天地を 照らす日月の 極みなく あるべきものを 何をか思はむ 

わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても あはむとぞ思う

三大宗教

2009年06月21日 | Weblog
 ユダヤ教の教典、『トーラ』は、キリスト教徒が『モーゼの五書』と呼ぶ主要な五書、『創世記』『出エジプト記』『レビ記』『民数記』『申命記』と、それに付属する“歴史的文書”という呼び名の『ヨシュア記』『士師記』『列王紀』『サムエル記』によって構成されている。モーゼは出エジプト記に登場する預言者。
 タルムード(ヘブライ語:「研究」の意)は、モーセが伝えたもう一つの律法とされる「口伝律法」を収めた文書群(書いたのはユダヤ教の学者・研究者)である。6部構成、63編から成り、ラビの教えを中心とした現代のユダヤ教の主要教派の多くが聖典として認めており、ユダヤ教徒の生活・信仰の基となっている。ただし、聖典として認められるのはあくまでヘブライ語で記述されたもののみであり、他の言語に翻訳されたものについては意味を正確に伝えていない可能性があるとして聖典とはみなされない。
 ユダヤ教は聖書の旧約聖書の部分のみを認めている。救い主はこれから地上に来られると信じ、イエス・キリストを救い主と認めないので新約聖書も認めていない。

 コーラン(読まれるもの、の意)が、イスラム教の聖典。イスラム教の開祖であるムハンマドに対して神(アッラーフ)が下した啓示。ムハンマドの死後にまとめられた。
 啓典とは、神が預言者を通じて人類の各共同体に下した啓示を記した教典のことで、コーランも、コーラン以前に神がムハンマド以前の預言者たちに下した啓典があったことを明言している。聖書の各テキストはこれらが後の世に伝わった物であるとされ、旧約聖書のモーセに下された『モーセ五書』、ダビデに下された『詩篇』や新約聖書のイエスに下された『福音書』は、イスラム教ではコーランに並ぶ四大啓典に位置付けられている。
 コーランの記述では、旧約聖書は「完全無欠」と評されている。また新約聖書は「真理を照らす光」であると書かれている。「コーランだけで十分と思ってはならない。聖書も読め」と薦める箇所もある。聖書が誤っているとの記述は一つもなく「コーランは聖書の正しさを証明するためにある」とまで宣言している箇所が数多くある。
 しかし現状では、伝統的な解釈においてはコーランを除く3つの啓典は神の言葉を歪曲して完全に伝えていないとされ、神の言葉そのものであるコーランに比べると不完全なものであるとされている。現在、イスラム圏のいくつかの国では聖書は禁書とされている。聖書を「コーランと並ぶ聖典」としていた立場から、「禁書」にまでするようになったこの変化は、イスラムのかなり初期の頃にさかのぼる。イスラムが支配権を確立した後に編纂された第二聖典ハディースにおいて「聖書が正しい」と語るコーランの言葉はいっさい引用されなくなっている。かわりに「聖書よりもコーランが優れている」、「ユダヤ人から聖書の話を聞いてはならない」との記述が出てくるようになる。

エジプト訪問

2009年06月04日 | オバマ
 オバマ米大統領は4日、訪問中のエジプトでムバラク大統領との初会談の後、カイロ大学で講演しました。

 「私たちは、正義と前進、寛容と全人類の尊厳という原則を共有しています。その共通性を認識し、簡単な道ではなく、正しい道を選び、世界平和を実現することが私たちのつとめです。」と訴えました。

 演説中盤、「民主主義について、お話します」と述べたところで、拍手が起こり、「選挙を実施するだけでは真の民主主義は実現しません。」と述べたところでは、拍手とともに「Barack Obama, we love you!」の歓声が上がりました。

 名門カイロ大学の大講堂で行われた講演には、各界各層から約2500人が招待され、約1時間に及んだ大統領の講演に耳を傾けた。会場にはオバマ政権が得意とするニューメディアの機材を持ち込み、フェースブックやツイッター、マイスペースといったソーシャルネットワーキングサービス(SNS)を通じ、インターネット上で配信した。
 また、ホワイトハウスは演説後すぐに翻訳に取り掛かり、演説から12時間たった時点ですでに11言語の翻訳版を掲載し、最終的には14言語にする。演説はイスラム諸国との新しい関係づくりに言及しているだけに翻訳版はイスラム国家が中心となっており、具体的には、アラビア語、パシュトゥー語(アフガニスタン)、ウルドゥー語(パキスタン)、ペルシャ語(イラン)、インドネシア語など。さらにヘブライ語、マレー語などが追加される予定。

