天地を 照らす日月の 極みなく あるべきものを 何をか思はむ 

わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても あはむとぞ思う

5月20日午後、枝野官房長官記者会見より

2011年05月21日 | まつりごと
 「当該資料を用いて官邸内で説明を行ったことはない。当該資料の存在も記憶にないと。緊急参集チームのテーブルに震災発生後、初期の2週間ぐらいは私の席があり、私が席を外している間も配られた資料は全部たまっていって、席に戻ると全部一通り見ているが、私も見ていない。従って、官邸のどなたか事務方のところでこの情報が止まっていたということであるというのが、現時点まで調査をした結果だ」
 ――情報が止まっていた理由は。
 「いま、どういう理由で、ということについて調べてもらっているところだが、少なくとも結果的に重要な情報ではないと判断をしたとしか考えられないと思っている」
 ――SPEEDIは一義的には文科省の所管だと思うが、こういう重要なデータというエクスキューズがあって送られたのではないかと思うが、受け取った方は重要な情報ではないと判断したのか。両者のやりとりはどうなっているのか。
 「その間のやりとりについて、まだ把握ができている状況ではない。ただ、その数日後の段階で、私のところには、そもそも試算していない、シミュレーションしていないという報告で、そちらのことの方がむしろ本質的な問題ではないだろうかと思っている」
 ――長官はこのデータを見て重要度をどの程度認識したか。
 「もちろん、この資料を見たのは今回公表されて、報道されて、それで拝見したが、様々な知見をもっているので、これは当然その時点で私のところに報告があれば、その後の例えば避難指示にあたっての参考になったことは間違いないだろうと。そういった意味では重要であったというふうな判断はできる。ただ、12日の未明の段階で、その判断ができたのかどうかというのはなかなか今の段階で即断はできない」
 ――FAXが送られていて、きちんと説明がされなかった重要な資料は他にもあるのか。
 「これは恐らく、きちっと緊急参集センターの幹部の部屋に届けられていた資料だけでも、1時間テーブルを離れているとこんな分厚い量になっているので、おそらく隣のオペレーションルームに来て、緊急参集チームのところまで上がっていない資料の量は相当な膨大な数なんだろうと思っている。これは最近、緊急参集チーム、地下の危機管理センターの業務量、つまり実際のいま危機管理が続いている状況だから、当初に比べて落ち着いているとはいえ。そういったことのチェックができる余力があるのかどうか確認できていないが、いずれはそこに届いていたすべての資料について検証が行われる必要がある」
 ――きちんと資料をさばき切るだけの能力がなかった可能性はあるのか。
 「なぜこの資料が重要でない、あるいは届ける必要がないと判断したのかについては、現時点では推測だ。少なくとも、その後、こんな資料がたくさんあるんだったら、なぜ公表しなかったんだ、伝えなかったんだということについて尋ねた時の答えが、皆さんもご承知だと思うが、元になる放射性物質の放出量が前提になって、その影響をシミュレーションするための機械なのであって、それが分かっていない段階でのシミュレーションは、シミュレーションに値するものではないので、報告する必要がないと判断していたというのが、私などに対する報告であったので、そういった判断をされていたのかな、という推測はできる。そういった推測が正しかったとすれば、私はその判断は少し違うのではないかということは、その時点から関係者に対しては申し伝えている」
 ――FAXは12日未明以降も放置されていたのか、1回切りか。
 「そこまでまだ精査していない。しっかりと精査する必要があると思っている」
 ――FAXの送り手はどういう目的で官邸の危機管理センターに送ろうと思ったのか。ベントを行った場合の風向きが示されたと思うが、総理の視察を想定して、ベントをやった場合にどういう風向きの影響があるのかを調べるために作成されたとの指摘もあるが。
 「少なくとも総理が現地を訪ねることについて、こんなに早い段階で、相談はしていた可能性はあるが、保安院の現場のところまで決定事項とか検討事項ということで下りているようなタイミングではないと私の記憶ではそう思う」
 ――総理は11日の夜に何時に寝て、起きていたのか。
 「おそらく寝ていないと思うが、少なくとも公邸には帰っていない。官邸の執務室と危機管理センターの幹部のデスク、ここにはほとんど座っていなかったと思うが、危機管理センターのなかにある小部屋との行ったり来たりになるので、お休みになっていた時間は、例えばいすでうとうとすることはあったかもしれないが、お休みになっていた時間はない」

