それはピンクレディの、「UFO」で、女の子が、人間に化けた宇宙人を好きになるという歌詞でした。


この歌は大ヒットして、私も学校の教壇に上がり、ピンクレディの物まねをして、誰が一番上手かと競ったり、家ではお風呂上がりに下着姿で妹とよく振り付けしながら歌っていました。(笑)

しかし、私はよくこの歌の物まねをしていたとは言え、レコード大賞を取った時は正直言って、びっくりしちゃいました!

世間でも、レコード大賞まで貰える歌なの?と、多くの人が首をひねりました。

私も、レコード大賞を取る歌は、もっと心にしみる素晴らしい歌詞でないといけないのではと、真剣に思っていました。(笑)

そうした中、世間で、いろんな噂が飛び交いました。

そのなかで、私が一番注目したのはUFO研究家の意見です。

その人言わく、「これは間違いなく宇宙人の陰謀だ。
宇宙人は、私達人間をマインド・コントロールして、少しずつ侵略を始めているのだ。
この歌が、大ヒットし、レコード大賞を取ったのは、そのためなのだ」と、まことしやかに解釈したのです。


そんな時に、私は水木しげるさんが昔、描いた「宇宙虫」を読んじゃたんです。(笑)
だから、これは有り得ない話ではないなと、素直に信じたのです。


この漫画は、月に行ったアメリカの宇宙飛行士が地球に帰還した時、賢い宇宙虫の卵が付着していて、それが回り巡って、日本の少年の爪のすき間に潜入し、やがて卵がかえって、驚異的な進歩を遂げて、月に戻っていくまでを描いています。

文章にすると、これだけのお話なんですが、私が子供の頃、宇宙から来る生物は「ウルトラマン」に登場する宇宙人や怪獣を始め、ほとんど地球を侵略しに来ていたので、とても目新しく思えました。

それに、故郷の星に戻るというのが泣かせますよね?

あなたも故郷は母親と同じくらい有り難いものだと思いませんか?

私の亡くなった叔母さんは死ぬ前に、一目でいいから故郷の姿を見たいと言って、ご主人様やお子さん達に連れられて帰郷した事がありました。

また、私の一番末の、県外に嫁いでいる妹も、夫が先に死んだら、故郷に帰ってくると言っています。

実はですね、ここだけの話しなんですけど(ひそひそ)、私の妹は夫に直接そう言ったらしいのですよ。
すると、妹の夫は、「おれと同じ墓に入ってくれるんじゃないのか?」と涙声で悲しそうに言ったらしいのです。
ところが、美人で人一倍気の強い私の妹は敢然とこう言い放ったとか。

「あなたは、私と一緒にいるだけでは飽きたらず、死んでまで私を独占したいと思ってるの?
生きている時に尽くせば、それで十分でしょ!」

言っておきますが、妹夫婦は決して仲が悪い訳ではなく、ごく普通の仲睦まじい夫婦だと断言しておきます♪


それでは最後に、この「宇宙虫」を絶賛していた三島由紀夫について。


三島由紀夫は、水木しげる、つげ義春、好美のぼるらの漫画を複数所蔵していて、かなりの漫画の読み手であったとか。
また赤塚不二夫さんの「もーれつア太郎」の大ファンで、連載していた少年週刊誌は毎号欠かさず、小学生の娘や息子と奪い合って読んでいたらしいです。



宇宙へもロマンを掻き立てずにはいられない「宇宙虫」、宜しければ、あなたも是非お読みになって下さいませ♪












 

サムシング

2012-08-24 20:12:21 | Weblog
いろんな人がいるよ。

枯れ山の賑わい同然に、何でも書いてほしいって人は、わんさかいるし。

でも、あなたは、そんな人達とは何かが違ってる。


どうして、そんなに私のコメントがほしいの?








