天地を 照らす日月の 極みなく あるべきものを 何をか思はむ 

わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても あはむとぞ思う

昭和の日

2009年04月29日 | Weblog
 今日は、激動の日々を経て、復興を遂げた昭和時代を顧み、国の将来に思いをいたす「昭和の日」
 昭和天皇の誕生日であるこの日は、昭和天皇がみどりを愛されていたことから、平成になって18回は「みどりの日」今日は「昭和の日」になって3回目。今年は4月10日に、今上天皇が昭和34年御成婚以来の50年を顧みられ、平成も丸20年が経つ、感慨深い日となった。今上天皇皇后両陛下も、みどりを愛されている。「みどりの日」は5月4日にうつり「自然にしたしむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ」

正義の代弁者

2009年04月23日 | オバマ

「嵐の挑戦」~NT紙 Damon Winter氏撮影

 雨が降りしきる中、眉をしかめるのではなく、瞼に力を入れ、遠くを見据えるバラク・オバマ。

バラクはアラビア語で「恵まれたもの」、オバマはケニアの言葉で「燃える槍」

オバマが多感な少年時代を過ごしたのは激動のインドネシア。そこでオバマ少年が見たものは「力(power)」

人間を決して逃さず引き戻し「自分の人生が自分の思い通りにはならない」ことを実感させる世界だった。

どうしたら世界が共存できるかを、ただひたすらつきつめる人間オバマ。  

寛容、そして何よりも歴史と人間性を勉強する者として、「力」を探る。

「どうやって自分の領域の外へ出て、明確な問題に取り組んでいくか」という考え方を示し、民主主義における信念の役割「どこで必要となり、どこからは介入できないのか」という問題に取り組む。


詠み人知らず

2009年04月19日 | Weblog
 ユーミン55歳、3年ぶりのアルバムは「そしてもう一度夢を見るだろう」テーマは“トランジット(通行、通過)”
 旅っていうのは変化。旅をすることで自分が変化して、その変化した自分が接すると、“新しい過去”にも出会える。
 この小旅行の間中、自分の中でちょっと色々考えていたことがあった。でも何にしても、みんな大変だから。生きることは大変。だけどね、苦しい、不安な思いをしないとシナプスは増えないから、どんどん年をとってちゃうの。たとえしんどくても、その先に光があると思ったら、それを信じてアタフタしてでも恐れずに進むと、脳細胞が動いて自分を若くさせてくれるのね。
 「過去を恐れなくなった」「一度やったことはもうやらない」じゃなく、その表現への姿勢が新しければ「時を超えて新しい」と自信を持って思えるようになりましたね。

 「詠み人しらずの歌のように、だれがつくったかわからなくても、歌い継がれるものを」と言っていたが・・・達磨さんは、名を尋ねられても「知らん」と言ったそうだ。謙信の戒名は「不識院殿真光謙信」 

ボランティアのプロ

2009年04月17日 | Weblog
 「自分を活かすことが、新しい自分、新しい世界へとつながっていく」歌手/NPO法人 国境なき楽団 代表 庄野 真代の言葉。

