風 雑記

建築とその周辺で感じたこと、思ったこと

PHP

2008-09-10 20:50:58 | インポート

Php 2002年本館、2003年屋内体育館を設計した「なみの高原やすらぎ交流館」がPHP表紙の見開きに掲載され、今日送られてきました。PHPは良く見かけているのですが、病院の待合室?、図書館?と何処で見かけたのかハッキリした記憶がありません。

PHPは「PEACE and HAPPINESS through PROSPERITY」の頭文字を取った月刊誌で「成功・繁栄を通した平和と幸せ」と読めば良いのでしょうか。特集「わたしの幸福論」では日野原重明、内田樹、CWニコル、小山内美江子、藤本義一、蜂飼耳、(対談北杜夫×齋藤由香の方々が執筆されています。

Php1 Php2 なみの高原やすらぎ交流館は旧波野村の少子化の為、廃校になった5つの小学校、分校の中の一つです。農村と都市の交流施設にコンバージョン(用途変更)をする計画があり、設計に当って「地元の絆の中心であった小学校の校舎を残してほしい」との要望と通年利用希望を出来るだけ叶えたいとOMソーラーの太陽熱空気集熱式ソーラーを提案しました。

旧校舎は30数年経ており、耐震補強も必要でした。コンクリートの庇は鉄筋が見えているところもあり、補修と桧方杖の補強(コンクリートを木で支える-チョット逆な感じですが)をし、屋上防水など既設改修を行い、南に食堂と広間、北に浴室と便所を鉄骨で増築しました。去年耐震偽装の影響で建築基準法が改正され増築時の構造判断が厳しくなりましたが、エキスパンションジョイント(建物と建物の間に地震で揺れて建物同士がぶつかり合い壊れないように隙間を作って繋ぐことです)で対応してますので面積の規制をクリアすれば、この方法は他の学校でも可能でしょう。

PHPにも書かれていますが、旧波野村(現阿蘇市)地区には宿泊施設があまりなく、この交流館が帰省時の宿泊や老人会利用など幅広い活用がされ、OMソーラーが役にたっていると聞くことが大変嬉しいですし、何度も雑誌や専門誌に紹介されることに改めて古い建物を長く使うことの大切さを感じます。


森の保育園 献堂式

2008-09-02 12:31:34 | インポート

01 02 8月31日(日)YMCA赤水保育園移転新築の献堂式がありました。敷地は阿蘇高原ゴルフクラブと阿蘇プリンスゴルフクラブに 隣接し、南側敷地境界は国立公園第3種特別地区になります。四方森に囲まれた「森の保育園」です。敷地面積も約2500坪と広く園児たちも伸び伸びと生活出来る環境にあります。

P1040980_2 P1040978赤水保育園は元々阿蘇市の公立保育園で、それをYMCAが委託運営していました。(他にも尾が石、永草保育園の2園もYMCAが委託運営しています)阿蘇市の中でもYMCAの運営する保育園は人気が高く、今回YMCAの私立保育園となり2倍近い90名に定員増になりました。とくに園児たちによる「赤水太鼓」は有名で、様々な行事や夏祭りの人気者です。私も聞くのは2度目ですが、保育園児とは思えない迫力と演奏です。お腹の底まで太鼓の響きが伝わってきます。以前の園は住宅地内で苦情もあり中々練習し辛かったそうですが、新園舎は心おきなく太鼓が叩ける環境です。

Photo 01_2 02_3  木造平屋建ての園舎はH型の平面をしています。南と北のウイングを中央の一時保育室が繋いでおり、南ウイングに2才から5才までの保育室が並び広い園庭に繋がっています。北ウイングは東に0、1才児室、西に遊戯室、中央が厨房などスタッフの部屋を配置しました。0、1才児保育室は他の保育室と分離し、静かな環境と専用園庭を持っています。内部は八角形に削られた丸太が支えていて、OMソーラーや夏の床下涼風取込ファン、雨水利用貯水タンクなどのパッシブソーラーが四季を通じ自給自足の室内環境を作り出し、子供達が年中遊び廻れるようにと願いを込めました。


