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僕の消灯時間まで

ブログの引越しをしました。
愛する方々へ、遺書のように。

憧れていたから

2012-11-22 18:02:33 | 日記
美術館に一人置いて行ってもらった。

彼等はデパートへ。
何よりの理解者だからこそ、そうしてくれたのだろう。

表現という仕事をすることになり、結構経つね。
言葉などを使用したり映像や音楽、デザインなどを手段としてるだけで、ここにあるものは全て表現だ。
時代や国境に左右されずに表現できたら、音楽も含めて、よく表現出来たということなんだろうと思う。
そして、こうして殿堂入りする。
流行っているから、有名だから見ておくという見聞に加えて、何を表現したかったのかをジックリと自分の人生の中での感情と照らし合わせて想像して見てみることが楽しいと思う。

僕の人生。
してきたコト、考えたコトがあるコト、感じたコトがあるコト、またはその背景。
絵が上手下手ではない。
理解というアンテナの拡げ方を、己のみに偏らず「想像」するコトがね、人と仲良くする秘訣なのかもしれないね。
だって昔からケンカすんのは男で、それを冷静に止めてる女性がいる。
かわらん。


見てください。
こんなにもたくさんの表現に、僕は囲まれている。


新婚旅行なのかな?
もっとゆっくり見たい日本人の女性が、彼にキレて泣いている。
それも人生。

逆もいらっしゃる。

価値観とは、人と同じかどうかが重要なのではない。
拡げ方を知らないのは困るけれども、全てが現段階の自分のそれで正しいと思ってしまったのでは、そこで成長は止まる。
人はそれを見抜くから、愛想をつかすのだろうね。
常に魅力的に見せたいのなら、何もかもを理解しようとしなくてはならないのかもしれない。
成長を望まなければいけないのだ。
どんな人ともお話をし、どんな人とも仲良くしていこうとする。

そこの根底には経験があり、経験の少し前に行動力がある。

芸術に対峙して、まず思ったコトはそういうことだった。


争いが見にくいこと、死の表現、希望、救い、見栄、日常の中の幸せや愛。
全部、それぞれの作者の中の一部で考え方、捉え方が先である。

理解と伝達は別な能力。

しかし、どちらにも努力がいる。
僕は努力が足りてなかった。

全ての仕事に同じことが言えよう。
とても素晴らしい時間でした。

そして、死ぬ前にもう一度。
もう少しチカラをつけたらまた来よう。

コメント (3)
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アフロディーテ

2012-11-22 11:46:04 | 日記
すげ!


やっと来れた。

やっと来れたなぁ。
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