天地を 照らす日月の 極みなく あるべきものを 何をか思はむ 

わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても あはむとぞ思う

すべての人が助けなければ

2009年10月31日 | オバマ
 ノーベルの遺志では、その1年間にもっとも平和に貢献した人に賞が贈られる。それはオバマ氏だ。「オバマ氏は言葉だけだ」と言う人もいるが、言葉を過小評価してはいけない。言葉は時に危険だが、時に人に希望を与え、その希望が物事を良い方向に変える。我々はオバマ氏の大統領選挙戦の時から、彼の言葉や考えに注目していた。オバマ氏は世界の問題の解決に新しい道筋を示した。それを支持したかった。授賞を2、3年後に延ばせば手遅れになる。オバマ氏一人ですべての事ができるわけではない。世界のすべての人が助けなければならない。

 平和賞の授賞式がある12月10日は、地球温暖化の国際交渉や米ロ核軍縮交渉が佳境の時期です。もちろん、それは意識していた。二つの交渉が頓挫することは大問題だ。オバマ氏は二つの問題に対して具体的な提言を行っており、それを我々は支持したかった。

 アフガンについては、全委員が懸念した。ある人は「アフガンは米国だけの問題だ」との印象を語った。しかし、アフガンは全世界の問題だ。「アフガン問題をオバマ氏に押しつけるべきではない」 現職の米大統領に与えることも懸念した。しかし、論争にもならない人ばかりに授与すれば賞の価値は減じる。過去、最も賛否が分かれた授賞が最も成功している。ソ連のゴルバチョフ大統領への時は「委員会は狂った」と非難されたが、我々は正しかった。~30日ヤーグラン委員長への朝日新聞 のインタビューより

ノーベル賞委員会の108年

2009年10月31日 | オバマ
 ノルウェーのノーベル賞委員会は、国際的な外交と人々の協調を推し進めるため並外れた努力をしていることを理由として、バラク・オバマ大統領に2009年のノーベル平和賞を授与することを決めた。委員会はオバマ氏の核なき世界に向けた構想や取り組みに対し、特別な重要性を見いだした。
 オバマ氏は大統領として、国際政治の場に新たな環境を生み出した。多国間外交を再び中心に据え、国連やその他の国際機関の担う役割を重視した。最も困難な国際紛争ですら、対話と交渉を解決の手段として優先させた。核なき世界の構想は、軍縮と軍備管理交渉を力強く推し進めた。オバマ氏が主導権を握ったことで、米国は世界が直面している深刻な気候変動に対処する上で、より建設的な役割を果たしている。民主主義や人権は強化されるべきものとなった。
 オバマ氏ほど世界の注目を集め、世界の人々により良い将来への希望を与えた人はほとんどいない。オバマ氏の外交は、世界を主導していくには、世界の大多数と共有できる価値観や姿勢に依拠しなければならないとの考えに基づいている。
 オバマ氏が世界をリードするスポークスマンとして行っている国際的政策や姿勢を、ノーベル賞委員会はこの108年間、まさに追求してきた。委員会はオバマ氏の「今こそ地球規模の課題には地球規模で対応し、責任を分かち合うときだ」との訴えを支持する。

責任を分かち合うとき

2009年10月31日 | オバマ

オバマ氏が主導権を握ったことで、民主主義や人権は強化されるべきものとなった。

世界を主導していくには、世界の大多数と共有できる価値観や姿勢に依拠しなければならない。

オバマ氏が行っている国際的政策や姿勢を、ノーベル賞委員会はこの108年間、まさに追求してきた。

委員会はオバマ氏の「今こそ地球規模の課題には地球規模で対応し、責任を分かち合うときだ」

との訴えを支持する。

 

