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天地を 照らす日月の 極みなく あるべきものを 何をか思はむ 

わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても あはむとぞ思う

日本廻國女王塚

2024年12月15日 | 豊の国
倭の女王卑弥呼(ひみこ)と狗奴国の男王卑弥弓呼(ひみくこ) とは平素から不仲。卑弥呼は239年魏に朝貢、親魏倭王の封号を受ける。「卑弥呼が死んだので大いに塚を作った、径は100余歩…」247年に邪馬台国からの使いが狗奴国との紛争を報告したことに発する一連の記述より



阿蘇入(あそにゅう)横穴式古墳群のある大分市宮河内阿蘇入の丘陵



古墳群の開口部のひとつ。ここから、金環、銅環、曲玉、管玉、刀剣等が出土。大正3年の道路拡幅工事の際に発掘されたそうです。その時の調査では、「この古墳群は西暦300年ごろのもの。背後の丘陵地帯は、丹生遺跡に近く古代から人々の生活の舞台だった。この上に祀られている阿蘇神社の南側一帯に古墳跡が多い。」開口部脇の説明板より



開口部は、由布岳が見えるように開いています。



開口部横に建つ石碑。建てられた文政五年、ここは臼杵藩領。「日本廻國」は、古墳時代からの呼称?やまとねこく→やまたいこく?
廻、禰、彌、弥、珎、珍、…これらは、ね、み、や、ちん、…



開口部上には、阿蘇神社元宮



大野川沿い1キロ上流、大分市宮河内火振に阿蘇神社一ノ宮



こちらの鳥居は、古墳群が多く残る大野川河岸段丘を向いています。



拝殿に黄金色に輝く神輿が置いてありました。

筑紫日向

2024年12月01日 | 豊の国
倭国造、速津媛は、海部で由布岳を目にしながら、日々暮らしていたようです。それは、その方に日が沈んでいくからでしょう。由布岳の向こうは、新羅。

大分市佐賀関白木海岸から速吸の瀬戸、由布岳



大分市宮河内阿蘇入(あそにゅう)横穴式古墳から由布岳



大分市松岡レゾナック(来年1月からクラサス)ドームから由布岳



大分市京ヶ尾小牧山1号墳から本宮山右(北)に由布岳



大分市国分、大分川国分橋から由布岳

阿蘇神社⛩️大分市宮河内火振

2024年11月29日 | 豊の国
御祭神は、健磐龍命、阿蘇津媛命(あそつひめのみこと): 健磐龍命の妻。国龍神(くにたつのかみ): 阿蘇山の神。菊理媛神(くくりひめのかみ): 縁結びの神



阿蘇入(あそにゅう)古墳の阿蘇神社が元宮



境内の木はほとんどが銀杏



鳥居は旧石器時代からの遺跡が多く残る大野川の河岸段丘を向いています。

阿蘇入横穴式古墳群

2024年10月11日 | 豊の国
阿蘇入横穴式古墳群のある小山



この小山にかどうか確認できませんが、開口部が九つあるらしく「古墳群」としています。径百程の小山です。



横穴脇の説明板抜粋「この古墳群は西暦300年ごろのもの。背後の丘陵地帯は、丹生遺跡に近く古代から人々の
生活の舞台だった。この上に祀られている阿蘇神社の南側一帯に古墳跡が多い。大正3年の道路拡幅工
事の際に発掘された。中から金環、銅環、曲玉、管玉、刀剣等が出土」。



開口部は、由布岳をまっすぐ…



開口部上に鎮座。黄泉がえり祈願でしょうか?