 

 

映画「グラン・ブルー」リュック・ベッソン

2012-08-18 17:42:44 | 映画・テレビ
海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がある。

そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。


「郷愁」 
三好達治  詩集「測量船」より  



私の生まれ育ったところは海から遠く離れた内陸にあるため、子供の頃はめったに海に行く機会はありませんでした。
だから、私は海にある種の恐れと憧憬の念を持って、子供時代を過ごして来たのです。


そんな私が二十歳くらいの時に、海の近くに住んだ事がありました。
ある日、どうした訳か、とても悲しい気分に襲われ、無性に海が見たくなりました。
私は自転車のペダルを夢中でこいで、遠浅の砂浜に行き、ぺたんと座り込んで、膝を抱いたまま、何時間も打ち寄せる波を、じっと見つめ続けました。
私がそうしたのは悲しい時、辛い時に打ち寄せる波を見ていると、心が落ち着くという話を聞いた覚えがあったためかも知れません。

その理由を、リズミカルに絶え間無く打ち寄せる波の音が心臓の鼓動と合わさるからだと言う人もいれば、すべての生命は海から誕生していて、そうした遠い記憶から母親のような愛情を覚えるのだと言った人もいました。

そうして潮風に吹かれながら、何時間も打ち寄せる波を見ていた私は、だんだん波の音が大きくなり、海に飲み込まれて、海と一体になったような錯覚を覚えました。
そのあと、私は放心状態のまま、来た道をゆっくり自転車を押して、家路に帰り着きました。


私が初めて、この映画を観ようと思った時、三好達治の詩のようなイメージと、少しセンチメンタルな思い出を抱いていたのですが、この映画のジャックとエンゾは、母親の胎内のようなイメージ以上のものを、海に感じていたように思いました。

そして、この映画を通じて、男性は生きていくうえで、三つの大切なものがあるのではないかという考えが、ふっと浮かんできました。
だけど、三つをバランスよく大切にするのは、かなり困難で、それにそのうちの一つは女性が口出ししても構わないかも知れないけど、あとの二つは女性が決して侵してはならない厳粛にして神聖な領域ではないかと思わずにはいられませんでした。


ジャックとエンゾは幼い頃からの知り合いで、ともに素潜りで競い合い、素晴らしい記録を次々に塗り替えていました。
彼らは自分自身の限界に挑むのに互いを必要とし、記録に挑戦し続ける事で友情を育んでいるのです。
二人はまったく違うタイプで、ジャックは常に笑顔を絶やさず控えめで、エンゾは精力盛り盛り、だけどマザコンで、とってもユニークなタイプなのです。
この二人の友情、とても素晴らしいと思いました。

これが一つめの男性の大切なものです。

二つめはジャックに恋い焦がれる保険会社の調査員ジョアンナによってもたらされます。
初めはジョアンナの方がジャックに積極的だったのですが、次第にジャックの愛情が大きくなり、彼女が必要に思えてくるのです。

つまり、二つめは愛情です。

その結果、ジョアンナは妊娠して、ごく普通のありふれた家庭の夫になってほしいとジャックに懇願します。


あと残る最後の一つが、この映画がもっとも言いたかった事です。

それはジャックがジョアンナとセックスしたあと、ベッドを抜け出し、月光を浴びながらイルカとたわむれる幻想的な場面にも見る事が出来ます。


また、恋の不安に怯えるジョアンナは、ジャックに「何か話して」とねだり、こんな話をしてくれた事がありました。

「人魚と暮らすには、どうしたらいいか知ってる?

深い海に潜るんだ

深すぎてブルーは消え、青空も思い出となる

海底の静けさの中で、じっと沈黙して、人魚のために死んでもいいと決意すると、人魚達がその愛を確かめに近づいてくる

その愛が真実で、純粋で人魚の意に叶えば、僕を永遠に連れていく」



やがて、ジャックと共に素潜りの記録に挑み、闘いながら、友情を育んできたエンゾに悲劇が訪れ、ジャックは二者択一を迫られるのです。



ジャックのくだした判断とは?



