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天地を 照らす日月の 極みなく あるべきものを 何をか思はむ 

わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても あはむとぞ思う

日光月光

2022年10月15日 | Weblog
日光、月光菩薩

天台宗では、薬師如来が東方浄瑠璃世界の教主であることから、東の国(日本)の帝である天皇と結び付けられた。妙法蓮華経に説かれる久遠実成の釈迦如来=密教の大日如来との解釈と、釈迦如来の衆生救済の姿という解釈ができる。



九六位山から宇曽岳、久住



宇曽岳には倭健、多聞天

八朔の雪

2021年09月07日 | Weblog
仲秋八朔。

収穫の月の朔日。家康はこの日江戸城に初登城、祝日とし、諸大名も例年この日に城に入った。また、龍馬が「船中八策」を考えたのもめでたいこの日だとか。

船中八策の最後には「伏テ願クハ公明正大ノ道理ニ基キ、一大英断ヲ以テ天下ト更始一新セン」と。上士、下士の身分制度をなくそうとしていた龍馬は、河田小龍からジョン万次郎の民主主義の話を聞き、その思いを八策に。

八月朔日(ついたち)に吉原の遊女たちが白無垢(むく)を着ている情景を「八朔(はっ さく)の雪」と言うのです――。高田郁さんの人気時代小説シリーズ「みをつくし料理帖 (ちょう)」の中に、こんな言葉が出てくる。朔日というのは旧暦で月の初めの日を指している。要するに八朔は旧暦8月1日のことだ。

▼伝統的な日本の年中行事の世界では大切な日だった。いまの暦なら9月の前半にあたり、 当時は早稲(わせ)が実るころ。その年で初めて稲穂を刈り入れる日とされ、その初穂を神様にささげたり、親しい人やお世話になった人に贈ったりする習慣が、まず農村で根付いたらしい。やがて武家や商家にも、贈答の習わしが広がった。

▼徳川将軍家のお膝元、江戸では、別の理由からも特別の日だった。幕府を開く前、天正 18年(1590年)のこの日に徳川家康が初めて江戸城に入ったとされていて、やがて開かれた江戸幕府では正月とならぶ重要な日と位置づけられた。大名や旗本は毎年、白帷子(かたびら)に身を包んで江戸城に参上し、将軍家にお祝いを述べた。

▼そんな武士たちの慣習が幕府公認の遊里にも及んだ、というわけでもないらしいのだが、 吉原では毎年、遊女たちが白無垢姿で客を迎えたそうだ。それが冒頭に引用した「八朔の雪」のたとえとなる。明治5年の改暦で旧暦の季節感は消えたけれど、白い着物を雪に見立て涼を味わおうとした江戸っ子たちの粋に学びたい。日経春秋2014.8.1

憲法

2018年05月03日 | Weblog
 国会は、特定の個人の職を奪う機関となったようです。憲法は人権を尊重するよう求めているのですが、おかまいなしです。無謀な人々のふるまいを正す声もありません。僅かに、財務相が事務次官に対して「全否定されるものではない」と仰ったぐらいでしょうか。

 無謀な攻撃に対して自衛する権利はないということはありませんが、ないという人がいるので憲法に自衛隊という文言を明記するのがよいという声があがっています。書けば書くほど解釈も増えますので、自衛隊を自衛権行使隊にした方がいいように思います。

 もう何年も人を辞職や自殺に追い込む人々が正しいかのように報道されてきた社会は、もう元には戻リません。何をするにも本人かどうかを疑われるのが当たり前の社会もです。ごく一部の悪い人、できない人が基準になってしまいました。

 憲法は、こうしたらいいという最善策を示しています。「公正と信義に信頼」しなければ、何もできません。

正しさは文学作品に

2017年10月15日 | Weblog
 ノーベル文学賞カズオ・イシグロの原作を森下佳子脚本でテレビドラマ化した「わたしを離さないで」が再放送されるようです(DVDも出ています)。基本的人権について考えさせられる作品です。

 真実という登場人物が、街頭で煙草を吸いながら人権を訴えるシーンが印象的です。自治体の殆どが出している禁煙条例が違憲であるとのメッセージなのでしょう。テレビ報道が政治家はじめ著名人の言葉を間違っていても正せず放送する中で、あるいは正しいことでも視聴率のためにはよくないと採用されない傾向の中で、文学作品としてなら正しいことを伝えられるということではないでしょうか。

 煙草を吸う人、安倍氏、籠池氏、加計氏などを声高にいじめる人を報道する場合には、それを人権侵害、違憲行為だと注釈を入れなくてはなりません。

 今度の選挙では愛のない人たちが減りそうな情勢で、国民の多数はちゃんとわかっているようです。