5月20日午前、枝野官房長官記者会見よりSPEEDIについて

2011年05月20日 | まつりごと
 ――原発のSPEEDIのデータが、昨日夕方の福山副長官会見で、総理には上がってないと発言した。本当に上がっていないとすれば、何のためにデータを取り寄せたのか。
 「これは私も見ていない。福山副長官も見ていない。危機管理センターの幹部のところには、各省いろんな関連部局から情報がファクス等送られてくるのはコピーをとって配られるわけだが、そういうところにまったく上がってこなかった。まったく少なくとも政府とか危機管理センター幹部のレベルのところで全く共有されずにあった情報であるということだ。私も報道等をみて、どういうことになっているのかと問い合わせたところだが、官邸の担当部局のところにファクスはきていたが、そこの段階で止まっていたと報告を受けている」

 ――政府のこれまでの説明は、SPEEDIの元となるプラントの放出量が分からないから使えなかったということだが。
 「だから少なくともその何日か後の段階で、SPEEDIというのがあるようだがどうなっているんだと私が問い合わせた時に、放出放射性物質量がわかることを前提としたシステムなので、これは役に立たないという報告を受けた。私から、いや逆に放射線量、周辺地域の放射線量がわかっているんだから、それは逆算して放出放射線量が逆算できるのではないかというアプローチはないのか、ということが数日後にあった。その時点での私への報告も、その2日目の未明にそうしたファクスが届いていたこととどういった整合性があるのか、しっかりと確認をしたいと思う」

 ――政府は情報はすみやかに公開したいと言ってきた。SPEEDIを公表しなかったことをどう考えるか。
 「私などからは繰り返し、すべての情報は迅速に公開するようにと指示を繰り返している。少なくとも私の手元に来ているような情報は、少なくとも問い合わせがあれば公表するということでやってきた。しかしそもそもが情報そのものの存在自体が伝えられていないなかにあったことについては大変遺憾に思っている。ただ、こうした今回取り上げられている推測も含めて、単位1ベクレルが放出された仮定でどうなるのかとか、仮にこれくらい出ていたらこういうことになりそうだな、ということも、我々の承知しないところでいろいろ試算していたものがあるということを把握した段階で、それは全部出せと指示した結果として皆さんの手元に届いている」

 ――ファクスが来て上に上がってなかったというが、その情報はいらないという判断だったのか、何らかのミスだったのか。
 「そこのところについてはしっかりと検証を、我々自身としてもやりたいし、遠からず検証委員会を立ち上げたら第三者的にも検証してもらいたい」