新たな始まりを求めて ~カイロ演説より

2009年06月04日 | オバマ
 私は、皆さんの温かい歓迎、そしてエジプト国民の皆さんの温かい歓迎に感謝します。また私は、米国民の親善の気持ちと、米国内のイスラム社会からの平和を祈るあいさつの言葉をお伝えすることを誇りに思います。アッサラーム・アライクム―あなた方の上に平和がありますように。(Applause.)
 私たちは、世界各地で米国とイスラム教徒の間の緊張関係が大いに高まっている時期に、ここに集まっています。この緊張関係は、現在のいかなる政治論争をも超えた、歴史的理由に根差すものです。イスラムと西洋の関係には、何世紀にもわたる共存と協力の歴史がありますが、対立と宗教戦争の歴史もあります。

 私たちの関係が、両者の相違点によって定義されている限り、私たちは、平和ではなく憎しみの種をまく人々、私たち全員が正義と繁栄を実現するために役立つ協力より、対立を推進する人々に力を与えることになります。このような疑惑と不和のサイクルを断ち切らなければなりません。
 私は、米国と、世界中のイスラム教徒の間の新たな始まりを求めて、ここカイロへやってきました。それは、相互の利益と尊敬に基づき、米国とイスラムは相いれないものでも、競合するものでもないという真実に基づく新たな始まりです。米国とイスラムは、重なり合うものであり、正義と前進、寛容と全人類の尊厳という原則を共有しています。
 しかし、変化が一夜にして起きるものではないことは、私も認識しています。この演説が大きな話題となっていることは承知していますが、長年の不信を1回の演説で払拭することはできません。また、本日与えられた時間の中で、私たちを現在の状況に至らしめた複雑な問題にすべて答えることもできません。しかし、前進するためには、私たちが心の中に秘めている、あまり公に口にすることがない本音を、お互いに率直に語らなければならない、と私は確信しています。お互いに耳を傾け、相手から学び、お互いに尊重し合い、合意点を探す努力を続けなければなりません。コーランは、「神を意識し、常に真実を語れ」と教えています。私も今日、そのように努力するつもりです。(Applause.) 私たちの目の前の課題を謙虚に受け止め、私たちが人類として共有する利害は、私たちを分断する力よりはるかに強いという確信を持って、私はできる限り真実を語るつもりです。

 私のこうした確信は、ひとつには私自身の体験に根差しています。私は、イスラム教発祥の地であるこの地域に来る前に、3つの大陸におけるイスラム教というものを知っていました。こうした経験から、私は、米国とイスラムとのパートナーシップは、イスラムに対する誤った観念ではなく、イスラムの実態に基づくべきである、と確信しています。そして、イスラムに対する否定的な固定観念が発生したならば必ずそれと戦うことを、米国大統領としての責務のひとつと考えています。(Applause.)
 しかし、その原則は、イスラム教徒の米国に対する認識にも適用されなければなりません。(Applause.)イスラム教徒に大ざっぱな固定観念を当てはめることができないように、米国にも、利己的な帝国という大ざっぱな固定観念を当てはめることはできません。米国は、世界有数の進歩の源となってきました。米国は、帝国に対する革命から生まれました。すべての人間は平等につくられているという理想の上に建てられた国であり、何世紀にもわたり、米国内で、また世界各地で、この言葉に意味を持たせるために、血を流して努力してきました。私たちは、あらゆる文化によって形成され、地球の隅々から集まり、ひとつの簡潔な概念、すなわち「エ・プルリブス・ウヌム(おおぜいの中のひとり)」という概念のために尽くしています。
 従ってここではっきり申し上げます。イスラムは米国の一部です。そして、米国では事実として、人種、宗教、あるいは身分にかかわらず、誰もが皆、平和で安全に暮らすこと、教育を受け尊厳を持って仕事をすること、私たちの家族と地域社会と神を愛すること、という共通の願望を持っている、と私は信じています。こうした願望を、私たちは共有しています。これは、全人類の希望です。

