素人、考古学・古生物学を学ぶ

人類の起源・進化・移動や太古の昔、日本に棲んでいたゾウ類にも関心があり、素人の目線で考えてみます。

(改訂)抄録・日本にいたナウマンゾウについて(9)

2021年10月12日 10時29分23秒 | ナウマン象と日本列島
        (改訂)抄録・日本にいたナウマンゾウについて(9)
            (初出:2015・8・19ー2016・4・19)



 (3)忠類村ナウマンゾウの復元標本(その1)

 1)ナウマンゾウの産出地は列島全域

 日本では、津々浦々約150か所以上で、ナウマンゾウの化石が産出されています。北海道幕別町の忠類ナウマン象記念館をはじめ、多くの博物館にその復元された骨格標本のレプリカが展示されていますし、所蔵されているものもあります。
とくに、忠類ナウマン象記念館には、80-90%の発掘化石によるほぼ全骨格に近い復元標本が展示されています。もちろんレプリカ(複製)で、本物は北海道博物館に所蔵されています。

 ところで、日本最初のナウマンゾウの骨格標本として復元されたのは、1966年6月に千葉県の印旛沼で発見されたナウマンゾウの化石が基になっています。ナウマンゾウの臼歯等の化石は、関東・甲信や瀬戸内で多く産出されています。また記述のように、北海道から九州に至る北から南まで、列島各地で化石が見つかっています。

 印旛沼から発掘されたナウマンゾウの全身骨格の復元がなされたのは、発見から2年後の1968年のことだと言われています。この印旛沼のナウマンゾウは専門家の調査の結果、発育途上のオス、推定22歳、背丈は2.2メートルだったと言われています。1969年北海道旧忠類村で発掘された12万年前に生息していたと推定さされるナウマンゾウは25歳くらいの若いオス、背丈は2.4メートルです。

 1976年2月、東京・日本橋浜町で発見された15万年前に生息していたと推測されるナウマンゾウは、年齢は明確ではありませんが、高齢のメスで背丈(肩の高さ)は約1.9メートル、牙の長さ88センチでした。

 一時は、東京都高尾自然科学博物館が所蔵・展示されていたそうですが、都の財政事情から閉館されてしまいました。現在、同博物館は、八王子市に無償譲渡されて、同敷地内に博物館の機能を持った施設を開館する約束だったそうですが、未だに開館されていません。現在のところ、ナウマンゾウ浜町標本は、八王子市の倉庫の中で眠っているようです。永い眠りにつかないように願いたいものです。しかし八王子では、ハチオウジゾウの発見など新たなニュースに関心が寄せられています。
 
 神奈川県藤沢市の「白旗」、「渡内」の2地区でもナウマンゾウの化石が産出されており、「白旗」の化石は「伊勢山辺標本」と呼ばれ、また「渡内」で発見された化石は「天岳院標本」と呼ばれています。なお、「天岳院標本」をもとに復元された骨格模型が県立生命の星・地球博物館で所蔵されています。

  実は、ナウマンゾウだけのことではないのですが、巨獣の化石からオス・メスの判断を下すのは大変難しいことだと言われています。その点に関して、井尻正二(1913-1999)・犬塚則久の素人向けの共著『絶滅した日本の巨獣』(築地書館、1989)に依拠しますと、同じ時期、同じ地方で発見されたおとなのナウマンゾウの頭骨の化石の大きさ、牙の長さ、形の違いを研究することでオス・メスの判断ができることが記されています。

  例えば、『前掲書』の著者の一人犬塚則久氏は、空港の工事関係者が1976年3月、成田線の下総滑川駅に近い「猿山」のがけから世界でも初めてというナウマンゾウの完全に近い頭の化石を見つけたのを機に、「長さ1メートルほどのナウマンゾウの頭には、左側に直径15センチの牙の付け根が残っていました。

 いまのゾウは、オスのほうが長くて太い牙をもっています」、そこで同氏はこのことを手掛かりに「猿山」で発見された化石がナウマンゾウのオスかメスかを確かめる研究をされたそうです。先に指摘した印旛沼の15万年前のナウマンゾウの頭骨はない骨格復元標本は、上野の国立科学博物館に所蔵されていると聞いています。

 さて、忠類村のナウマンゾウについてですが、全国から171名の第2次発掘が行われて、最終的には、47点に上る同一個体のものと思われるナウマンゾウの骨の化石が発掘されたとのことだ。これらをもとに、ナウマンゾウの全身骨格標本が復元されているのには見惚れてしまいました。ナウマンゾウの復元標本が、日本各地の博物館に展示されていたり、所蔵されているのにはただ驚くばかりです。

 全身骨格標本は、忠類村のナウマンゾウの標本が一番よく知られていると思うのですが、それだけではないのです。千葉県印旛沼から産出された印旛沼ナウマンゾウ標本もあるし、東京都中央区日本橋浜町の地下鉄工事現場から産出したナウマンゾウの標本、いわゆる浜町標本も存在しています。

さらに、神奈川県藤沢市渡内天岳院下から発掘された天岳院標本四点が存在しています。おそらく、これら四つの標本の中で、現北海道中川郡幕別町忠類地区(旧忠類村)産出の復元標本が、復元レプリカとして制作されています。それらは、国内で21か所、海外ではクェートにおいても展示されていると聞いています。

 亀井節夫(1925-2014)研究成果によると、忠類村標本には、5個の臼歯化石が含まれており、その中の4個が上下左右の第2大臼歯、もうひとつが未咬耗の右上顎の第3大臼歯と見なされていました。しかし、最近では、高橋啓一、北川博通、添田雄一、そして小田寛貴氏らの研究で再検討がなされて、『化石』84号において、これまで第2大臼歯とされていたものが、第3大臼歯とに同定されるということが明らかにされています。

 (文献)

(1)高橋啓一、北川博通、添田雄一、小田寛貴「北海道、忠類産ナウマンゾウの再検 討」・『化石』84号・2008年10月、74-80ページ)。
(2)井尻正二・犬塚則久『絶滅した日本巨獣』・築地書館・1989年、78-80頁。
(3)井尻正二『化石』・岩波新書673、1968年。
(4)川那部浩也(監修)・高橋啓一(著)『化石は語る-ゾウ化石でたどる日本の動物相-』・八坂書房・2008年。



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