天地を 照らす日月の 極みなく あるべきものを 何をか思はむ 

わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても あはむとぞ思う

民主主義成熟のために

2013年05月05日 | 橋下徹
 必死になって初めて脳は活性化します。96条の争点化がそれを促しています。真実を導き出すための障害となっている「国家」「権力」について、橋下氏がわかりやすくつぶやいてくれています。ひとりひとりのくり返しくり返しが…
   
2013年05月04日橋下徹@t_ishinより抜粋

   まず96条改正は、改正手続きを「緩和」するのではない。
posted at 21:19:50
   憲法改正について、国民投票で決着を付けましょうよということ。だってここまで憲法の議論が盛り上がって、色んな意見が出てくる。今のままだと、結局国会議員による発議すらできずに、国民投票まで行かない。何のための議論だかさっぱり分からない。
posted at 21:21:26
 なぜ今回、ここまで憲法の議論が盛り上がっているのか。それは改正される可能性が高まったから、皆必死になり始めた。朝日、毎日、護憲派と呼ばれる人たちが必死になっている。これはこれで良いこと。ただ最後は国民投票で決着させてもらわないと。日本国憲法の憲法改正手続きの特徴は国民投票だ。
posted at 21:23:17
   衆参3分の2による発議を2分の1にしたところで、軟性憲法(法律と同じ手続きで変えられる)になるわけではない。国民投票が必要なので、ここが法律と決定的に異なる。衆参3分の2の発議要件を2分の1にしても、硬性憲法憲法であることに間違いない。
posted at 21:25:29
   あえて日本国憲法は憲法改正については国民投票に付すことにした。これは重すぎるほど重い。世界各国の中でも、国民投票まで付す国は少ない。そしてフランスやイタリアは、国民投票を回避できるのは、議員による特別多数決があった場合。
posted at 21:33:26
 フランスもイタリアも、国民投票は議員による特別多数決に匹敵するもの。すなわち国民投票で決定すれば、議員による特別多数決は要らない。それほど国民投票で決めると言うのは重いことだし、それこそ国民主権そのもの。
posted at 21:35:04
   憲法改正になると、政治家は国民に対して案を作る役割になる。そして決定は国民が行う。ゆえに、政治家は国民に対して案を出さなければならない。今の96条では、政治家が国民に対して、憲法改正案を出せない。だから変える必要がある。国民投票がきちんとできるようにしなければならないのだ
posted at 21:40:54
   日本の国の統治の建前は、原則間接民主制。議員による討議によって決定する。市民運動に流されてはならない。しかし憲法で定めるような場合には例外的に、直接民主制を発動する。憲法改正の場面においては、まさに直接民主制で国民によって決しようと言うのが日本国憲法の考え方だ。
posted at 21:46:55
   絶対的に正しいかどうかは分からない。それが問題なのではない。国民の選択に委ねると言うことが重要なのだ。
posted at 22:02:10
   仮に行き過ぎた改正があるかもしれない。しかし、その場合には次の改正でまた正されるはずだ。
posted at 22:03:46
   国民投票に委ねることで、正しいものに近づいていくだろう。
posted at 22:05:34
   僕は、自分の考えが正しいとは思うが、絶対的かどうかは分からない。他人の考えも尊重する。しかし決しなければならないので、国民投票で決しましょうと言う考え。
posted at 22:07:48
   国民はルールを変えることができる。96条改正は、国民が自ら憲法を変えることができるようにする改正だ。議員による憲法改正ではない。
posted at 22:10:30
   憲法制定権は国民主権においては、国民にある。そして一度憲法を制定すると、憲法制定権は憲法改正権として憲法の中に溶け込む。憲法改正権者はあくまでも国民。そうであれば憲法96条も国民が変えることができる。それを端的に表したのが96条の国民投票。
posted at 22:17:29
   96条を改正することが立憲国家に対する反逆だとか革命だとか、ここまで妄想が広がると凄すぎる。政治家と国民を分断する朝日、毎日のロジックの真骨頂。僕は国政政党の代表だけど、普通の国民だと思っている。今もリビングでツイッターを打って、後ろの食卓で妻と子供がテレビを見ながら喋ってる。
posted at 22:23:03
   それでも僕は権力者ならば、普通の国民と区別されても良い。しかし、憲法改正の主役は権力者ではない。憲法改正の主役は権力者でない国民そのものだ。国民が憲法を変えると言うのに、何が立憲国家への反逆なのか、何が革命なのか。日本国民はそんなバカじゃない。
posted at 22:25:05
   国民の力にはかなわない。96条改正は、改正の要件を「緩和」するのではない。国民の力で憲法を良くしていくために、国民投票を活用するための改正だ。
posted at 22:31:24
   96条改正反対派からは、衆参2分の1の発議要件になれば、むちゃな改正案がどんどん出てくると批判する。これも現実の政治を分かっていない。2分の1を獲得した勢力が無茶な改正案をどんどん出したら、次の選挙で入れ替えられますよ。それが選挙。
posted at 22:33:00
   選挙が機能する以上、国会議員も無茶な改正案を出せない。国民も仮に間違ったなと思ったら、次にまた改めれば良い。敗戦直後に作られた憲法を絶対的な存在として崇め奉るより、国民の判断に委ねならが、より良いものにしていくことの方がベターだ。国民投票は物凄く重い。
posted at 22:38:01
   国家は、たやすく永田町と霞が関の公権力に結びつく。だいたい国を守るのは国民ではなく政治家、官僚と自衛隊だ。
posted at 22:41:03
 あの悲惨な沖縄地上戦を招き、沖縄を本土の捨て石としたのは、まさに日本政府だったじゃないか。国家なんてそんな神的なものではない。普通のおっさん、おばさんが運営しているんだ。だから間違いも犯す。
posted at 22:42:59
   国家を神格化してはならない。日本の伝統や文化、隣人、地域コミュニティーは大切にしなければならないし、これは守らなければならない。しかしそれを単純に国家と言うのは違う。産経の言うところの国家は主体性を持った国家であり、これは公権力とたやすく結びつく。
posted at 22:44:38
   沖縄の米軍基地は必要不可欠だ。普天間基地も辺野古移設しかない。日本のために、沖縄県民の皆さんにお願いせざるを得ない。しかしその際、国家を前面に出すと、産経的主張になる。違う。抽象的な国家を出さず、個別具体的の私、僕、子ども、孫を出せば良い
posted at 22:47:13
   私、僕、子ども、孫、隣人の安全のために、沖縄県民の皆さんにお願いする。国家を前面に出すと、国民一人一人の沖縄への感謝の念が薄れる。それで産経のような主張になる。国民一人一人が、自分の安全のために、沖縄が負担を被ってくるていると言うことを意識する。それがひいては日本の安全保障になる
posted at 22:49:20

