天地を 照らす日月の 極みなく あるべきものを 何をか思はむ 

わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても あはむとぞ思う

二宮尊徳

2003年07月23日 | 不易
大事をなさんと欲せば、小さなる事を怠らず勤むべし。小積もりて大となればなり。およそ小人の常、大なる事を欲して小なる事を怠り、出来がたきを憂ひて出来易き事を勤めず。~「積小為大」
万町の田を耕すもその技は一鋤(すき)ずつの功による。国家最大の損失は人心の田畠の荒れたる事也。其の次は田畠山林の荒れたる事也。心の田畑さえ開墾ができれば、世間の荒地を開くこと難しからず。


 天道にのみそって生きるとき、我である人間を支配するものを人心と呼び、人道にそって生きるとき我を支配するものを道心と呼ぶ。人心は我欲に囚われた心であり、欲するばかりで作ることがない。このような心の状態でいる限り人間は豊かになることができない。道心にそった生き方をして始めて人間は人心への囚われから解放され、真の豊かさを実現できる。
 道心は、それが善だからなどの道徳的な理由で選択されるべきものではない。人心にのみ従えば衰え朽ち、道心に従えば栄える。道心にそった心の状態を誠と呼ぶ。「誠」は儒教で言うところの「仁」という概念に等しい。仁の状態に置くことを至誠と呼び、至誠がまず実践の第一をなす。
 至誠の状態で日常生活のすべての選択を行っていくことを勤労と呼ぶ。至誠が心の状態を指すのに対し、勤労はそれが行動になって現れた状態を指す。
 勤労することで日常のすべての行動が誠の状態から行われるため、当然それは消費活動にも現れる。これを分度という。至誠から勤労した結果に自然と使わざるをえないもののみを使うということを意味する。
 そして、最後に分度して残った剰余を後に譲ることを推譲とよぶ。推譲は単なる贈与なのではなくて、至誠・勤労・分度の結果、残ったものを譲ることを意味する。
 至誠・勤労・分度・推譲を行っていくこと、社会に貢献することではじめて人は物質的にも精神的にも豊かに暮らすことができる。

 「思う」とは、「心」の「田」を耕すことをいう。「我思う、ゆえに我あり」デカルト。「心田」を耕してこそ、我である。
 「想う」とは「相手」をおもうことをいう。「思想」とは、自分の心を耕し、相手の心を想像することをいう。

 尊徳は、生涯605か村を建て直したといわれています。尊徳自身の著述はなく、遺言でも「自分の墓など作るな」といっています。遺徳を慕う弟子(富田高慶)によって、尊徳の伝記「報徳記」が書かれ、これが明治16(1883)年に宮内省から発行され、幸田露伴が少年向けに「二宮尊徳翁」を出し、内村鑑三が「代表的日本人」として尊徳を高く評価しました。
 江戸時代、孔子の教えが藩校で教えられましたが、義務教育制が全国に導入されてからは、小学校で「修身」が教えられました。その教科書に二宮尊徳が取り上げられ、尋常小学唱歌にも歌われました。
 GHQは、インフレの始まった日本の通貨を昭和21年に発行していますが、その1円札の肖像に二宮尊徳を使うことを承認しています。二宮尊徳を民主主義の先駆者として評価していたためです。GHQ新聞課長インボーデン少佐は、「二宮尊徳を語る-新生日本は二宮尊徳の再認識を必要とする」を1949年に書き、その第1節に日本が生んだ最大の民主主義者と述べています。

 生誕 天明7年7月23日(1787年9月4日)死没 安政3年10月20日(1856年11月17日)