 言うまでもなく、共通の人間性を認識することは、私たちのやるべきことの始まりにすぎません。言葉だけでは、国民の要求に応えることはできません。そして、こうした要求に応えるには、今後何年かにわたり大胆に行動する、そして私たちが共通の課題に直面しており、その課題に対処しなければ私たちの誰もが悪影響を受けることを理解するしかありません。
 というのも、私たちは最近の体験から、ある国の金融制度が弱まれば、世界中の繁栄が妨げられることを学びました。1人の人間が新型インフルエンザに感染すれば、すべての人間が感染の危険にさらされます。ひとつの国家が核兵器を追求すれば、すべての国家にとって核攻撃の危険が高まります。暴力的な過激派が山脈の一角で活動すれば、海を越えた場所に住む人々にも危険が及びます。ボスニアやダルフールで罪のない人々が殺りくされれば、それは私たち全員の良心の汚点となります。(Applause.)それが、21世紀においてこの世界を共有するということです。それが、人間として私たちが相互に持つ責任です。

 そしてそれは、受け入れることが難しい責任です。なぜなら、人類の歴史は往々にして、国家や部族、そして宗教が、自らの利益を追求するために相手を従属させてきた記録であるからです。しかし、この新しい時代において、こうした姿勢は自滅的です。皆が相互に依存していることを考えると、ひとつの国家またはひとつの集団を他より上位に置く世界秩序は、必ず失敗します。従って、過去をどう評価するかにかかわらず、私たちは過去にとらわれてはなりません。問題にはパートナーシップによって対処し、進歩を共有しなければなりません。(Applause.)
 しかしそれは、私たちが緊張の原因を無視すべきだということではありません。むしろその逆で、私たちは緊張に正面から対処しなければなりません。そこで、そうした考え方に基づき、私たちが今、共に直面すべきいくつかの具体的な課題について、できる限り明確かつ簡潔にお話ししたいと思います。

暴力、核、そして民主主義 ~カイロ演説より

2009年06月04日 | オバマ
 私たちが立ち向かわなければいけない第1の課題は、あらゆる形態の暴力的過激主義です。
 アフガニスタンにおける状況は、米国の目標を示すとともに、私たちが協力することの必要性も示しています。
 9月11日の出来事を疑問視する人々、あるいはこれを正当化さえする人々がいまだにいることは認識しています。しかしはっきり言いましょう。あの日、アルカイダは3000人近い人々を殺害しました。その犠牲者は、米国およびその他多くの国々の罪のない男女や子どもたちであり、彼らは人を傷つけるようなことは何ひとつしていませんでした。にもかかわらず、アルカイダは、こうした人々を情け容赦なく殺害することを選び、これを実行したという声明を出し、今も大量殺害の決意を表明しています。彼らは多くの国々に支部を持ち、さらに勢力範囲を拡大しようとしています。こうしたことは、議論されるべき意見ではなく、対処されるべき事実です。
 次にイラクの問題についてもお話ししたいと思います。
 私は、サダム・フセインの専制がなくなったことで、最終的にはイラク国民にとって状況が改善した、と考えていますが、一方で、イラクにおける出来事は、問題解決に際し、可能な限り外交手段を利用し国際的な合意を築くことの必要性を米国に改めて認識させた、とも考えています。(Applause.)事実、トーマス・ジェファソンは、「われわれの英知はわれわれの力とともに増大し、力は使わなければ使わないほど大きくなるとわれわれに教えてくれることを望む」と述べています。

 私たちが話し合う必要のある緊張の原因の2つ目は、イスラエル人とパレスチナ人とアラブ世界の間の状況です。
 パレスチナ人はイスラエル建国によって難民が発生したことを指摘し、イスラエル人は歴史を通じてその国境の内外から常に敵意と攻撃を受けてきたことを指摘して、それぞれ責任を転嫁することは簡単です。しかし、この対立を一方からだけ見るのは、真実に目をつぶることになります。唯一の解決法は、イスラエル人とパレスチナ人がそれぞれ平和で安全に暮らすことのできる2つの国家によって、双方の願望を達成することです。(Applause.)
 それはイスラエルの利益になり、パレスチナの利益になり、米国の利益になり、世界の利益になります。従って私は、この作業に必要とされる最大限の忍耐と献身をもって、そうした成果を挙げることができるよう、個人的に努力するつもりです。(Applause.) ロードマップの下で当事者同士が合意した義務は明らかです。今、平和の実現のために、彼らが、そして私たち全員が、それぞれの責任を果たす時が来ています。
 パレスチナ人は、暴力を放棄しなければなりません。暴力と殺人による抵抗は間違ったことであり、成功にはつながりません。何世紀もの間、米国の黒人は、奴隷としてむち打たれ、人種隔離の屈辱を味わってきました。しかし、全面的かつ平等な権利を勝ち取ったのは暴力のおかげではありませんでした。それは、米国の建国の中心的な理想を、平和的に、固い決意を持って主張し続けたからでした。これと同じ話を、南アフリカから南アジア、東ヨーロッパからインドネシアまで、各地で聞くことができます。それは、暴力は行き詰まる、という単純な真実の物語です。眠っている子どもたちに向けてロケットを発射したり、老婦人たちの乗っているバスを爆破したりすることは、勇気を表すものでも、力を表すものでもありません。そんなことをすれば、道徳的権威の獲得ではなく、喪失につながります。

