初めての訪問、良寛不在で貞心尼自作の手鞠と歌を託す。(良寛70才、貞心尼30才)
これぞこの ほとけの道に 遊びつつ
つくやつきせぬ みのりなるらむ
良寛さんは手鞠をついて遊んでおられると聞きますが、そこに尽きせぬ仏への精進の道が、私には窺われます。私も一緒に遊び、仏道を学びたいと存じます。未来永劫尽きることのない仏道の心髄を体得して、悠々自適の生活を楽しんでおられるのでしょうが、私もお導き下さいませんでしょうか。
つきて見よ ひふみよいむな やここのとを
とをとおさめて またはじまるを (つきて見よ 一二三四五六七八九十を 十とおさめて また始まるを)
この手鞠をついて無心になる気持を求めるならば、理屈や言葉ではなくて、あなたもどうぞ一緒に手鞠をついてごらんなさい。一二三と十までついたら、また繰り返して、ひたすらついていく。夢中になっている時に、実は本当の仏の世界が開けてくるんですよ。扉は叩いてごらんなさい。思ったことは先ず試みてみなさい。実行してみてから、その次はまた、その時考えて実行に移して行くことです。あなたがもし私に逢いたいならば遠慮なくどうぞ。
初対面
君にかく あい見ることの うれしさも
まださめやらぬ 夢かとぞおもふ
ゆめの世に かつもどろみて 夢をまた
かたるも夢よ それがまにまに
そなたは今、夢のようだと言われたが、そう思う心、人生そのものもまた夢のようなものです。だから、その時々の気持に素直であればよいでしょう。
話がはずんで、月の美しい夜となる。
白たへの ころもでさむし 秋の夜の
月なかぞらに すみわたるかも
秋の夜の月とは仏の真理、こんなに夜も更けて肌寒い夜の中で、澄みきった気持ちに今こそなれますねと呼びかける。
向ひいて 千代も八千代も 見てしがな
空ゆく月の こと問わずとも
空ゆく月すなわち仏法の真理、悟りのことなどの話はどうでもいい。ただこうして永遠に向かい合っていたい。
心さへ 変らざりせば はふ蔦の
たえず向かはむ 千代も八千代も
大切なのは心です。心さえぴったり合っていれば、どこにいても、いつでも一緒にいるのと同じようなものです。
一夜を語り明かし、貞心尼が帰るとき
立ちかへり 又もとひこむ 玉鉾の
道のしば草 たどりたどりに
またお伺いしてもよろしいでしょうか。
又もこよ しばの庵を いとはずば
すすき尾花の 露をわけわけ
こんな、むさくるしいところでも、かまわなければ是非また来て下さい。