風 雑記

建築とその周辺で感じたこと、思ったこと

晒場と三賢堂

2005-10-23 22:19:55 | インポート
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今日は用事がありクミコの実家島崎(熊本市西部)へ行きました。風設計室からは熊本城を廻り込み金峰山へ登り始めた両側を山に挟まれた谷のような地形のところです。登って行くと3、40年タイムスリップしたような昔懐かしい雰囲気になってきます。途中、以前クミコが熊本建築士会の「守りつづけたい、とっておきの場所」コンクールで最優秀賞になった「晒場」と言われる水場(写真)があります。その時の説明によると『島崎は平安・鎌倉時代に菊池氏の一族の島崎八郎の領地であったとの記述がある。古来清泉・湧水が多く、江戸時代には多くの別荘(茶室・庭園)が作られ、その多くが残存する地域である。熊本城から西へ3キロほどの距離にありながら、バス道路は井芹川の支流である麹川に沿って曲がりくねり、竹林が多く、さながら時代のエアポケットに入ったような気持になる。「さらしば」はこの場所で木綿をさらしていたことから由来した名前であり、晒場と書く、木綿を晒す他紙漉きも行われており、この一帯は紙屋村と呼ばれた。この場所が生活を支える重要な場所であったことがその名からも分かる。』と書いています。
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晒場から少し行った道路沿いの門を入ると左側に古いお茶屋と庭園があり、右側の石段を登ると三賢堂と呼ばれる円形の建物が建っています。70年程前に建てられたものですが、木立の中に佇む姿はモダンな印象を受けます。三賢堂の由来は案内板(写真)に書いてあります。戦前は小学生が沢山訪れていたそうですが、最近はお茶屋の庭(湧水)でホタル祭りが行われ親しまれているそうです。
三賢堂を下ると道沿いに「晒場」があり、市指定史蹟の「釣耕園」「叢桂園」そして「百梅園跡」へつながっています。
城下町熊本(肥後)の奥まった静かな別荘地の面影を今も残しているのが島崎です。


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4 コメント

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島崎は市の中心部に近いのに、ちょっとした(←ここ... (ppg)
2005-10-24 21:22:08
島崎は市の中心部に近いのに、ちょっとした(←ここがポイント)軽井沢のような風情のあるところですよね。

三賢堂には小学校の頃遠足で行ったなぁ、と思いを馳せていましたところ「戦前は小学生が沢山訪れていたそうです」の記述!
同じ昭和時代ですが、もうとっくに戦争は終わっていたと記憶しています。(爆)
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小学校の頃遠足で行かれたのですか。そうですか。 (sakata)
2005-10-24 22:54:57
小学校の頃遠足で行かれたのですか。そうですか。
最初はブログに「以前は小学生が沢山訪れていたそうですが」と書いたのですが、クミコから「それは戦前の話」と言われ書き直してしまいました。でもよく考えると何で戦前のことを知っているのか不思議ですね。
ブログ修正をしている時、背中越しで話していたのでお互い勘違いしたのかもしれません。
元島崎の住人に確認して報告させていただきます。
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あっ、そんな深い意味で書いたのでは有りません。 (ppg)
2005-10-25 00:54:02
あっ、そんな深い意味で書いたのでは有りません。
ただ懐かしく思っただけですから。
いずれにしても今では遠足なんかで訪れる小学生はいないということは事実でしょう。
40年前でも70年前でも大した違いはなく,昭和は遠くなりにけり,といった感じがします。
最近では遠くまで歩いていく本当の「遠足」も死語になりつつあるようです。
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島崎はなかなか不思議なところです。 (クミン)
2005-10-25 09:56:48
島崎はなかなか不思議なところです。
三賢堂なんかは横溝正史の映画ロケができそうですよ~(汗)。
それにしても、街っ子のppgさんがここまで遠足にこられたとはびっくりですが、新市街からも意外に近い、って事ですね。
校長先生が自分の子供時代を思い出して、行きたくなられたのかもしれません♪
って事で、戦前・戦後論争を〆させていただきましょう。
・・・ほんと、いいですか(笑)?
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