私はその場面の神々しいまでの美しさに、とても敵わないと諦め、肩を震わせ、泣くしかありませんでした…
















 

漫画「河童の三平」水木しげる

2012-08-14 08:08:08 | 読書
夏休み特集として、こんなお話はいかがでしょうか。

まず、私がこの漫画を読んだきっかけをお話しますね。

毎日、暑い日が続いていますが、私が子供の頃は夏休みになると、よく川遊びをしたものでした。

男の子は泳いだり、高いところから飛び込んだり、お魚を釣ったり、器用な子は手で捕まえたりして。
一方、私やほかの女の子は川の中に足だけつかって、丸っこいすべすべした石を川底から拾うのを楽しみにしていました。
でも、川遊びをする時、私は母によくこんなふうに注意されていたのです。
川の深いところには、絶対行かないようにって。
なぜなら、そこには河童がいて、足を引っ張って、溺れさせ、お尻の穴に手を突っ込んで、肝を取られるからと言われていたのです。
だから、私は河童はいると信じていて、絶対、深いところに近寄ったりはしませんでした。

でも、河童を信じていたのは私だけでなく、その頃はどの子も河童の存在を疑っていなかったのです。

ある男の子は、こんなふうに自慢げに私にしゃべった事がありました。
「河童は相撲が強く、大好物のキュウリを探しに陸にあがる事があり、もし相撲をとらないかと言われたら、お辞儀をするように頼めばいいんだ。
そうすると、頭のてっぺんにある水がこぼれて、すごく弱くなるので簡単に勝てるよ」

だけど、そうするうちに河童なんていないんだと言う男の子が現れたのです。

その男の子は、河童なんて大人が作った嘘だと言うんです。
そして、それを信じるなんてバカバカしいとまで。

それを聞かされた私は猛反発しました。
私のお母さんが嘘をつくはずがない。
だって、テレビをつければ、黄桜という日本酒のコマーシャルに河童の親子が出てるし、うちのお母さんは、「嘘つきは泥棒の始まりだ」って、いつも言ってるもの。


すると、その男の子は、私に
「だったら、河童を見た事あるのかよ」
と言うんです。
そこで正直に「見てない」と答えると、「見た事ないのに、どうしていると思えるの」と、いじめるんです。


私のお母さんは嘘つきなんかじゃない!
河童はいるに決まってる!

だけど、そう思ってはみたものの、私の周りで実際に河童を見た人は誰一人いなかったのです。

それで、私もだんだん不安になってきたのですが、ある日、テレビを見てたら、河童と、当時、注目を集めていた幻の生き物ツチノコの特集番組をやっていたんです。

その番組によると、河童は歴史を辿れば、日本書記に、河伯という名前で登場するらしいのです。
日本書紀と言えば、古事記と並んで日本古来の歴史書ですよね。

何だか、ぐっと真実味が増してきたように私には思えました。

次に紹介されたのが、河童のミイラです。
河童の手と伝えられる、干からびた手があるらしく、佐賀県の伊万里市では河童そのもののミイラまであって、テレビにバッチリ映し出されたのです。

やっぱり、河童はいる!
お母さんは嘘つきなんかじゃなかった。(涙)

でも、河童のミイラと言われているものの中には動物の骨をいくつか繋ぎ合わせて作られたものもあり、断定は出来ないと結論づけた動物学者も出演していたのです。

そして河童はいないという立場のほかの出演者は、「子供が川の危険な場所に近寄らないように、昔の人が河童をこしらえたんだ」と説明したのです。

天狗も、子供が山の危ないところに近寄らないように同じ理由で作られたと。

そうして、昔は架空の恐い生き物を作って、言う事を聞かない子供を黙らせていたけれど、時代がくだるに連れ、身近な人に「怒られるぞ」と言って、子供をしつける場合が多くなったと解説したのです。

そういう訳で、河童は子供を仕付けるために、昔の親が作った想像上の生き物だという説もある事がわかったのです。


だったら、私のお母さんも川の深いところに近寄らせないために、河童がいると私を騙したの?

