天地を 照らす日月の 極みなく あるべきものを 何をか思はむ 

わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても あはむとぞ思う

日本語の歴史

2008年12月31日 | 不易
 今から3千年前、100の集落、50万人がひとつの日本語文化圏を創り始めました。

 千年経った西暦57年に倭奴国大夫、107年倭國王帥升が後漢と交流していたことが後漢書に。畿内(ヤマト)・北部九州(筑紫)・北関東(毛野)・山陽(吉備)・山陰(出雲)などに大きな集落。集落間には飢饉などから土地収奪争い。184年卑弥呼邪馬台国女王を連合国の王にして倭国大乱を治め、邪馬台国は20数カ国を支配。3世紀半ばの壹與(卑弥呼の宗女)の交流を最後に、413年の倭王讃の交流まで150年近く、中国の史書から倭国に関する記録なし。国内にも。

 倭人の風俗「土地は温暖で、冬夏も生野菜を食べている。籩豆(たかつき)を用い、手で食べる。長命で、百歳や九十、八十歳の者もいる。盗みは無く、訴訟も少ない。法を犯した場合、軽い者は妻子を没収し、重い者は一族を根絶やしにする。宗族には尊卑の序列があり、上の者の言い付けはよく守られる。女は慎み深く嫉妬しない。」魏志倭人伝

 埼玉県稲荷山古墳出土鉄剣に「辛亥年ワカタケル大王」(辛亥年は471年、ワカタケル大王は雄略天皇の名)の銘。同じ場所の他の鉄剣銘には「杖刀人首」、熊本県江田船山古墳出土鉄刀銘には「典曹人」の銘。
 6世紀初頭に近江から北陸にかけての首長層を背景としたオホド王(継体天皇)、6世紀末にはいくつかの紛争に勝利した推古天皇、聖徳太子、蘇我馬子らが全国統治。

 6世紀中葉に日本に伝来した仏教は、統治と支配をささえるイデオロギーとして重視され、『天皇記』『国記』などの歴史書も編纂された。現存する最古の歴史書は712年の「古事記」。
 紙は、610年に高句麗から渡来した曇徴(どんちょう)と言う僧が、日本に伝えたと日本書紀に。和紙が大きく生産量を増やしたのは聖徳太子の仏教の布教と大化の改新による租税のための検知事業による書類のための紙。人口500万人。

 漢文訓読文は奈良時代から。中世以後、初学者や民衆向けに漢文訓読体で書かれた歴史書や儒学書、仏教経典。江戸時代には庶民向けを中心に広く定着した。人口3000万人。

 2008年人口12808万人(ピーク)。

ジングル・ベル

2008年12月25日 | 冬はつとめて


ジングルベル ジングルベル 鈴が鳴る そりをとばして歌えや歌え
ジングルベル ジングルベル 鈴が鳴る 馬をとばせていざ歌え
野を越えて 丘を越え 雪を浴び そりは走る
高らかに声合わせ 歌えや楽しいそりの歌

ジングルベル ジングルベル 鈴が鳴る そりをとばして歌えや歌え
ジングルベル ジングルベル 鈴が鳴る 馬をとばせていざ歌え
森を越え 山を越え 風をきり そりは走る
白き粉舞い上がり とびかう木々の葉 そりのかげ


久野静夫