素人、考古学・古生物学を学ぶ

人類の起源・進化・移動や太古の昔、日本に棲んでいたゾウ類にも関心があり、素人の目線で考えてみます。

絶滅した日本列島のゾウのはなし(Ⅱ) —消えたゾウたち、その謎を追う―(7)

2021年07月02日 16時27分52秒 | 絶滅した日本列島のゾウたち
絶滅した日本列島のゾウのはなし(Ⅱ)
—消えたゾウたち、その謎を追う―(7)
 



消えたステゴドンの謎を追う(その2)

 〈ステゴロフォドンについて〉
 冨田幸光国立科学博物館名誉研究員の解説によりますと、日本列島が「まだ、今の形の〈列島〉になっていなかった多島海時代の1800万年から1600万年前には、ステゴロフォドンというゾウがいて、時代が下るに従って小型化していった」、ということです。

 そこから先、日本のゾウはどうなったのか、と冨田幸光氏は話し合を以下のように続けています。1600万年前から600万年前までの1000万年間ほどゾウに限らず、日本列島における陸上生物の化石が発見されていないからだそうです。

 「とにかく化石記録がないのでそこはすっ飛ばしまして、600万年ぐらい前になるとツダンスキーゾウというのが見つかります。アジア大陸に当時いたでっかいゾウなんですがそれが日本に渡ってきている。渡ってきた時点では、大陸と日本がつながっていたのかもしれないんですが、その後、しばらくまた切り離されて交流がない状態が続きます。

 それで、何百万年かにわたって日本で独自に進化していくんです。ミエゾウ、ハチオウジゾウ、アケボノゾウという系列」が、それなんですが冨田氏は「ハチオウジゾウは2010年に(新種として)命名されたばかりです。(ハチオウジゾウを)原始的なアケボノゾウという位置づけで別種にする必要はないという説もあるんですが」、と語っています。

 ところで、冨田氏が1800万年前~1600万年前の日本列島島嶼化時代ないしは多島海(archipelago)時代に生息していたといわれるステゴロフォドンは、長鼻目類ステゴドン科の1属でステゴドンとともに分類学上はゾウ上科に位置づけられています。

 ステゴロフォドンは、臼歯の形態に特徴があります。臼歯の咀嚼面に瘤状咬頭が隆起し、横に並んでいます。そしてその中央に縦の正中溝のあるマストドン段階の臼歯(ロフォドント型臼歯といって、幅広いクラウンとヨークのようなエナメル紋章付)と,エレファス段階の屋根形の稜をもつ臼歯(ステゴドント型)との中間的な形態の臼歯をもつゾウであることも大きな特徴であると考えられます。

 もう一つ大切な特徴は、歯の解剖学的な説明によりますと、「歯の交換も垂直交換の二生歯性から水平交換の一生歯性への移行過程にある長鼻目類である」、とされています。

 ステゴロフォドンの化石は、日本も含めて東アジアおよび南アジアにその産出が限られており、中新世から更新世前期の地層から発見されています。ステゴロフォドンは、ステゴドンゾウの祖先と説明した古生物学者の一人が松本彦七郎博士です。松本は、1924年Prostegodonの属名を与えましたが、結局ステゴロフォドンとなったように聞き及んでいます。

 〈松本彦七郎とステゴドン研究再論➀〉
 今では大分古い話になりますが、1924(大正13)年11月20日発行の松本彦七郎博士の論文「日本産ステゴドンの種類(略報)」(『地質学雑誌第31巻合冊』:第373号、第374号)に少しばかり言及しておきましょう。

 この松本の論文については過去において「絶滅した日本列島のゾウのはなし(9)」(2020.12.02)でも扱ったことがあるのですが、再び触れて見ます。

 なお、松本は前掲論文の2か月前、1924年9月20日発行の『同誌』(第31巻)に「日本産化石象の種類(略報)」を発表しています。ここでは便宜上前者(11月)を「1924b」、後者(9月)を「1924a」として区別しておきます。

 松本は一貫してステゴドンとゾウを「属」で区分しており、「ステゴドンゾウ」という呼び方はしていません。それは「1924a」でも「1924b」でも一貫しています。

 松本(「1924b」)は、「本篇は著者の前報〈日本産化石象の種類(略報)〉と本篇の次に発表さるべき尚ほ一篇と共に三姉妹篇をなすべきものであり、この三篇を揃へて日本産化石長鼻類の略報だけを完成する予定である」、としています。

 その三姉妹篇とは『地質学雑誌』第31巻375号に発表されたもので、上記の「1924a」と「1924b」の二つと、及び「日本産マストドンの二新種(略報)」(1924(大正13)年12月20日)の併せて三篇を指すものと考え、これを本稿では以下、松本「1924c」として扱うことにします。



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