絶滅した日本列島の古代ゾウの
仲間たち(その3)
1.日本には凡そ2000万年前にもゾウの仲間がいた
(1)日本列島はどのように生まれたのか
(2)日本のいろんなところにステゴロフォドンゾウがいた
(3)とにかく大昔のはなしです―ステゴロフォドンゾウのこと
以上は前回掲載
(4)常陸大宮市産のステゴロフォドンゾウ―標本「記載」事項を見る―
1)ステゴロフォドンの化石は、日本の哺乳類史を学ぶ上で大切な資料
ステゴロフォドンの化石は、既述(前回)のように日本列島のいろいろなところで見つかっています。見つかった化石は、臼歯や切歯が多いのですが、なかには頭蓋骨の化石も出土しています。これまでに分かっているだけでも石川、宮城、山形、そして茨城などで見つかっています。
岐阜県可児市では、ステゴロフォンドより前に生息していたことが判明しているゴンフォテリウムという大昔のゾウの仲間も見つかっています。その後は、上述のように、ステゴドン系のステゴロフォドンというゾウの仲間の化石が見つかることが多いようです。
ステゴロフォドンであることは後になって判明したケースもいくつかあります。いまではもう87年も前のことです。1935(昭和10)年、輪島市で出土したゾウの臼歯の化石もそうなんですが、宮城でも同じような事例がありました。いまからおよそ63年前の1959(昭和34)年に、宮城県柴田町船岡で最初に発見された「ミヨコゾウ」がそうなんです。
輪島市の場合は2011年に、柴田町の場合は日本の古生物学の創始者矢部長克(やべひさかつ:1878-1969)が、1950年にシュードラチデンスゾウEostegodon pseudolatidensという新種として記載した(Yabe, 1950)ことで知られています。
前回も述べましたが、亀井節夫博士(1925-2014)は『地球科学』(54巻)に寄せた論文《「日本の長鼻類化石」とそれ以降(2000)の中で、Stegolophodonの中に、シュードラチンデスゾウやツダゾウそしてミヨコゾウをステゴロフォドン一属として扱っています。
いずれも1800万年前から1600万年前の中新世の地層から見つかっています。その代表的なステゴロフォドンの化石が、茨城県常陸大宮市産の同市野上の中新世に形成された地層(地質時代の区分では、新生代の新第三紀を前期・後期に二分したとき、その初めの時代《前期》のことを中新統と言って、約2303万年前から533万年前までの時代に堆積した地層を指します。)、「中新統玉川層」から発掘されたステゴロフォドン属の頭蓋化石です。
なぜこの時代のステゴロフォドンの化石が重要かと言いますと、この時代(1700万年前から600万年前の中新統)の陸上の哺乳類の化石記録がないからです。ですから哺乳類の歴史を研究する上では、ステゴロフォンドの化石が見つかることは意義のあることで大切なのです。
2)常陸大宮市産のステゴロフォドン―標本「記載」内容を読む―その(1)
ミュージアムパーク茨城県自然博物館に展示されているステゴロフォドンの頭蓋化石は、地質時代としては、新生代中新世から鮮新世に南アジアから日本などに生息していたと言われているゾウ類の仲間とされていますが、すでに紹介しましたように、その形態的な特徴は、現生のゾウには見られないだけでなく、後のステゴドンゾウにも見られない「上顎と下顎に、4本の切歯(牙)を有しているゾウの仲間」と考えられています。
常陸大宮市のケースは、2011年12月発見されました。発見者は、当時水戸葵陵高校の2年生で博物館のサークルに入り、化石や地質の調査をしていた、茨城県自然博物館のジュニア学芸員の星加夢輝さんでした。星加さんは、同市野上の中新世に堆積した地層、玉川層から保存状態のよいステゴロフォンドの頬骨を含む頭蓋や臼歯、牙が揃った「頭蓋骨の化石」を発見したと言われています。新聞にも大きく取り上げられましたから、記憶が甦って来た方もおられると思います。大変驚いたのは、茨城県自然博物館の専門家の先生方だったようです。
その後、2018年には、学芸員の国府田良樹博士を中心に『茨城県自然博物館報告』(21)「茨城県常陸大宮市野上の中新統玉川層からのステゴロフォドン属(長鼻目)頭蓋化石およびスッポン科(カメ目)肩甲骨化石の発見とその意義」と題する研究報告書が公表されました。
なお、著者の先生方は、報告に当たって、「はしがき」において次のように述べています。すなわち、
《この化石のクリーニング作業と同時に近縁属との形態的特徴の比較や系統学的位置の推定を現在進めている。しかし 、それらの分析結果に基づいた報告が可能になるにはまだ期間を要する。そのため、本研究では現時点で明らかになっている長鼻類の頭蓋化石の産状と産出の意義について報告する。》
以下本稿では、発見された常陸大宮市産のステゴロフォドン頭蓋化石標本(『報告書』の著者は、『野上標本』と命名されています。)の記載内容について紹介したいと思います。
先に1)において、宮城県で見つかった「ミヨコゾウ」について、日本の古生物学の創始者矢部長克が、1950年にシュードラチデンスゾウEostegodon pseudolatidensという新種として記載した(Yabe, 1950)したことを述べるとともに、亀井節夫博士が『地球科学』(54巻)に寄せた論文《「日本の長鼻類化石」とそれ以降(2000)の中で、Stegolophodonの中に、シュードラチンデスゾウやツダゾウそしてミヨコゾウをステゴロフォドン一属として扱ったことにも言及しました。