 米国は、平和を追求する人たちに合わせて政策を調整し、イスラエル人、パレスチナ人、およびアラブ人に非公式に語ることを、公式にも語ります。(Applause.) 私たちは、平和を強制することはできません。しかし、非公式には、多くのイスラム教徒が、イスラエルが消滅することはないと認識しています。同様に、多くのイスラエル人が、パレスチナ国家の必要性を認めています。今、誰もが真実であると知っていることに基づいて行動する時が来ています。
 これまでに、あまりにも多くの涙が流されてきました。あまりにも多くの血が流されてきました。イスラエルとパレスチナの母親たちが、恐れることなく子どもたちが成長するのを見守ることができる日、3つの偉大な宗教の聖地が、神の意図した平和な場所となる日、エルサレムが、ユダヤ教徒とキリスト教徒とイスラム教徒にとって永遠に続く安全なふるさととなり、モーゼとキリストとモハメッドが共に祈ったというイスラの話(applause)のように、アブラハムの子どもたちが皆、平和に交流する場所となる日を目指して努力する責任が、私たち全員にあります。(Applause.)

 緊張を生む第3の要因は、核兵器に関する各国の権利と責任をめぐる、私たちの共通の利害です。
 この課題は、米国とイラン・イスラム共和国との間の緊張の原因となってきました。何十年も続いた不信を克服することは難しい、ということは私も認識していますが、それでも私たちは、勇気と清廉な心と決意を持って前進します。この2カ国間で話し合うべき課題は多くあるでしょうが、私たちには、相互の尊重に基づいて、前提条件なしで前進する意志があります。
 私は、ある兵器について、それを持つ国と持たない国があることに抗議する人々の意見を理解することができます。どの国家が核兵器を持つかということを、ひとつの国家が決めるべきではありません。だからこそ私は、核兵器保有国のない世界を追求するという米国の約束を改めて強く明言したのです。(Applause.) そして私は、この地域のすべての国々が、この目標を共有することができると期待しています。

 私がお話しする第4の課題は、民主主義です。(Applause.)
 近年、民主主義の推進をめぐる論争が起きていること、そしてこの論争の多くは、イラク戦争に関連していることは承知しています。ここで明確に申し上げます。いかなる統治制度も、ある国家が他の国家に対して強要することはできませんし、また強要すべきでもありません。しかしながら、こう申し上げることで、国民の意志を反映する政府の実現に向けての私の熱意が弱まることはありません。どの国家も、それぞれの国民の伝統に根ざした独自の方法で、この原則を実行しています。米国は、誰にとっても最良の道を知っていると言うつもりはありません。これは、米国が、平和的に行われた選挙の結果を選ぶことができると言うつもりがないことと同様です。しかし私は、すべての人々が切望しているものがある、と固く信じています。それは、自分の考えを述べ、自国の統治方法に関して意見を述べる権利、法の支配と平等な司法行政への信頼、国民から搾取しない透明な政府、自分の選んだ生き方をする自由です。これらは、米国の考え方であるだけでなく、人権でもあります。ですからこうした権利は、世界中で支持されているのです。(Applause.)

 この約束が実現するまでにはまだ紆余曲折があるでしょう。しかし、これだけははっきりしています。こうした権利を保護する政府が、結局は、より安定し、成功し、しっかりとした政府になる、ということです。意見を抑圧しても、それを消してしまうことはできません。米国は、たとえ同意できない意見であっても、世界中で平和的・合法的なすべての意見を述べる権利を尊重します。そして私たちは、選挙によって選出された平和的な政府が、国民全員を尊重する統治を行うならば、そうした政府をすべて歓迎します。
 この最後の点は重要です。なぜなら、権力の座を外れたときだけ民主主義を支持し、いったん権力の座に着くと、他者の権利を容赦なく抑圧する人々もいるからです。(Applause.) 従って、統治する場所にかかわらず、人民の、人民による政府は、権力を持つ人々に対して共通の基準を設定します。それは、強制ではなく合意によって権力を維持しなければならない、少数派の権利を尊重し、寛容と歩み寄りの精神で参加しなければならない、自分の政党よりも国民の利益と政治的プロセスの合法的な機能を重視しなければならない、という基準です。これらの要素がなければ、選挙を実施するだけでは真の民主主義は実現しません。

AUDIENCE MEMBER: Barack Obama, we love you!
PRESIDENT OBAMA: Thank you. (Applause.)

