天地を 照らす日月の 極みなく あるべきものを 何をか思はむ 

わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても あはむとぞ思う

憲法の番人

2013年11月22日 | Weblog
 白馬は馬にあらず、という中国の言葉がある。詭弁(きべん)の右代表とされる。かつて売上税の導入が争点になり、これは大型間接税ではないと自民党が言いはったとき、口先のごまかしとなじるのに引用された▼ごまかすつもりでなくても、ものの言い方は難しい。福島原発が爆発した映像をみんなが見ているのに、当時の官邸からの第一報は「なんらかの爆発的事象があった」だった。東電から情報が入らないとはいえ、不誠実な感じは免れなかった▼誠実に説明しようとしているのだが、どうも釈然としないという例もある。自衛隊が憲法違反かどうかがまだ大きな争点だったころ、社会党は「違憲だが合法」という論法を編み出した。ただの違憲論ではもう時代に合わないという転換だった▼国会が決めた法律によって自衛隊が現にある。そのことは間違いないから認めようという考えだ。あとで「違憲だが法的存在」と言いかえたが、いずれにせよ苦しい理屈であり、わかりにくい▼「違憲状態だが違憲とはいえない」。おとといの最高裁の判決である。これもわかりにくい。一票の格差が法の下の平等に反していれば、違憲状態。それに加えて、ある期間内に国会が格差を正さなければ、違憲。こういう2段階で考えているから、なにやら詭弁めいた言い方になる▼最高裁は、いわばがんばる時間を国会に再び与えた。国会は口先ではがんばるというが、これまでの行状を思うと暗然とする。憲法の番人は人が良すぎるのではないか。~天声人語11.22

 「憲法に違反する法律は無効」と最上位にある憲法が規定しています。違憲状態なら誰がどう言おうと無効です。人がいいのではなく、仕事ができないのです。最高裁判決に順い、死刑になった人たち。順う人と順わない人がいるのはどういうことでしょう。

不可能 大橋正春裁判官意見

2013年11月20日 | 不易
 平成23年3月23日の判決より反対意見が減った印象です。方策まで提示して2度目ですから、もう言い様がないのでしょう。情けは人のためならず。修正不可能宣言判決です。

 裁判官大橋正春の反対意見は,次のとおりである。
 私は,多数意見と異なり,平成23年大法廷判決において憲法の投票価値の平等の要求に反する状態に至っているとされた本件選挙区割りについて,憲法上要求される合理的期間内における是正がされなかったものであり,本件区割規定は憲法の規定に違反するに至っていると考えるものであるが,本件においては選挙の違法を宣言するにとどめるべきものと考える。
 本件において選挙を無効とすることによる弊害は大きなものではなく,他方で選挙人の基本的人権である選挙権の制約及びそれに伴って生じている民主的政治過程のゆがみは重大といわざるを得ず,また,立法府による憲法尊重擁護義務の不履行や違憲立法審査権の軽視も著しいものであることに鑑みれば,本件は上記の弊害の観点を理由としていわゆる事情判決の法理を適用すべき事案とはいえない。
 小選挙区制が導入されたこと及び当審の度々の警告にもかかわらず立法府が是正措置をとらずに違憲状態が継続するという現状を考えた場合,今後,当審としては,飽くまで従来の判断枠組みを維持しつつ,具体的事案については是正の実現が事実上不可能であるとしていわゆる事情判決の法理の適用を続けるか,判断枠組みを変え,選挙無効判決に基づく是正の実現を実際上も可能とするのかを選択を迫られる状況に至っているものといえる。私としては,判断枠組みを変えて選挙無効判決の是正の実現の可能性を回復する方向が望ましく,今後の検討課題と考えるものであるが,他方,当審が上記判断枠組みを維持してきたことには十分な合理性があり,また,法的安定性の見地からも軽々しく判断枠組みの変更は行うべきものではないので,現時点ではこれを前提として検討するものである。
 事案の性質上,一部の選挙区についてのみいわゆる事情判決の法理を適用するのは適当ではないので,さきに述べた理由によれば本件に上記の法理を適用するのは適当でないと考えられるものの,選挙無効判決が確定した場合の補充選挙の実施は事実上不可能と考えられるのであり,こうした見地から上記の法理を適用し,本件においては,主文において選挙の違法を宣言するにとどめ,これを無効としないこととするのが相当である。

