絶滅した日本列島の古代ゾウの
仲間たち(その2)
1.日本には凡そ2000万年前にもゾウの仲間がいた
(1)日本列島はどのように生まれたのか
(2)日本のいろんなところにステゴロフォドンゾウがいた
以上は前回掲載
(3)とにかく大昔のはなしです―ステゴロフォドンゾウ
1)輪島市で見つかったゾウの化石、実はステゴロフォドンだった
凡そ2000万年も大昔に生息していたゾウの仲間なんです。それが日本列島のいろんなところから、ゾウの仲間の化石が見つかっています。生息年代も化石が見つかった地層で判断されますから、発見した専門家によって、その年代が異なることもやむを得ないことだと思っています。
ステゴロフォドンゾウは、湊正雄監修の『〈目でみる〉日本列島のおいたち』(築地書館、1973)では、新第三期・中新世前期(1900万年前~1650万年前)の古生物の中で解説がなされています。それによりますと、「トウヨウゾウの一種で、長顎マストドンに属している」、と説明が付されていますが、どうも素人のわたしには納得できないのです。
わたしの頭の中には、トウヨウゾウは60万年ほど前に現れたステゴドン系のゾウで、日本列島には10年ばかり生息していたということが記憶されていますので、いきなり言われますと、頭を抱えてしまいます。しかし、ステゴドン系と言うところにアクセントを付けて和名のトウヨウゾウではなく、学名Stegodon orientalis で考えればなるほどと言うことになります。
もう大分昔になりますが、いまから87,8年前1935年のことですが、石川県輪島市で道路工事が行われていたとき、地域の住民がのり面*に出ていた上下の顎の臼歯を発見したことがきっかけで、研究が進められていました。輪島市は、この化石がステゴロフォドンゾウとは別種のゾウの仲間の化石として保管していました。
(注)文中*印下線部分:「のり」とは、堤防の法面(のりめん)の略語です。切土 や 盛土 により作られる人工的な 斜面 のことを言います。たとえば、堤防の上から見て「川側ののり面」を「表のり」、「市街地側ののり面」を「裏のり」と呼んでいます。
その後、国府田良樹(ミュージアムパーク茨城県自然博物館)氏を始め専門家の先生方の地層の調査研究が進み、最近(いまから10ほど前)になってその化石が、ステゴロフォドンの臼歯であることが分かりました。
その結果、このステゴロフォドンは約1700万年前に生息していたであろうと考えられるゾウの仲間であることがわりました。この時代、現在の日本列島に相当する地域は、気温が高く暑かったようです。
なぜ、暑い時代だとわかるかといいますと、ステゴロフォドンゾウの化石とともに発見された、吸腔目キバウミニナ科ビカリア属の巻貝でビカリア(学名:Vicarya)という熱帯地域や亜熱帯地域に生息していた貝の化石が出土したからだと、調査に当たった古生物学者の先生方は古気象環境を前提に推測されたものと考えられています。
ステゴロフォドンゾウの臼歯、切歯そして頭蓋骨等の化石が、これまでに分かっているだけでも石川県輪島市の他で、宮城、山形、福島、冨山、茨城、長崎の諸県からも見つかっています。
発見当時、読売新聞の現地(石川)版などに報じられた専門家の先生方の解説を参照しますと、「いずれも大陸で出土したものより小さかった。これは日本列島のように限定された生息域で、外敵が少ないために生物が小型化する「島嶼(とうしょ)化」の影響が考えられる」とのことです。
輪島市で発見された臼歯化石は、メディアから報じられたところによりますと、直径が7~8センチで、大陸で見つかっている化石と比較しますと同程度の大きさと言うことです。また、国内でこれまでに発見されている臼歯では、山形県鶴岡市で1995年に見つかったステゴロフォドンのものが約1600万年前と言われており、最も古かったそうですが、輪島市のものは約1700万年前の地層であるということで、今のところ一番古いと言えるようです。
われわれが古代史などで学んだように、この時代は現在の日本そのものが大陸と地続きだったと考えられており、ゾウなどの大型動物の多くが生息していたわけです。その後多島海化してからは大陸から渡来してそのまま居着いてしまったとも推測されます。それ含めてわれわれは渡来型と言っています。
輪島で見つかったステゴロフォドンの化石は、国府田良樹博士ら専門家の先生方によって確認されたところでは日本では初めてのものではないかと考えられています。
2)上顎・下顎に4本の牙、ステゴロフォドンの特徴
ステゴロフォドンは、上下顎合わせて4本の牙を持ったゾウの仲間と考えられています。これまでに日本を含むアジア各地の古い地層、前にも書きましたが、凡そ2000万年前~180万年前の新第三紀鮮新世,新しい地層でも第四紀更新世の地層から発見されていますので、専門家の間ではそんなに珍しい化石ではないのです。しかし、われわれ素人は博物館でしかお目にかかれませんから大変珍しい標本と言うことになります。
