素人、考古学・古生物学を学ぶ

人類の起源・進化・移動や太古の昔、日本に棲んでいたゾウ類にも関心があり、素人の目線で考えてみます。

ナウマンゾウの絶滅原因を探る(9)中本博皓

2020年04月27日 11時37分32秒 | ナウマン象と日本列島

ナウマンゾウの絶滅原因を探る(9)

 

 絶滅したナウマンゾウのはなし(第一話)

 絶滅原因、一つは気候変動によるストレスか(その1)

 1)ナウマンゾウは、リス氷期に大陸と陸続きだった日本列島に渡来したものと推察されています。冨田・矢部(2014)らによりますと、「第四紀更新世の中頃(約100万年前)以降、寒冷な氷期と温暖な間氷期が交互に繰り返えされる時代となり、日本列島と大陸が陸続きになったり、また途切れたりを繰り返しました。それにともなって、異なる種類のゾウが大陸から日本列島に渡って来るようになり、その中でもっとも繁栄したのがナウマンゾウだった」(74頁)、と述べています。

 ナウマンゾウの絶滅年代は、専門家の間でも相当タイムラグがありますが、おそらく2万年前頃から1万5、6000年前頃、あるいは1万1000年前頃までには絶滅してしまったという見方が有力です。

 これまでに発掘されたナウマンゾウの化石から推測して、日本列島北から南まで、本当に全国津々浦々至る所から臼歯や切歯(牙)など多くの化石が発見されていますから、行動域といいますか広い生息域が存在していたことが分かります。

 これは単に憶測に過ぎませんが、野生ゾウの泳ぎが上手いのはよく知られていますから、もしナウマンゾウが津軽の海を越えていたなら、北は北海道渡島半島を北上して野幌丘陵か東へのルートで十勝平野の忠類にまで、生息域を広げていたように考えらえます。ナウマンゾウのマイグレーションのルートは一つではないと思いますので、化石産地にわずかな手掛かり求めて考察を重ねるしかないようです。

 また長野県の北部、黒姫山の麓に位置する野尻湖の湖底からも多くのナウマンゾウの化石が発掘されていることはよく知られていますが、相当寒冷な気候にも適応できたゾウだというのが専門家の間では通説になっています。

  2) 冨田・矢部らは、前掲書(2014)において「第四紀更新世の中期から後期は、くり返す氷期と間氷期の寒暖の差が大きくなり、ナウマンゾウはそれに合わせて日本列島を北へ南へと移動したものと考えられる」(82頁)と述べています。そのせいだと思うのですが、ナウマンゾウの化石は前にも述べましたように、日本列島津々浦々どこででも見つかっています。

 しかし、更新世末期、今からおよそ1万1700年前、昔も昔、大昔のことになりますが、専門家の間では、世界的規模でゾウを含む大型哺乳類の多くが絶滅したと考えられています。その時期、南北アメリカでも陸棲哺乳類の大量絶滅があったといわれています。とくに大型哺乳類の70%が絶滅しました(2014、108-109頁)が、絶滅の原因として、二つの見方があります。

 一つは、今から2万5000年前から1万6000年前頃のことですが、最後の氷期(最終氷期)のピークの後のことです。古気候激しい変動の時期がありました。たとえば急激に高温になったり、急激に寒冷化したりといった気候変動の影響に耐えられなくなったのでは、ということも考えられなくはないのですが、小動物に大量絶滅はなかったことなどから別な要因があったのではないか、といまも絶滅の研究は行われています。

 二つ目の見方としては、野尻湖の湖底に堆積しているナウマンゾウの化石から推察して、そこが野尻湖人(旧石器人)のキルサイト(狩り場あるいは狩猟解体遺跡)ではなかったか、と推測されているように、地球上には道具を作り、道具を使う人類が増加したことでゾウのような大型哺乳類が狩りつくされて絶滅したのではないのか、この二つ目の見方が最近多数派を占めているようです。



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