とすると、「嘘つきは泥棒の始まり」と、いつも言っていたお母さん自身が泥棒で、私はその泥棒の娘という事になっちゃう。(涙)

そんな時に、私は「河童の三平」という漫画を手にしたのです。
それを読んだ私は飛び上がらんばかりに嬉しくなり、もう一度、河童を信じる気持ちが蘇ってきたのです♪


私がこの漫画を読んで、まず感心したのは河童の体の構造でした。

河童は手足に水かきという泳ぎやすいものが付いているのですが、そのほかに肛門を三つ持っていて、屁のパワーですごい推進力で泳げるのだとか。
それにヒントを得て、三平は水泳大会で優勝するのです。

だけど、この漫画、屁に非常にこだわっていて、無臭老人という仙人も登場し、屁で音楽を奏でる事も出来ちゃうのです。


無臭老人は言います。

「屁の道は、厳しく辛く空しいものである」

「誰もが大きなオナラを出し、誰もが屁を楽しむ時代にしたい」

その言葉通り、無臭老人はしょっちゅうオナラばかりしているのです。
でも、その名の通り、まったく臭わないらしいです。(苦笑)

これを読んだ私は、これからの人間は機械文明に頼るのでなく、人体を進化させるべきではないかと思いました。
つまり、早く泳ぐ時は屁の威力を発揮すべく、肛門を三つにし、暑い日や寒い日は体の温度調節機能で体温を自在にしたり、陸地を早く移動する時は、四つ足になりチーターみたいに早いスピードで走れるようにするとかです。(笑)

冗談はさておき、「河童の三平」を読んで、そのほかに気づいたのは、死に神を登場させる事で、水木しげるさんは死生観を描きたかったのではないかという事です。

まず、死に神は三平のおじいちゃんをお迎えに来るのですが、三平が激しい抵抗をするにも関わらず、当のおじいちゃんは「もうそろそろお迎えが来る頃だと思っていた」と言って、素直に自分の死を受け入れるのです。

また、お花さんという幽霊の女性はタヌキがお墓にしたうんこを三平が掃除してくれたお礼に、毎日、三平の世話をするようになります。

三平自身は蝶々に生まれ変わって、タヌキに手で握りつぶされ死んでしまいますが、地獄から盗んできたカメに入った魂を吸い込んで生き返ります。

そうして一度は助かるのですが、崖から落ちて再び死に、河童とタヌキがお母さんの面倒を見ると約束したのに安心し、死に神とあの世へ旅立っていくのです。


だけど、この漫画を読んでいた最中はあまりにも面白くて気づかず、あとからじんわり死について、いろいろ考えてみたくなったのです。


私達は、死をどう受け止めたらよいのでしょうね?

心安らかに死ぬにはどうしたらよいのでしょうね?


この漫画を読んで、そういう事を思っちゃいました。


それではご先祖様とよいお盆をお過ごし下さいませね♪









 

映画「禁じられた遊び」ルネ・クレマン

2012-08-12 13:06:49 | 映画・テレビ
終戦の日が近づいてますので、この映画のお話をしてみようと思います。


この映画は、どんな正当な理由であれ、戦争で一番犠牲になるのは子供ではないかと考えさせられる作品です。

時は第二次世界大戦のさなか、主人公のポレットは5歳の女の子で、愛犬を追いかけるうちに、両親を機銃掃射でいっぺんに亡くしてしまいます。
ポレットの不幸は両親を亡くしたあと、彼女を優しく教え導く者がいなかった事ではないでしょうか。

昔、私はこんなお話をよく耳にしたものでした。

大切な親を亡くし、悲しんでいる少女に、
「お母さんはね、お星さまになったんだよ」と教えるお父さんのお話です。

「お母さんは、お前が泣いたり悲しんだりしないように、いつも遠い空の上から見守っているんだよ。
だから、安心おし
いつだって、お母さんはそばにいるから」

この言葉だけで、大切な親を亡くした子供はどれだけ勇気づけられ、励まされた事でしょう。

しかし、この世でもっとも彼女を愛していた両親を亡くし、ひとりぼっちになった5歳のポレットはどうしていいかわからないのです。
そうするうち、ミシェルという農家の少年と出会い、そこの家庭がポレットの面倒を見るようになるのです。
でも、それは善意とか優しさとは程遠く、いがみ合っている隣りの家が人命救助で表彰されていたのに対抗する為だったのです。