松本彦七郎(1887-1975)は 、1924年の論文にありますように、プロステゴドン(Prostegodon) という属名を付けましたが、先取権の原理(早い者勝ちの原理とも言います。) で、複数の適格名から有効名を選ぶ場合、命名の規約(国際動物命名)には《先取権の原理》という「非常に重要かつシンプルなルールがあり,最も早く公表された学名が採用されるという《早い者勝ちの原理ないしはルール》が適用されて、ステゴロフォドンにまとめられたようです。
この類のゾウの仲間には、最古のものとしてシュードラチデンスゾウ (Stegolophodon pseudolatidens)および ツダゾウ (S.tsuda) などが見つかっています。石川県輪島市の例のように、以前見つかっていたゾウ類の化石が後になってから、専門家の研究の結果、ステゴロフォドンであることが分かったケースもあります。
ツダゾウにしましてもその特徴は、上述しましたように、上顎の牙の他、下顎にもナイフのような短い牙(切歯)があります。体つきは細長くて、頭部はやや低め、体高も2.5mぐらいで多島化した環境で生息できるように進化し、島嶼化と言うか小型化したゾウの仲間の一種であろうと考えられています。
なお、亀井節夫博士(1925-2014)は『地球科学』(54巻)に寄せた論文《「日本の長鼻類化石」とそれ以降(2000)の中で、「Stegolophodon」には、スードラチデンスゾウ、ツダゾウ、ミヨコゾウなどが考えられる、と述べており、シュードラチンデスゾウやツダゾウそしてミヨコゾウをステゴロフォドン一属として扱っています。また、「前掲論稿(2000)」の中で、亀井博士は「シュードラチデンスゾウ」を「スードラチデンスゾウ」と表記されていますが、本稿では「シュードラチデンスゾウ」で統一しました。
(3)常陸大宮市からもステゴロフォドンの化石
もう10年も前のことですが、茨城県常陸大宮市野上に分布する下部中新統上部の玉川層の凝灰質砂岩から保存状態が良好なS.シュードラチデンスゾウ(Stegolophodon pseudolatidens)、長鼻目に分類されて,ステゴドン科のゾウの仲間の頭蓋化石が発見されたことが、共同通信の報道で明らかになったのは2011年12月のことでした。
また、報道とともに、茨城県自然博物館は、2011年12月15日、当時県内の水戸葵陵高校2年生の星加夢輝さん(常陸大宮市)が、約1650万年前とみられる常陸大宮市野上の地層から 古代ゾウ「ステゴロフォドン」の頭の化石を発見したと発表しました。
共同通信の記事によりますと、「ほお骨を含む 頭蓋や臼歯、牙がそろっており、頭の骨格がほぼ完全に残っているのは珍しい」と、同博物館の国府田良樹博士の解説を紹介し、さらに「保存状態が良く、世界的にも貴重な学術資料になると指摘」したと報じています。また、星加さんは「地質調査が趣味で「これまでも貝などの化石を見つけたが、 今回はただごとじゃないと思った」、など記されています。
茨城県常陸大宮市で出土したステゴロフォドンの化石については、国府田良樹・安藤寿男・飯泉克典・三枝春生・小池 渉・加藤太一・薗田哲平・長谷川善和各氏による「茨城県自然博物館総合調査の一部」として行われた研究成果であり、その共同の学術報告書『茨城県常陸大宮市野上の中新統玉川層からのステゴロフォドン属(長鼻目)頭蓋化石およびスッポン科(カメ目)肩甲骨化石の発見とその意義』(茨城県自然博物館報告書21号、2018)があります。
なお、『前掲報告書』の「要約」で著者の方々は、「頭蓋化石は,これまで知られている日本産ステゴロフォドン属の最も保存のよい標本である。頭蓋化石の産状は,頭蓋右側面を上向きにした状態で、産出時に5つの臼歯と左右の切歯が確認された。
化石含有層は甲殻類の巣穴生痕が密集した塊状生物擾乱砂岩であり、直上の暗灰色泥岩層中には植物葉片、材片化石が含まれる.こうした化石の産状と岩相から、頭蓋化石は,河口砂質潮汐低地の堆積環境において、河川の洪水流により運搬され、急速に砂質堆積物に埋没したことが示唆される。
化石産出地周辺に分布する玉川層の相当層準からはフネガイ-ウミニナ干潟貝類群集や台島型植物化石群の産出が報告されていることから、Stegolophodon pseudolatidensが、亜熱帯の干潟に面した温暖な森林域に生息していたことが推測される」、と述べています。(次回に続く)
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