天地を 照らす日月の 極みなく あるべきものを 何をか思はむ 

わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても あはむとぞ思う

八朔の雪

2021年09月07日 | Weblog
仲秋八朔。

収穫の月の朔日。家康はこの日江戸城に初登城、祝日とし、諸大名も例年この日に城に入った。また、龍馬が「船中八策」を考えたのもめでたいこの日だとか。

船中八策の最後には「伏テ願クハ公明正大ノ道理ニ基キ、一大英断ヲ以テ天下ト更始一新セン」と。上士、下士の身分制度をなくそうとしていた龍馬は、河田小龍からジョン万次郎の民主主義の話を聞き、その思いを八策に。

八月朔日(ついたち)に吉原の遊女たちが白無垢(むく)を着ている情景を「八朔(はっ さく)の雪」と言うのです――。高田郁さんの人気時代小説シリーズ「みをつくし料理帖 (ちょう)」の中に、こんな言葉が出てくる。朔日というのは旧暦で月の初めの日を指している。要するに八朔は旧暦8月1日のことだ。

▼伝統的な日本の年中行事の世界では大切な日だった。いまの暦なら9月の前半にあたり、 当時は早稲(わせ)が実るころ。その年で初めて稲穂を刈り入れる日とされ、その初穂を神様にささげたり、親しい人やお世話になった人に贈ったりする習慣が、まず農村で根付いたらしい。やがて武家や商家にも、贈答の習わしが広がった。

▼徳川将軍家のお膝元、江戸では、別の理由からも特別の日だった。幕府を開く前、天正 18年(1590年)のこの日に徳川家康が初めて江戸城に入ったとされていて、やがて開かれた江戸幕府では正月とならぶ重要な日と位置づけられた。大名や旗本は毎年、白帷子(かたびら)に身を包んで江戸城に参上し、将軍家にお祝いを述べた。

▼そんな武士たちの慣習が幕府公認の遊里にも及んだ、というわけでもないらしいのだが、 吉原では毎年、遊女たちが白無垢姿で客を迎えたそうだ。それが冒頭に引用した「八朔の雪」のたとえとなる。明治5年の改暦で旧暦の季節感は消えたけれど、白い着物を雪に見立て涼を味わおうとした江戸っ子たちの粋に学びたい。日経春秋2014.8.1