そうした理由で、ポレットはミシェルの家に住む事になり、ミシェルは彼女の可愛いらしさに触れ、愛しくてたまらなくなり、何でも願いを聞いてあげたくなるのです。

死んだ愛犬を、ひとりぼっちで暗い土の中に埋めるのは可哀相だと泣くポレットに、ほかの生き物も埋めて、お墓を作ろうとしたり。

この場面は純真な子供の気持ちがよく表現されていて、微笑ましくもあるのですが、だんだんエスカレートして、ミシェルは教会の祭壇にある十字架を盗もうとしたり、墓地の十字架まで盗んでしまうのです。

やがて、それはミシェルの父親にばれて、折檻され、十字架の在りかを言うように問い詰められるのですが、ミシェルはポレットが悲しむのを恐れ、体を叩かれながらも必死に隠し通すのです。
しかし、ある日、警察がミシェルの家にやって来て、ポレットを孤児院に連れて行こうとするのに驚き、十字架の在りかを教えるからポレットを引き取ってと父親に懇願するのです。
だけど、父親はわかったふりをして、ミシェルに十字架の場所を聞いたあとで、警察の書類にサインして、ポレットを引き渡すのです。

父親に裏切られたミシェルは十字架を隠していた水車小屋に行って、泣きながら十字架を壊したり、川に投げ捨ててしまいます。

そうして、修道女に遠い町に連れて行かれたポレットは、大勢の人々の声の中に「ミシェル!」という叫び声を聞き、ミシェルが恋してたまらなくなって、泣きながら雑踏の中に消えていくのです。

この映画を観て、私の胸に残ったのは、ミシェルとポレットの汚れのない子供の純真無垢な発想と、ポレットが泣きながら、ミシェルを探し求めるラストでした。


なぜ、ポレットの泣く姿が、これほど私の胸を打つのでしょう?

ただ、可哀相なだけでしょうか?

では、反対に子供の笑顔には、何を感じるでしょう?

そういう事を考えていたら、昨年の東日本大震災で、子供の笑顔に励まされたという親御さんが沢山いらしたのを思い出したのです。

家も財産もすべてなくし、親しい人も死んでしまった…

残されたのは借金と絶望と虚脱感だけだと嘆いた人が多かったそうです。


だけど、そんな中にあっても被災した子供達には笑顔があった。

その子供達の笑顔を見ているうちに、生きていく勇気が湧いてきたという大人の声を、私はテレビやラジオで何度も聞いたのです。

子供が笑顔でいられたのは状況をはっきり認識していない無知からきたものかも知れません。
だけど、それを見た大人は希望を見いだし、生きる勇気が湧いてきたと嬉しそうに力強く言ったのです。

子供の泣く姿は悲しいけれど、笑顔には人を元気にさせる何かがある。

だけど、子供の親は知っています。

子供の笑顔はいつまでも続かない事を。

子供達の未来を信じる純粋な気持ちを踏みにじってはならない。

そういう大人達が、子供の笑顔に勇気づけられたのではないでしょうか?


ポレットやミシェルの流した悲しい涙でなく、世界中の子供達が、いつまでも笑顔でいられるような、戦争でいがみ合う事のない平和な世界を、私達大人は築いていかなくてはいけないなと思わずにはいられませんでした。















 

映画「ふたり」大林宣彦

2012-08-05 23:53:17 | 映画・テレビ
あなたは、この映画を観て泣いたと、私に教えてくれました。

私は、男性のあなたが流したその涙を、とても美しく尊いと思いました。




この映画は大林宣彦監督の新・尾道三部作の第一作と言われているそうです。

そうした背景から尾道が舞台になっていて、尾道によくある曲がりくねった細い坂道や、歴史を感じさせる古い建造物がところどころに出てきます。

私はこの映画を観て、一心同体とも言える姉を失った妹の悲しみ、残された家族の思いをどう将来に繋いでいけばいいのか、取り留めもなく様々な想念がわきあがって、しばし考え込まずにはいられませんでした…


