風 雑記

建築とその周辺で感じたこと、思ったこと

ヴォーリズ建築 佐藤久勝

2018-02-04 14:25:26 | 日記

モード・パウラス記念資料館

以前のブログにも書いていますが、ヴォーリズ建築を詳しく調べるきっかけは2006年慈愛園パウラス宣教師館の登録有形文化財の登録申請からです。ヴォーリズの名前は以前から知っていましたが理事の方がこの建物はヴォーリズ建築のはずだと言われたことから接点を調べ始めました。

九州学院 ブラウンチャペル

熊本には九州学院ブラウンチャペル、ルーテル学院本館(旧九州女学院)、ルーテル熊本教会(ヴォーリズ建築事務所時代の建物)の3つがありますが、戦前に手掛けた約1500棟の建物は日本全国から韓国(梨花女子大学)にまで広がっています。

「ヴォーリズの建築」山形政昭著、「近江の兄弟等」吉田悦蔵著などを読み、ヴォーリズ氏の人間的魅力と建築に関心が深まり10冊ほどの書籍を読みました。

2008年 東京で仕事をする機会があり月に2回通っていたので、汐留ミュージアムの「ウイリアム・メレル・ヴォーリズ展」を見、軽井沢の方へも足を運びました。

2011年1月 近江八幡、大阪の大丸心斎橋店を訪ねました。

 同年11月 ヴォーリズ建築文化全国ネットワーク東京大会に参加、明治学院大学礼拝堂と東芝山口記念館(旧朝吹邸)を見学、その時山形政昭教授にパウラス記念資料館の資料を見て頂きました。

2017年(昨年) 豊郷小学校、関西学院大学、神戸女学院、大阪教会、東華菜館、京都御幸町教会、同志社大学を見学。

ヴォーリズ建築はプロテスタントのキリスト教的生活の実践を元にしたヒューマニズムが基本にあり、「強」「用」「美」と使う人の健康や心の安息のための建築であることはどの建物からもその空間の中に居ると感じます。

しかし、実際に多くのヴォーリズ建築を見ていく中で、特に私の心に残る建物が幾つかあり、そのことが気になっていました。

2011年 大丸心斎橋店を見た時デザインの質とディテールの確かさに驚きと感動がありました。伝記の中でヴォーリズ氏が優秀なスタッフが心斎橋店を担当していて、完成前に亡くなりとても悲しんだことを読んでいましたので、実際建物見て本当に素晴らしい才能の持ち主だと感心しました。

そして、昨年9月近江八幡から大阪、神戸を訪問した時、大阪教会を外部から見て(葬儀中で内部見学不可)、関西学院大学を訪問、田淵院長のご案内で神戸女学院大学を少しだけ見学させてもらいました。有名な中庭は写真で見る以上に雰囲気と建物スケール感、ディテールデザインが素晴らしく、完成度の高さに驚きました。どうしてももう一度ゆっくり見たいと思い、12月の見学会に申込み再訪しました。大阪教会にも事前に連絡を取り見学しましたが、どちらの建物も予想以上に素晴らしく見応えがありました、ヴォーリズ展に関われたことで巡り会えた久しぶりに感動した建築です。(旅先では必ず建築を見て歩きますが、何度でも見たい建築に出会うことは少ないです)

日本基督教団 大阪教会

神戸女学院大学

これらの建築がヴォーリズ建築の中でも群を抜いている事が少し不思議な気がしていました。最初はヴォーリズ事務所の中に優秀なスタッフが数名居られたのかなと思っていましたが、早逝(1932年没 44才)された優秀なスタッフが佐藤久勝氏で神戸女学院も担当していたと知り、担当された建築を一粒社ヴォーリズ建築事務所の方に尋ねると、私の気になっていた建物はほとんど彼の担当建物でした。

1929~1933年の間に、東芝山口記念館(旧朝吹邸)、関西学院大学、大阪教会、大同生命本社ビル、大丸ビィラ、京都大丸店、東華菜館、神戸女学院、大丸心斎橋店のデザインを担当し、最後の二つの建物は1933年に彼が亡くなった一年後に完成しています。ヴォーリズ建築の評価(花とも言える)を高めた建築は佐藤久勝氏が担当したものでした。

これらの建物はヴォーリズという天才と佐藤久勝という建築の天才が出会ったことで生まれた傑作だと思います。佐藤久勝氏は滋賀県商業学校を卒業しヴォーリズ事務所に入社していますので、建築的な専門教育を受けておらず、ヴォーリズ事務所でヴォーリズ精神と建築を学んだ事になります。彼は天性の才能の持ち主だったのでしょう。吉田悦蔵氏は「立体芸術の天才」と言い、ヴォーリズ氏は「芸術的ドローイングと独創的デザイン」「最も才能に恵まれた、多芸多才の天才」と賞賛しています。

彼の最高傑作と言える大丸心斎橋店と神戸女学院はどちらもスケールの大きいプロジェクトで同時に設計監理が進行しています。ヴォーリズ事務所は残業や日曜仕事は禁止されていたそうですが、多くの仕事を完成させるにはスタッフは一度事務所を出てまた戻ってくることもあったと聞いています。佐藤久勝氏は寝る間も惜しんで心斎橋と神戸女学院の設計に全力で打ち込んでいたと思います。建築は完成してしまえば作り直しが出来ない訳で、力を尽くせば尽くすほど建築が魅力を放つ事を知っているからです。彼はこの二つの建物に全ての力を注ぎ込みたかったと思わずにいられません。命までも。勝手な想像ですが、建物全体がそう語り掛けてくる気がします。

佐藤久勝は1891生まれで村野藤吾も同年生まれです。同世代の二人が同時期に関西で仕事をしています。お互いに天才的な才能を持った同士として建築を通して感じ合うものがあったような気がしますが...