 「あなたはどう思いますか?」私はこの問いに何にも答えられない恥ずかしさと、何も知らなかったショックで呆然としてしまった。こういう現実を知らないで旅はできない。そう思った私は「これからは、地球の素顔を見て歩こう」と決意。行く先々で痛感したのは、経済活動によって破壊されていく環境と、幸せや豊かさの基準を揺るがせるグローバル化の波。私の中で世界を見る観点がガラリと変わっていった。帰国後は、環境イベントなどで自分が世界で感じてきたことを伝えて回った。でも、そうした活動にやりがいを感じる一方で「自分の体験だけではなく、確かな知識や情報があればもっと説得力を持って話せるのに・・・」とも。
 そして、人間を取り巻く環境について世界のいろいろな人がいる場でもっと学びたいと、留学を決意。ロンドン滞在中には、ボランティア活動を行うと同時に、その仲間たちの協力を得てチャリティーコンサートを開催することもできた。仲間たちを見ていると、決して設備等が整っているとは言えないボランティアの場で工夫に工夫を重ねて能力を使うことによって、さらに能力を伸ばしている。完全に手弁当ではなく、交通費も昼食費も出るシステムも現実的で素晴らしいと感心した。
 彼らみたいに私も自分の能力を活かしたい。そう思ったところから、チャリティーコンサートのアイデアが生まれた。会場をあたる人、チケットを作る人、宣伝に詳しい人、楽器を借りる人、・・・。皆が協力してくれた結果、コンサートを成功させることができた。こうした体験によって、いつしか私もNPO法人を作りたいと思うようになり、3年前、ついにNPO法人「国境なき楽団」を設立した。音楽には人の心をつなげる力がある、そしてそんな音楽を支援のツールにすればみんなが行動に移しやすいと考えた結果だ。きっかけさえ上手くつかめば可能性は広がっていく。

 また、JICAで活動された原田勝征さんは「ボランティア活動を振り返ってみて思うことは、柔軟な発想を持つことの大切さ。現地に行けば、必ずギャップはある。そこで自分の専門性にこだわってしまうと何もできなくなってしまう。困難に直面しても、こちらが学ばせてもらうという気持ちで自分のできることを自由な発想で行っていけば、必ずや成果につながっていく。ボランティア活動の最大の魅力は、金銭的なものには変えることのできない「無形の報酬」が得られること。それは、多くの素晴らしい出会い、貴重な経験、達成感など、人によって様々でしょう。」

 ここにも、営利、非営利のこだわりのない、自分が人間としてできることに徹する、人間のプロがいる。

トキメキ

2009年04月15日 | Weblog
 使命感、やりがいをもってことにあたるのが「プロ」。「プロ」とは「アマ」の極致。血管外科医・大木 隆生(46)の言葉。

 人に喜んでもらえる仕事をしたいと医者になった大木は、32歳で無給医としてアメリカに渡り、生まれて間もないステントグラフトの開発に携わり、その技術を進化させた。手術不可能と言われた患者たちを次々と救い続け、「ベスト・ドクター・イン・ニューヨーク」の血管外科医部門に4年連続で選出された。そして、渡米後わずか10年で、名門医科大学の教授となり、年収は1億円に達した。しかし、日本からアメリカに治療にくる患者がいることのもどかしさ、母校からの要請があったことなどから、年収が10分の1になる、帰国を決断した。大木を突き動かしたのはひとつの信念「人間を動かすのは金じゃない。“トキメキ”だ」。母校のため、母国のために生きることのほうが、より強いトキメキが。「お金や権力などは、それが無いときは良いと思えるけれど、いざ手に入れてみるとたいしたものではないとわかった」という。
 帰国後も、喜んでもらうために「おまかせください」とリスクに挑む。
 大事なことは、人間として本当のことを見極めること。「喜び」は、何も外科医の仕事だけから感じるのではなく、例えばボールペンの貸し借りで感謝の言葉を掛け合うといった、日常のちょっとしたことにも喜びはある。人間としての本質的なことを大事にするという姿勢が、結局はその人のためになるし、社会のためにも国のためにもなる。

 心臓外科医でバチスタ手術の第一人者、須磨久善も言っている。「医者というのは患者のためにいる。地位や名誉などどうでもいいことです。生きる希望が一筋でもある患者を見捨てることはできない。
どんな薬よりどんな手術よりやっぱり生きたいという気持ちが大切だ。
『なんのために生まれてきたのか』と言ったら、人を喜ばせて、人が喜んでいるのを見て自分も嬉しいと思える人生でありたいと思うんです。
人間って、本当に命の瀬戸際まで来ても、やっぱり自分のことだけじゃなくて、誰かのために何かできることはないかなと思う生きものだと思います。」

 「プロ」「アマ」を分けるのはカネ。人の「トキメキ幸福感」は、そういうこだわりのないところにある。「プロ」「アマ」両極を知ると、本質が見える。