中学生の美加には、高校生の千津子という勉強もスポーツも何でも出来る家族思いの優しい姉がいて、ドジで、のろまな美加とはまるで正反対のタイプでした。

こんな優等生の姉を幼い頃から見てきた妹は、どんなふうに育つでしょう。

尊敬しながらも、自分はとても敵わないと自信をなくし、何事にも消極的に生きていきそうな気がします。

美加はまさに、そういうタイプの女の子で、それは美加がいつも発する自信のなさそうなかすれた声と、うつむき加減に歩く姿に現れています。

しかし、姉はそんな妹をさげずむでなく、いつも優しい眼差しで見守っていたのです。

そう、通学途中のあの日の朝までは。

あの日、千津子は忘れ物を取りに、家に引き返そうとして、動き出したトラックの下敷きになってしまうのです。
慌てて、助けを呼ぼうとした美加に千津子は「待って。行かないで。一緒にいて。
私はもうすぐ死ぬわ。聞いて。私が亡くなったら、お母さん、しばらく立ち直れないわ。
あんたが、しっかりしなけりゃ駄目。わかった?
あんたはね、私なんかより、ずっと才能のある子なのよ。
だから自信を持つの。
あんたの生き方に自信を持つの」
と言い残して亡くなるのです。

千津子は必死に痛みに耐えながら、家族の身を案じ、美加を勇気づけて死んでいくのです。

だけど、美加には荷が重すぎて、どうしていいかわからないのです。

そんな折り、美加の前に、亡くなったはずの千津子が姿を現します。


それは美加の空想なのか、千津子の霊なのか、はっきりとは語られていません。

だけど、千津子がいつも寄り添ってくれるのを素直に喜び、千津子の励ましで、勇気がわき、頑張れる美加なのです。
この場面の千津子の、美加に対するあたたかい言葉の数々はとても感動的です。

そうして、ピアノの発表会でも、マラソン大会でも、千津子は励まし続けるのです。

そのマラソン大会の日、両親も応援に駆けつけるのですが、美加がゴールする時、両親の目に一瞬、千津子の姿が見えるのです。

「あなた、今、あの子が千津子に見えたわ」と涙ながらに、父親に言う母親。

「ああ、千津子にそっくりだった。思い出してやれ。そんなふうに思い出すと、千津子も喜ぶだろう」
と答える父親。

死んでもなお我が子を思う両親の愛情の深さに、私は涙を抑えられませんでした…


やがて、美加は高校生になり、家族揃って、悲しみを乗り越え、亡くなった千津子の思い通りに幸福を取り戻すかに見えたのですが、父親の転勤をきっかけにして、家族崩壊の危機が訪れるのです。


まるで、想いを永遠につなぎ止める事は誰にも出来ないのだというふうに…


その頃、美加はまだ千津子にすがって生きていました。


でも、もうすぐしたら、千津子の年齢を追い越す時がやって来るのです。

いつまで、美加は千津子に頼り続けるのでしょう?


そして亡くなった千津子の想いはどうなるのでしょう?




この家族には、かつて千津子という美しく聡明で優しい長女がいました。


彼女はいつも家族みなが幸福であるように願っていました。

ところが、どんな運命に導かれたのか、志し半ばで、命を奪われてしまったのです。


肉体が滅んだら、彼女の想いも死んでしまうのでしょうか?

想いを永遠につなぎ止める事は不可能なのでしょうか?


映画を観終わったあと、私の胸に千津子の歌う「草の想い」が、いつまでも果てしなく聞こえて来るようでした…



「草の想い」作詞 大林宣彦

昔、人の心に 言葉ひとつ生まれて  

伝えてね この声を 草の想い

風に この手かざして 見えない森たずねて

あなたの歌を探して かくれんぼ

私の足音を聞いてね たしかな眉を見てね

そして今は言わないで

ひとり砂に眠れば ふたり露に夢見て

喜びと悲しみの花のうたげ…