風 雑記

建築とその周辺で感じたこと、思ったこと

11月9日犬山

2012-11-14 18:18:12 | インポート

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帰りの飛行機までの間に犬山市へ行きました。一昨年「明治村」に行った時半分ほど見残したのでもう一度行きたいと思ったのですが、犬山駅からバスで20、30分の往復時間が必要なので、国宝の犬山城と如庵を見ることにしました。

犬山城は織田信長の叔父の織田与次郎信康が築城、1584年豊臣秀吉が12万の大群を率いて入城し、徳川家康と戦った小牧長久手合戦の舞台だそうです。日本で最も古く柱、梁の木組みは力強く四百数十年経ていても頑丈に見えました。階段はとても急で階段と言うよりハシゴに近いかもしれません。戦国時代重い鎧や武器を持ってどのように上り下りしたのでしょうか、縄手摺を付けていたのではないでしょうか。

天守閣からは木曽川、濃尾平野が一望でき、360度天気が良ければ相当先まで人の動きが確認できます。昔此処に豊臣秀吉が立っていたかと思うと不思議な気がします。

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犬山城から歩いて5分ほどに名鉄犬山ホテルの一角に「有楽園」(うらくえん)があります。織田信長の実弟の織田有楽斎が京都建仁寺正伝院に建てた茶室「如庵」が移築されています。如庵は京都から東京の三井家本宅に移し、大磯を経て昭和47年名鉄が犬山に移築しています。

散策していると日本庭園を研究されている年配の女性の方が一つ一つ建物についての由来や堀口捨巳、中村昌生氏がどのように関わっておられたかなど詳しく説明して頂き、とても参考になりました。

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元庵(げんあん)は有楽斎が大阪天満に建てた茶室を堀口先生が古図から復元された建物とのことで、三畳台目の奥に深い間取りと亭主床と言われる床構えが珍しいらしく、茶室には庭の腰掛で待ち、にじり口から入ります。しかし茶室の左側(写真)は襖で座敷と繋がっていて、待庵や如庵のようなどじられた空間とはまったく異なっています。武器を持たずに入るにじり口の意味が薄れることから、江戸期の平和な時代のつくりだろうと思いました。

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数奇屋の庭は門構えも大切らしく、そのような門を設えるかも重要とのこと、門には「真、行、草」があり、どの門から入るかで迎える方も訪れる方も違ってくるとのお話でした。写真の含翠門は由緒ある門の移築で、凸凹の欅の木目(ゼブラ模様)が貴重とのこと。(鑑定はできないかもとのこと)

園内は11月の平日のため、紅葉は綺麗に色づいていましたが人影はまばらでじっくり見ることができました。それにしても名鉄の明治村への援助や有楽苑を作り如庵を移築するなど、建築文化に対する見識と財力には大変感心しました。それが観光にも役立ってはいる訳ですが。


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