信教の自由、女性の権利、経済 ~カイロ演説より

2009年06月04日 | オバマ
 私たちが共に取り組まなければならない第5の課題は、信教の自由です。
 イスラムには、誇るべき寛容の伝統があります。それは、宗教裁判の時代のアンダルシアとコルドバの歴史に見ることができます。また私は、子どものころインドネシアで、それを目の当たりにしました。イスラム教徒が大多数を占めるインドネシアで、敬虔なキリスト教徒が自由に礼拝をしていたのです。これこそ、今日私たちに必要な精神です。すべての国の人々が、精神と心と魂の信じるところに従って、自由に信仰を選び、実践することが可能であるべきです。宗教が繁栄するためにはこうした寛容が不可欠ですが、さまざまな点でそれが妨げられています。
 イスラム教徒の一部には、他人の信仰を拒否することで自らの信仰を評価するという、憂慮すべき傾向があります。
 信教の自由は、さまざまな国の国民が共に暮らすために必要な中心的要素です。私たちは常に、信教の自由を守る方法を検討しなければなりません。
 同様に、西側諸国が、イスラム教徒による宗教の自由な実践を妨げないようにすることも重要です。例えば、イスラム教徒の女性の服装に口を挟むようなことです。いかなる宗教に対しても、自由主義にかこつけて敵意を示すようなことがあってはなりません。

 私がお話ししたい第6の課題は、女性の権利です。(Applause.)この問題について健全な議論が行われていることは私も認識していますし、この会場の皆さんの反応からも明らかです。私は、髪の毛を覆うことを選ぶ女性は平等に扱われないという、西洋の一部の人たちの考え方は受け入れることができませんが、教育を受けさせてもらえない女性は平等な扱いも受けることができない、と考えます。(Applause.) 女性が十分な教育を受けている国がそうでない国と比べて、繁栄する可能性がはるかに高いことは、偶然の一致ではありません。
 ここで明確にしておきたいのは、女性の平等の問題は、決してイスラムだけの問題ではないということです。私は、私たちの娘たちが、息子たちと全く同様に社会に貢献できる、と確信しています。(Applause.)男女を問わずすべての人間が自らの可能性を十分に発揮できるようにすることによって、私たちの共通の繁栄を推進することができます。私は、女性が平等であるために男性と同じ道を選ばなければならないとは思いません。私は、伝統的な役割を果たす人生を選ぶ女性たちを尊敬します。しかし、それは女性が自ら選ぶべきものです。

 最後に、経済開発と経済機会についてお話ししたいと思います。
 多くの人たちには、グローバル化が相反する2つの結果をもたらすように見えることを、私は認識しています。インターネットとテレビは、知識と情報をもたらすことができる一方で、不快な性的描写や低俗な暴力を家庭に持ち込むことがあります。貿易は、新たな富と機会を生む一方で、地域社会に大きな混乱と変化をもたらす可能性があります。米国も含め、どの国でも、こうした変化が恐怖心を呼び起こす可能性があります。つまり、近代化によって、私たちは自らの経済的選択肢、自らの政治、そして最も重要な点として、自らのアイデンティティー、すなわち、私たちが地域社会、家族、伝統、そして信仰で最も大事にしているものに対するコントロールを失うのではないか、という恐怖心です。
 しかし私は、人類の前進は否定することができないということも知っています。開発と伝統が相互に矛盾する必要はありません。日本や韓国のような国々は、独自の文化を維持しながら、経済を大きく成長させました。クアラルンプールからドバイに至るイスラム教徒が過半数を占める国々における驚異的な前進についても、同じことが言えます。古代においても現代においても、イスラム社会は、革新と教育の最前線に立ってきました。
 これは重要なことです。なぜなら、いかなる開発戦略も、地中から得られるものだけに依存することはできず、また若者が失業していては維持できないからです。多くの湾岸諸国は、石油によって大きな富を築き、その中には、さらに幅広い開発に目を向け始めている国々もあります。しかし、私たちは皆、教育と革新が21世紀の通貨であることを認識しなければなりません。そして、いまだにそうした分野への投資が不足しているイスラム社会があまりにも多すぎます。