風 雑記

建築とその周辺で感じたこと、思ったこと

高島野十郎 没後40年展

2016-09-05 17:33:23 | 日記

 

9月3日(土)台風12号が九州に接近する中、家内に誘われ九州芸文館の「高島野十郎没後40年展」を見に行きました。野十郎と聞いてつい炎と蛾の作家と思ってしまい、最後まで見終わってもそれらしき絵は無く、どうしてだろうと思っていると、それは違う作家だと教えられました。その程度の知識で恥ずかしい限りです。

帰ってから炎と蛾を描いたのは速水御舟の「炎舞」であること、思っていた絵がなくがっかりしたかとかと言えばまったく逆でした。一点一点引き込まれるものがあり、風景画や静物画を見ていると描かれた絵を通してその周辺の風景や部屋の雰囲気まで伝わってくるのです。絵の中の空気や風、匂いまでも伝わってくるような感動を初めて味わいました。

描かれた風景、静物の写実画、繰り返し描かれる蝋燭の炎、月。初期の画にゴッホやミレーの影響を受けたものもありますが、次第に作家独自の写実画になり、リアリティと共に精神性の高さが伝わって来ました。

高島野十郎は久留米の醸造家の家に生まれ、帝国大学農学部水産学科を首席で卒業した後、独学で絵を学び、画壇とは一切関わらず生涯独身を通し描き続けた孤高の作家であり、亡くなった後に脚光を浴びています。大学時代の魚のスケッチも細かい寸法まで英語で描かれて研究者としての視点も絵に表れている気がしました。

特に驚いた絵は太陽を描いていることです。光り輝く太陽を直視することは出来ないのですが、その太陽の光線を描こうとしていることに仏心厚かった作家の精神性が強く感じられました。

Wikipediaに『野十郎は仏心厚く、臨済宗から真言宗に親しみ、空海の「秘密曼陀羅十住心論」を座右の銘とていたこと。枕元にあった遺稿「ノート」によると、「生まれたときから散々に染め込まれた思想や習慣を洗ひ落とせば落とす程写実は深くなる。写実の遂及とは何もかも洗ひ落として生まれる前の裸になる事、その事である」と深い精神性を湛えた独特の写実観を示している。「花も散り世はこともなくひたすらにたゞあかあかと陽は照りてあり」と「ノート」最終頁に綴られていた』とありました。

             

九州芸文館は隈健吾氏の設計であることはスマホで調べて解りました。複雑な折れ屋根の建物で、外壁の不規則な御影石パネルやスチールメッシュの壁面緑化など独特な表層表現がされています。会場の入り口付近は素っ気なく、内部は屋根形状をそのまま表したような空間に可動パネルで区画し、白中心のシンプルな内装になっていました。

 

ペアガラスのストラクチャルシーリングで張り付けたシンプルな納まりはちょっと「目からうろこ」 !

   

別棟の曲線による建物は?? 目立たない構内サインは?? チョットもやもや。

   

高島野十郎展は熊本地震後一番の感動を与えてくれて、心に響く豊かな時間でした。