150年前のきょうから

2013年11月19日 | Weblog
春秋
2013/11/19付

 「人民の人民による人民のための政治」。あまりにも有名な一節だろう。時のリンカーン米大統領がペンシルベニア州のゲティズバーグで演説したのは、国を二分した南北戦争のさなか。150年前のきょうだった。理想は日本国憲法にも息づいている。色濃いまでに。
▼憲法の前文には次の下りがある。国政の「権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」。ゲティズバーグ演説を踏まえているとの印象は強い。続けて「これは人類普遍の原理」だとも宣言している。起草を主導した米国の傲慢の表れ、と感じる人もいるかもしれない。
▼だからなのか、自民党の憲法改正案にこの表現はない。「人類普遍の原理」ではない、と言いたいのでは。そんな臆測も浮かぶ。連想するのは、このところ中国で高まっている議論だ。人権や法の支配といった「普遍的価値」を唱える人たちに、保守的な勢力が激しい非難を加えている。「西側の敵対勢力の手先」などと。
▼そういえば自民党改正案の前文は中国憲法と似ている。かたや「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち」で始まり、こなた「中国は世界で最も悠久の歴史を持つ国の一つ」で始まる。米民主政治の理想より、中国の政治文化に親しみを覚えるのか……。そんな勘繰りをしてしまうのも自民党内の右寄りの風向きのせいか。

 今生きている人は、生まれた時には国がありました。それそれの国、歴史、文化の中で生まれました。自分でつくったのではないので、それらは人がつくっているということがわかりません。

 国、歴史、文化は、人類、人民、ひとりひとりの人がつくりました。今でも国、家族は、ひとりひとりの人がつくっています。一部の独裁者たちがつくったのではなく、ひとりひとりの自由獲得の成果です。

二宮金次郎

2013年11月13日 | Weblog
【産経抄】
11月13日
2013.11.13 03:09 [産経抄]
 子供のとき両親を亡くした二宮金次郎は伯父の家に預けられる。迷惑をかけてはならないと田畑で懸命に働く一方、儒教の『大学』を入手し、深夜に勉強した。ところがこれに気付いた伯父は「そんな勉強のために貴重な灯油を使うな」と禁じる。
 ▼金次郎は川岸の空き地でアブラナを育て、採れた菜種と灯油を交換してやっと夜の勉強を再開した。それでも伯父は「時間を無駄に使うな」と許さない。そこで今度は夜もむしろ織りなどをして働き、山に薪取りなどに行く往復の時間を勉強に充てたのである。
 ▼内村鑑三の『代表的日本人』などで語り継がれる二宮尊徳の逸話だ。小学校などでおなじみだった金次郎の銅像が生まれた所以(ゆえん)でもある。ところが、その金次郎像がどんどん姿を消してきている。学校でほとんど教えず、金次郎が子供たちから遠い存在となったからだろう。
 ▼文部科学省の有識者会議が道徳の「教科」への格上げと検定教科書の使用を求める報告書案を公表した。当然に思えるが、案の定「特定の価値観の押しつけだ」との批判があるらしい。文科省内部にも「教科書検定の基準を決めるのは難しい」と腰を引く声もあるという。
 ▼だが二宮尊徳をはじめ、近江聖人といわれた中江藤樹、「稲むらの火」の濱口梧陵ら、誰もが子供たちに生き方を教えたい人は多い。外国にもヘレン・ケラーやマザー・テレサがいる。そんな人物を語るだけで立派な教科書となる。検定も問題ないはずだ。
 ▼昨年、その試験版として『13歳からの道徳教科書』を編集した「道徳教育をすすめる有識者の会」の渡部昇一氏はこう話していた。「人生のある場面において、教科書に載った人物の良い行動原理が無意識に助けてくれると確信している」。

 「論語」を教科にするのはどうでしょう。

 二宮尊徳は、神、仏、儒を究極的には一つに至るそれぞれの道に過ぎないとして、人間形成を農業実践とともに、わかりやすく説きました。人間は、人心、欲するばかりで作ることがない心と、道心、誠(仁)に至る心とを併せもち、誠、道心と積極的に関わる行動、貢献(勤労、分度、推譲)することによって、はじめて人間形成されるとしました。

 マザー・テレサは「愛の反対は無関心」と。

 百聞以不如一見、百見以不如一考、百考以不如一行、百行以不如一果。

 故事、伝記などを語る人も少なくなりました。欲するばかりでは、畜生と同じ。伝えるだけは伝えなければ、人間は絶滅へ。