2021年1月初めから、解体した部材は敷地内の仮作業場に並べて、そのまま再利用する材、繕いをして使う材、劣化が酷く新補材に交換する材を調べながら、
分別していきます。
柱、梁には多くの仕口や土壁の間渡し竹などの痕跡が残っているので、長さ、幅寸、痕跡位置と大きさを記録しました。
再利用できる部材も部分的な痛みや欠損があり、その部分を別の部材で繕い、目立つ部材は古色塗りを行いました。
2021年4月から移動した基礎上に建て方を始めました。
屋根下地→瓦葺き
古い目板瓦は選別した上で、瓦自体に穴を空け一枚ずつ銅線で固定、屋根葺き土で位置を調整しながら葺いていきました。
目板瓦は裏側に突起が無く、重ねていくだけなので屋根端部周辺瓦は漆喰で押さえ雨漏り対策とします。
目板瓦に妻部分の役物が無いので、漆喰押え(棒破風仕上)を行いました。
屋根瓦を葺き終わり屋根荷重が掛かってから、土壁の竹小舞を組みます。荒縄で縛り、荒壁を塗り(藁を縦に埋め込みながら)しばらく乾燥させます。
外部腰部分は元の縦羽目板(目板押え)仕上を行います。腰下は雨掛りなので、土壁保護の役目があります。
床の大引、根太を番号札に基づき元に位置に戻し、部材の劣化などで強度が足りない部分は新補材を添わせて補強しました。
徳富旧邸は内部が鼠漆喰でしたので、墨を混ぜる割合確認の塗り見本製作し、濃さを確認しました。
壁仕上げが終わり、建具を元に戻します。襖は下張り紙に昔の墨書や新聞などが貼られているので確認しました。
張り替えず、残した方が良いと判断した襖は、小屋裏に保管し、代わりの襖は新調しました。
明治期の旧邸は雨樋は無かったはずですが、近年になって雨樋が設置されています。L字の広縁のある和室部分は、雨戸をコーナーで回転させて開け閉めする
必要がありますが、コーナーに竪樋があるため回転させることが出来なくなっていました。
復旧工事では元の姿に戻すことにし、雨樋自体を無くし、外構に雨落ちを設けて、雨水排水桝を設置しました。昔の踏み石も元の位置に戻しました。
縁側の建具は元々木製雨戸でしたが、見学者用に嵌め殺しの木製ガラス戸に改修され、風雨にさらされ木製ガラス戸が腐朽してました。
今回、見学用と空気の入れ替えも必要なため、引き違いの木製ガラス戸を新調しました。
2020年4月から2022年3月の2年をかけて、徳富旧邸の地震復旧工事は完了しました。
解体調査では棟札は見つかりませんでしたが、今回の復旧工事は将来の改修の為、復旧工事の棟札を小屋裏に設置しました。
復旧工事の工事監理を通して感じたことは、揚屋曳家で行うのと解体修理で行う事にはメリットもデメリットもある事です。
古い建物の木構造痕跡をそのまま残すには揚屋曳家する方が良いと思います。
ただ徳富旧邸が永い時間を経る過程で、暮らしの中で必要になった改修や自然災害で、建物自体が弱り切り悲鳴を上げているように思いました。
今回、解体修理できたことで傷んだ部分は全て改善されました。
左手前が明治天皇行在所移築部、右奥が大江義塾として使われた和室 大江義塾として使われた部分
和室(9)から南庭を見る 2階の和室からの眺め
徳富旧邸の復旧工事では熟練の大工さん(熊本城に永く携わっている)や熟練の左官さんの技術を見ることが出来、とても勉強になりました。
訪れる人達が徳富蘇峰・蘆花の歴史や足跡に触れ、歴史の証である徳富旧邸が永く親しまれることに関われて良かったです。
災害調査、調査図作成から6年かかりました。文化財の復旧工事は時間と技術とお金が必要で、とても難しいと言うのが感想です。