東京建築散策

2008-09-01 22:22:56 | インポート

Photo Photo_2 一泊二日で設計打合せの慌しい日程でしたが、建築にどっぷり浸かれた東京行きでした。初日は羽田から松下電工の汐留ミュージアム「村野藤吾 建築とインテリア展」へ直行、直筆のスケッチや図面、船舶のインテリアや家具の展示など中々見れない展示物が多く、見応えのあるものでした。

その後、有楽町から日本生命ビル(村野藤吾設計)の横を通り、千代田線に乗り換え赤坂(今回の宿泊地)へ、丁度日生劇場の内部見学を問合せしていて、公演のない時に見学出来そうです。(見学のお願いをしてみると劇場部担当の方はご両親熊本出身とのこと、急に身近に感じると共に見学日の楽しみが増えました)

Photo_3 ホテルに荷物を置き赤坂の街をぶらぶら歩きながら 02 黒川紀章氏設計の国立新美術館へ、ここは以前東京大学生産技術研究所があり二・ニ六事件に関係のある歴史的建造物があった為JIAが保存要望書を出していたのですが、黒川氏と共同設計している設計事務所のトップがJIA会長であったことから、保存要望書を取り下げたと言うモヤモヤとした経緯があります。そのせいでしょうが残す必要があったの?と思うような保存された建物の一部が残っています。

うねるガラスのファサードとガラスの水平リブ、ほこりや掃除を気にするのはお節介な設計者の悪いクセです。内部は大きな吹抜けにレストランの逆円錐形のコンクリートが迫力があり、魅力的な空間です。気になるのはレストランに天井が無いこと、厨房排気は一度地下まで引き下ろし排出しているのでしょうか。それとも(マサカ)吹抜けに排気してる?またまたお節介です。

ウイーン美術館「静物画の秘密」展を見た後、3階に上がると連続セミナー「建築・都市・アートの視点から考える環境」の第1回目村上周三氏「文化と環境の持続可能性」が始まるところで飛び入りで入れてもらいました。環境には文化の評価も必要とのことで、世界12文明と言われているもので現存しないメソポタミアやインカなど7文明、現存するものにイスラム、中国、インド、ヨーロッパそして日本の5文明とのことで、日本が現存する5文明とは知りませんでした。認識不足とホント?なのとチョット疑心暗鬼です。

日本の地方に残る郷土文化を大切にすることと環境を良くすることを一緒に考える必要があるとの事ですが、もう日本各地で取組んでいることのように思います。会場から東京近郊の新興住宅地の文化はどう考えるのでしょうかと鋭い質問 「むずかしいところです」との答え、拡がる大都市周辺開発や都心再開発で既存文化がどんどん消滅している東京で地方文化と環境の大切さを語られるのに矛盾を感じました。

短期日程の時なるべく荷物は軽くしようと思うのですが、今回も東京に着いて数時間で4冊も本を買ってしまい、丁度良かったカバンはずっしり重くなりました。買った本の「私と日本建築」A・レーモンド著を読んでいるとF.L.ライトと帝国ホテル建設のため大正時代に来日、接した日本文化の特殊性-自然と一体となった空間や夏のお客に滝の掛け軸で涼感を演出しもてなす気遣い、最小限の構成で美を表現する文化、モダニズムそのものの文化が日本には昔から存在し、そのような文化を持つ国は世界中何処にも存在しないと語っています。そして80年前既に欧米化されつつある日本文化の衰退も予測し、無くなる前の日本に来れたことに彼自身大変感謝しています。日本文化が「世界の12文明」とA・レーモンドが言っているような内容に、本の重さが少し軽くなった気がしました。

カミナリと雨の中、東京ミッドタウン、赤坂サカスあたりもぶらぶら。