風 雑記

建築とその周辺で感じたこと、思ったこと

明治村  帝国ホテル

2010-11-05 21:48:49 | インポート

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11月3日は明治村に移築保存された帝国ホテルを見るため犬山へ行きました。小学5年の時数人の友達と岐阜市から犬山までサイクリングした記憶(おぼろげに)があります。遠かったことは覚えてますが、電車で40分結構な距離です。本当にこんなに遠くまで来たんだろうか、もしかしたら途中で引き返したのかな。(思い出せません)

朝9時にホテルを出て、名鉄で犬山へ、バスで20分、着いたのは10時半、帰りの17時の便には14時半のバス乗らなければ間に合いません。明治村は1丁目から5丁目の区分の中に60以上の建物があり、その内10棟は重要文化財です。一つ一つ見応えがあり、文化の日なので人出も多く、幾つかの建物でオカリナの演奏会も催されていました。一棟づつじっくり見ていたら、残り1時間しか無いのに気付き、その時点ではやっと半分見終えたところ、帝国ホテル(一番奥)にはまだ遠く、仕方なくそこから途中の建物は無視して走りました。

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どうにか30分程は見る時間が取れました。旧帝国ホテルの建物(フランクロイドライト設計)は建築設計者にとって大切な建物だと思います。ロサンゼルスに在るバーンズ邸と同時期の古代インカやマヤの影響を感じるデザインですが、シカゴのオークパークの住宅群と共通するプレリースタイルとも融合しているようで、空間的にも大谷石の細部のディテールが魅力的で、そのデザインの多彩さにフランクロイドライトは建築の天才だと改めて感じました。裏は廻ると切り取られたままの張りぼて状態、これにはガッカリしました。どうして全体を残せなかったのかと非常に残念に思いました。使われている状態で見たかったと思うのですが、1967年に解体されたのでその時はまだ15才で建築の「け」の字も知らず、生まれるのが少し遅かった訳です。(早く生まれても、建築設計を生業にしていたかは分かりませんが)

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実は時間が足りなくなった原因は荒木又右衛門邸(武田吾一設計)に惹きつけられ、内部見学ツアーに参加したためです。少し複雑な外観ですがとてもバランスが良く魅力的でした。(東から見た時はあまり気にならなかったのですが、南側からの外観にハッとするような魅力を感じました)荒木又右衛門は大実業家で長者番付に岩崎弥太郎などと並んで載っていたとの事、武田吾一が外国から帰国後設計依頼され、芦屋に別荘として建てたものです。阪神淡路大震災の時一部被害を受け、明治村に移築、ボランティアの人たちが協力して復元したとの事です。復元したいと思う建物だと思いました。

機会があれば見残した建物たちと帝国ホテルと荒木又右衛門邸にまた会いたいと思いながら、また5丁目から1丁目まで走りました。(いつも旅先でよく歩き、よく走っています)


名古屋から岐阜へ

2010-11-04 19:33:53 | インポート

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11/1、2日 水俣第一中学校エコ改修の先進事例見学に名古屋へ行きました。予定の時間まで時間があったので熱田神宮に寄り道、丁度多くの参列者が並ぶ儀式があり、何の儀式だろうと思っていましたら、儀式が終わって、別の場所に並んだ宮司さんと向かい合う人が前経団連会長、前トヨタ会長の奥田碩氏でした。この儀式はあのトヨタに関係するもの?かなと思いましたが、帰熊後インターネットを調べると午前11時「秋季講社大祭」とありますので恒例の儀式だったようです。

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真新しい社務所が出来ていましたが、見ると見事な桧の四面無節材が惜しげもなく使われています。以前熊本城本丸御殿に木曾から集められた桧四面無節材を見ましたが、6寸角程で一本数百万と言っていましたので、ここで使われている桧も大きいものは...とため息が出ました。木曾は地元とも言えるところですのでこれ位は当たり前なのかもしれませんが気になり神社の人に「全部木曾の桧ですか」と尋ねたところ「一部は国産ではない」とのこと、社務所なのでそれで十分だと思います。本殿建替えは全て木曾材を使ってほしいですからね。

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2日目の見学の後、他の方とは別れて岐阜市へ行きました。 この道は岐阜駅から徒歩10分、安良田町4~6丁目の通りで、小学2年から5年まで4年程暮らしていた場所です。大学生の時以来なので40年ぶりに訪れました。この通りに同級生が10人ほど居てとても仲良してくれました。40年の年月で変わってしまった建物も多いですが、数件古い民家も残っていて懐かしい雰囲気が残っています。花屋さんをしている友人に会い、仲の良かった友達と電話で話すことができました。

今回、この街で暮したことが私の建築設計に影響を与えていると改めて思いました。九州から来た少年にも兄弟のように親しく接してくれたのは岐阜と言う土地が持つ独特の文化だった気がします。その経験が地域や場所に強い親しみを感じさせるようです。父が色んな商売をし引越しを繰り返した事が役に立つとは思いませんでしたが、40年ぶり歩く安良田町はその事を教えてくれました。