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天地を 照らす日月の 極みなく あるべきものを 何をか思はむ 

わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても あはむとぞ思う

石垣原古戦場

2019年02月24日 | 豊の国


石垣原主戦場、実相寺山には山桜が咲き、高崎山、別府湾が望めます。



旗の台の清正像、後ろの鶴見岳の向こうに石垣原



清正の手型

1600年関ヶ原の戦いの時、清正は黒田軍援護のため旗の台に陣を構えていました。黒田勝利を見届け、肥後へ戻り、1588年初めて肥後国に入国した際に通った道などの整備に取り掛かります。

1611年清正が没すると、肥後街道は後を受けた細川氏が1635年制度化された参勤交代路としても…。

八幡大菩薩、法華経を愛した清正は、早吸日女神社の再建、法心寺の建立なども行なっています。万人平等という妙なる法の道を求めてのことだったのではないでしょうか。肥後、鶴崎、野津原などでは、今でもせいしょこさんと親しまれています。

岩崎台古墳群に口戸(くちど)磨崖神(まがいしん)と浅草神社〜七瀬川五ノ瀬

2019年02月18日 | 豊の国


標高30mほどの岩山の中腹



口が空いています。



奥、正面に比売大神(だそうですが、石長比売では?もう見えなくなりそう。)



向かって左に神功皇后(だそうですが、四本腕であることから祓戸四神のイザナギでは?



応神天皇



肥後街道五の瀬左岸のこの岩山には八基の円墳と二基の方墳があり、南端にこの磨崖神、中央に浅草神社が鎮座しています。



浅草神社御祭神は仲哀天皇、神功皇后、応神天皇



大友氏神様、秋の奉納



四本の参道



中央下部に井路が通されています。





五ノ瀬に架かる胡麻鶴大橋




肥後街道七瀬川三ノ瀬

2019年02月17日 | 豊の国


三ノ瀬から新界橋



肥後街道三ノ瀬付近の石碑。加藤清正が敷いた肥後街道。法華経を愛した清正。石碑には、南無妙法蓮華経、清正大神の文字。

妙なる法、万人平等を追い求めた道なのでしょう。この道を勝海舟、坂本龍馬、吉田松陰、北原白秋らが歩んでいます。







四ノ瀬、五ノ瀬、田吹橋付近