2013年05月05日橋下徹@t_ishinより抜粋

 今の憲法論議は、日本の民主主義を成熟させることになる。良いことだ。これは憲法が変わる現実的な可能性が出てきたから。これまでの憲法論議は、どうせ憲法は変わらないと言う下で、ポーズとしての、ファッションとしての、そしてメディアや学者、コメンテーターなどの飯の種としての憲法論議だった。
posted at 07:45:09
   朝日、毎日が96条改正反対にフルパワーになってきた。読売、産経は96条改正にフルパワー。予想通りの展開。良い、良い。これが96条改正が争点にならなければ、ここまで盛り上がらなかっただろう。59条や、63条じゃ、ここまでにはならない。いきなりの9条でも、単純なイデオロギー闘争。
posted at 07:47:52
   96条改正だからこそ、立憲主義など憲法の原点に返る議論となった。ここまで議論されているのだから、やはり議論の最終決着は国民投票で決するべきだ。そのような環境を常に持っておくことが、日本の民主主義を成熟させる。96条が改正されれば、日本のメディアは常に今の状態になる。
posted at 07:49:47
   自ら血を流して自由と平等を勝ち獲ったわけではない日本国においては、憲法が変わるかも知れない現実的な可能性を保持することが民主主義に緊張感を持たせる。これまでの新聞メディアの政治欄を見てよ。酷いもん。誰が誰と会った。誰と組む。党内の見解が不一致。しょうもない記事ばかり。
posted at 07:52:06
   それが今や、堂々たる憲法論に生まれ変わった。こうなると俄然、新聞社が強くなる。テレビは、政治家の討論の場となる。新聞社は国民への情報提供の最強ツール。生の事実を伝えるに長けているネットも、政治論議の基礎材料を提供するには不向き。ここにこそ新聞社の活路がある。
posted at 07:54:05
   新聞が読まれなくなった時代になったとよく言われるが、この憲法論議においては、新聞がなければ国民は判断できない。96条を改正して、憲法が変わるかもしれない民主主義の緊張感が少し高まれば、販売部数低迷に悩んでいる新聞社にも活路が見い出せるだろう。どう?朝日、毎日さん。
posted at 07:56:25
   うちの家族の中でも憲法論が少しだけ始まった。良い、良い。父親として、少しは偉そうにしゃべれる。日本国は、国民自らが権力と闘って自由・平等を勝ち獲った国でないからこそ、国民投票を通じて、民主主義を成熟させる必要がある。国民投票になれば、今の数十倍、議論は盛り上がるよ。
posted at 08:03:02
   日本の民主主義に緊張感を。日本のメディアに緊張感を。徹底した大議論を踏まえて、そして最後は国民が判断する。この繰り返しで民主主義は成熟する。行き過ぎは必ず是正される。その是正装置さえしっかり保持しておけば良い。公正な国民投票と選挙。
posted at 08:09:45

人類普遍の原理、自由獲得の努力の成果

2013年05月03日 | 不易
天上天下、唯我独尊
釈尊

天上天下唯我独尊ということを侠客者流など広言を吐いて、天下ひろしといえども、我に如(し)くものなしなどというとおなじく、釈子の自慢とおもうものあり。これ誤りなり。これは釈子のみならず、世界みな、我も人も、ただこれ、我こそ天上にも天下にも尊きものなれ、我にまさりて尊きものは、かならず無きという教訓の言葉なり。
二宮尊徳

世の人は われをなにとも ゆはゞいへ
わがなすことは われのみぞしる
坂本龍馬

唯皇天后土のわが心知るあるのみ
江藤新平

権威は国民に由来し、国民が享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。
日本国憲法前文

この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
日本国憲法第97条

 実際、私たちが協力して取り組まなければならない最後の分野というのは、すべての人の基本的人権と尊厳を守ることです。Indeed, the final area in which we must work together is in upholding the fundamental rights and dignity of all human beings.
 自由と尊厳を求めることは、すべての諸国民に共通する物語の一部です。The longing for liberty and dignity is a part of the story of all peoples. なぜなら、ある種の望みは、人間が共通して持つものだからです。思うことを話し、指導者を選ぶ自由や、情報に接することができ、自分の好きな信仰をもてること、法の支配や、司法の平等な適用への信頼。For there are certain aspirations that human beings hold in common: the freedom to speak your mind, and choose your leaders; the ability to access information, and worship how you please; confidence in the rule of law, and the equal administration of justice.
 こういったものは、安定を妨げるのではなく、その礎石です。These are not impediments to stability, they are the cornerstones of stability. そして、私たちは常にこのような権利を求める人たちの味方です。And we will always stand on the side of those who seek these rights.
オバマ09.11.14Tokyo