標本の記載は、日本語で書くこともありますが、新種の記載論文は通常は英語で書きます。新種命名規約に英語で書かなければならないと言う決まりはありません。岡西政典氏は、氏の著作『新種の発見』(中公新書、2020)の中で、学名は人類にとっての共有の知的財産ですから一般的には英語を使うのが適切だ、と説いています。
3)常陸大宮市産のステゴロフォドン―標本「記載」内容を読む―その(2)
さて、茨城県常陸太田市産、ステゴロフォドンの標本(『野上標本』)の記載内容は、『報告書』(21)の著者によって以下の通り記載されています。赤字の部分は、ブログの筆者(中本)が非専門家にも分り易くするために、一部分に「補筆」を加えたものです。
標本の記載
Order Proboscidea Illiger, 1811
Family Stegodontidae Osborn, 1918
Genus Stegolophodon Schlesinger, 1917
Stegolophodon pseudolatidens (Yabe, 1950)
(補筆部分)
分類学上の用語:Order(目)、Family(科)、Genus(属)
1番上のIlligerhaは、ドイツの動物学者で古生物学者、Johann Karl Wilhelm Illiger(ヨハン・カール・ヴイルヘルム・イリガー:1775-1813)、1810年からベルリンのフンボルト博物館館長を終生勤め、1811年にProdromus Systematis Mammalium et Avium (1811)発表しています。生物分類学にも多大な貢献したことでも知られています。
上から2番目のHenry Fairfield Osborn (ヘンリー・フェアフィールド・オズボーン:1857-1935)は、米国の著名な古生物学者で、地質学者。1877年英国留学を終え帰国プリンストン大学解剖学教授、1891年コロンビア大学生物学教授。1896年同大学動物学教授。
専門は古哺乳類の研究及び化石収集、特にアメリカ南西部で多くの化石探索を行う。1924年からは、米国地質調査所の上級脊椎動物古生物学者となり、米国の古脊椎動物学の発展に寄与したことでも知られた存在です。そして大事な点は、オズボーンの科学に対する最大の貢献は、視覚的手段によって科学を普及させる努力にあったと言われています。
上から3番目のGünther Schlesinger(ギュンター・シュレジンガー:1886-1945)は、ウィーンの高校を終えて、ウィーン大学に進学し、1909年6月には動物学と古生物学で博士号を取得して卒業しました。1910年、ニーダーエーストリアン州立博物館の学芸員兼自然科学部門長、1923年ニーダーエスターライヒ州コレクション部門のディレクター(部門長)も務めました。シュレジンガーは、オーストリアが生んだ最も偉大な法学者アドルフ・ユリウス・メルクル(Adolf Julius Merkl:1890ー1970)とともに、オーストリアで最初の州レベルの自然保護法の起草に貢献したと言われています。また、シュレジンガーは1940年以降、「オストマルク全体の自然保護特別委員」として、ウィーンの南50㎞の位置にあるノイジードル湖(オーストリアとハンガリーの両国の協力で世界遺産に登録されている)と野鳥の王国と呼ばれるゼーヴィンケル(自然の宝庫と言われる国立公園)の景観保護区として保護することに尽力した自然科学者と言われています。
上から4番目(Stegolophodon pseudolatidens (Yabe, 1950)ついては、上記本文中に「矢部長克」に触れていますので、ここでは割愛します。なお、原文は、Three Alleged Occurrences o f Stegolophodon latidens (Clift) in Japan.By Hisakatsu YABE, M.J.A.(Comm.nov.13, 1950)をウェブで閲覧することができます。
以下、常陸大宮市産ステゴロフォドンの「標本記載」について、『報告書』(21)の著者による記載を記しておきます。
産出地点:茨城県常陸大宮市野上地内。
産出層準:玉川層(Noda et al. , 1994)。
産出年月日:2011 年 12 月 16 日。
発 見 者:星加夢輝 。
標本の所在:ミュージアムパーク茨城県自然博物館。
標本番号:INM-4-013853。
標本の名称:野上標本。
標本の記載:本標本は保存状態の良好な長鼻類の頭蓋化石であり、犬塚(1977)の定義による計測値は、頭蓋最大長535 mm、頭蓋高 385 mm である。咬耗度合が舌側と頬側でほぼ等しい左右の第一、第二大臼歯及 び、遠位端まで歯冠形成が完了した未萌出の第三大臼歯が植立している。その第三大臼歯の臼歯の萌出角度は急角度である。第一、第二大臼歯の稜数は 4 稜で、咬頭は鈍頭歯型である。右切歯(長さ 290 mm)および左切歯(220 mm)も欠損なく保存されており、左右切歯外側面には先端から上顎体まで達するエナメルバンドが認められ、右切歯では長さ 230 mm、幅 43 mm、厚さ 2.5 mm におよぶ。左切歯は咬耗が進んでおり、右切歯よりも短い。頭蓋冠は大部分失われており頭蓋腔が露出しているが、左後眼窩突起右眼窩、大後頭穴、左後頭骨中位を通過する面よりも腹側は完全に保存されている。 左後頭顆,頬骨弓の一部、外耳孔、眼窩下孔、関節窩、後鼻孔などが確認できる。
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