ノーベル賞委員会


世界はオバマのもとに

2009年10月31日 | オバマ

 「大統領は世界を取り巻く数々の問題に、対話と約束をもって臨むという新たな精神を体現した」国連の潘基文(バン・キムン)事務総長 

「核兵器のない世界をつくるビジョンを示し、地球規模で高まった希望の表れだ」欧州連合(EU)のバローゾ欧州委員長 

「対話と協調による外交努力などが評価された」中東カタールを拠点とする衛星放送局アルジャズィーラ 

「中東和平実現に向けた良い兆しかもしれない」パレスチナ自治政府のエレカット和平交渉責任者 

「和平交渉の成功を保証するだろう」イスラエルのバラク国防相 

「この組織(ノーベル賞委員会)の決定にいつも同意するわけではないが、今回の決定は前向きな一歩だとわたしも認める」キューバのカストロ前議長 

「オバマ氏は我々に期待を与えており、彼のノーベル賞受賞に満足している」旧ソ連大統領ゴルバチョフ氏  

「異なる国家、文化、文明間の対話と寛容というオバマ氏の世界観が評価された」フランスのサルコジ大統領 

「就任後1年に満たない期間のうちに世界を変え、平和への希望をもたらした。彼ほど平和賞にふさわしい人物はいない」IAEAとともに2005年の平和賞を受賞した、国際原子力機関(IAEA)のエルバラダイ事務局長   

オバマ米大統領は就任2ヵ月後には・・・8日間の欧州、トルコ歴訪を終え7日、イラクの首都バグダッドに向かった。多国間主義を強調し、「米国が核軍縮や地球温暖化対策を主導する」と訴える同大統領を欧州は歓迎した。 オバマ大統領は2日、G20後の記者会見で「私たちは共通の課題を協力して解決する責任を有する」と強調し、報道陣の拍手喝采を浴びた。英紙フィナンシャル・タイムズは「記者が政治家に喝采を送る光景など見たことがない」と記した。 インドのシン首相は娘のためにオバマ大統領からサインをもらった。イタリアのベルルスコーニ首相はオバマ大統領、ロシアのメドべージェフ大統領と肩を組み、笑顔を振りまいた。 フランスのストラスブールで行われたサルコジ大統領との会談前には、若い女性から歓迎のキスを受けるハプニングもあった。学生との対話集会には約4000人が詰めかけ、会場との軽妙なやり取りに聴衆は総立ちとなり拍手が鳴りやまなかった。 英紙によると、金融サミットで、タックスヘイブン(租税回避地)のリスト公表を求めるサルコジ大統領と、マカオ・香港への影響を警戒する中国の胡錦濤国家主席が対立。オバマ大統領が2人に声をかけ、「G20はリストを“支持”する」という首脳宣言の表現を“留意”に書き換える案を示して合意に導いた。 北大西洋条約機構(NATO)首脳会議はデンマークのラスムセン首相を次期事務総長に選出したが、オバマ大統領は、同首相、デンマークで起きたイスラム教預言者ムハンマド風刺画問題を理由に反対していたトルコのギュル大統領と3者会談を開き、トルコに反対を撤回させたという。 メドベージェフ露大統領との初会談で核軍縮交渉の即時開始で合意すると、5日のプラハ演説で「米国は核兵器を使用した唯一の核保有国として核廃絶に向けて行動する道義的責任がある」と宣言。温暖化対策でも指導力を発揮すると表明し聴衆を魅了した。


江藤新平

2009年10月23日 | 不易
 徳による王道で天下を治めるべきだと力による覇道を批判した江藤新平は明治6年の政変で、政敵・大久保利通らに破れ、西郷隆盛らとともに下野して政界を去った。これから憲法制定に着手しようという矢先のことで、彼にとっては不本意な下野だった。下野して後、日本で最初の自由民権運動を板垣退助たちと起こし、政界を去ってからもなんとか国政改革に参加しようとした。その頃まだ普及していなかった三権分立を唱え、立憲政治(三権分立の原則に立った憲法に基づく政治)を強く主張した。
 しかし、不平士族の総大将に祭り上げられ、各地の反乱の口火となる佐賀の乱(1874年)を起してしまう。かねてから江藤新平の政敵だった大久保利通は、政府から全権(行政権・軍事権・司法権)を委任されて江藤の裁断の場に自ら赴き、処置を指示した。「除族の上、斬首さらし首」つまり、士族という身分を剥奪したうえで処刑し、さらにはさらし首に処す、という判決を下した。これは江藤が作った法律(新典)にはない旧法による判決だった。
 江藤は最後まで、彼が生涯を通して追い求めた法の正義というものを信じて戦おうと考えていたが、結果その思念は無残に打ち砕かれる。存念を公の場にて訴え、必ず生きてこの日本を自分が改革してゆくのだ、そういう意志を処刑寸前まで捨てなかった江藤新平。しかし彼が目指した法治国家の理念を、大久保利通はいとも簡単に権力操作によって握り潰した。江藤新平は最期の処断のとき、「ただ皇天后土のわが心を知るあるのみ」(俺の心はただ天とこの大地のみが知っている)そう三度叫んだという。