5.20衆院科学技術委、武田邦彦氏意見陳述より

2011年05月20日 | まつりごと



武田参考人 今回福島原発から出た量は、数京ベクレルから数十京ベクレル。通常国家が大騒ぎするレベルの例えば二十億倍、そういった量が今回の福島原発から出たわけですね。ふだん、数億ベクレルが出たときに、大変危険だというので原発を数年とめてやるということをやる政府が、それの一億倍出ても安全だと言ったわけですね。これを理解するというのは、普通には到底できません。ですから、普通の心境としては、これはうそだというふうに思うのが当然であります。したがって、現在、福島県を中心とした方々、特にお母さん方が非常に強い不安感を持っておられるということは、政府発表を中心としたものがつくり出した非常に強い不信感というか、そういうものであろうと私は思います。
 御父兄に二十ミリシーベルトが安全であるという説明ができないというんですね。それは当然できないわけです。二十ミリシーベルトは一ミリシーベルトよりも発がんリスクが二十倍になるということですから、二十倍になると言わなきゃいけないということですね。しかし、二十倍になるのをどうして我慢させるのか、私たちの将来を担っている子供たちになぜ我慢をさせるのかということをしっかりと説明しないと、お上が二十ミリと決めたからそのとおり信じなさいなんていうのは、江戸時代じゃないので、皆さんが納得しないのも当然であります。ここのところも非常に大きな問題があって、実際にお子さんを育てておられて、福島の小学校に通わせているお母さんたちの気持ちをわかって、今までの政府がやってきたものとの整合性をとってもらわないと、これは解消しない問題であるというふうに思います。
 それから、論点の第二点なんですけれども、ちょっと科学的に振りまして、私は、ずっと科学の分野で原子力をやってきて、こんなになって深く反省しておりまして、自分は原子力をやってきたのは本当によかったのか、こんな結果になるような技術をやってきたのかという非常に深い自責の念があるのでありますが、これはどこにあるかというと、一年一ミリシーベルト以上は危険であるということに基づいているわけですね。
 最近、一年百ミリシーベルトまで大丈夫だと言われる人がいて、私が非常に残念に思うのは、原子力の技術体系全体が一年に一ミリシーベルト以上は危険だということによって原子炉は設計され、研究がなされ、すべての法体系がそろっているわけですね。技術というのは、技術自身が独立して存在するわけじゃなくて、もし一年に百ミリシーベルトまで大丈夫ならば、現在の原発は安全なんです。福島原発ですら、もしも一年百ミリシーベルトという基準に変えるんだったら、あれは化学工場の火災事故と変わらないんですよ。原子力発電所の事故が危険なのは、そこから放射線が漏れて一ミリシーベルト以上の被曝をするからこそ、国家としても乗り出すような大事件なわけですね。
 ですから、今回、一年に二十ミリシーベルトとか一年に百ミリシーベルトとかは大丈夫であるということになりますと、原子力技術全体を全部変えなきゃいけませんし、原子力の安全基準から設計基準からを全部変えなきゃいけません。そして、今エネルギー議論なんかがありますが、もしも一年に二十ミリシーベルトとか百ミリシーベルトが安全であれば、別に自然エネルギーとかなんとか言わなくても原子力をやればいいわけですね。ですから、一年に何ミリシーベルトぐらいまでが日本人としての被曝として安全であるということをどこに定めるかによって、原子力政策から、エネルギー政策から、現在の被曝に対する補償から、全部変わるということですね。
 ですから、そこについて私は、現在の国際的に一年一ミリシーベルトと決まっているものを今さら変えることはないと。それを変えていたら、私たちは何のために放射線とか原子力をやるときに防御をしてきたか、何のために設計してきたのかといえば、私は原子力の仕事をずっとやってきましたけれども、原子力の機器を発注すると、普通の機器の五倍ぐらい値段がするんです。それはなぜするかといったら、一年一ミリシーベルトだから高いんですね。だけれども、突然今、百ミリシーベルトまでいいというのだったら、普通の、五分の一の安い機械を買えばいいわけですから、全部の体系が変わるわけですね。
 その中で、文部科学省が一年二十ミリというふうに変えたということは極めて大きな影響もあり、それが主に子供に対して適用されているということは非常に大きな問題であろうと思います。
 これは忌憚なく述べさせていただけば、私の技術論というのは、人間は空を飛ぶべきではないから飛行機はいけないというような議論はとらないんです。もちろん人間が空を飛ぶべきじゃないかもしれません、初期の飛行機は次々と墜落しましたから。だけれども、それがクリアされて安全な飛行機になれば飛べるということですね。
 原子力発電所もそうで、原子力自体をやるべきではないという議論、私はそういう考えではありません。原子力発電所が社会に対してよい影響を与え、悪いことをしないというのであれば、墜落しない飛行機になるわけですから、それは科学技術として採用すべきだ。
 しかし、そこのところをはっきりしておかないと、あいまいにして事柄をやると、今度の原子力発電所の事故は、原子力発電所がエネルギー政策上必要であるから原子力発電所は安全だというような論理の逆転が今度の事故を招き、多くの人を苦しめたんじゃないかというふうに思います。
 最後の論点ですけれども、現在、福島原発から放射性物質が残念ながら出たわけですね。一応、一年一ミリシーベルトを守るということを前提にお話ししますと、もやもやっとした放射性物質が出て、これは国が一番最初に間違ったことを言いましたから、多くの人が間違っていますが、皆さんが原子炉から離れれば大丈夫だと思っておられますけれども、放射線自体は光ですから、自分の目で福島原発が見えなくなったら放射線は来ません。現在、中性子は出ていませんからね。
 ですから、放射線というのは、福島原発の見えないところ、自分の目で見えないところには来ません。現在来ている放射線というのは、福島原発からどかんと爆発したときに、火山の灰のように風に流れてずっと行ったものですね。これはだから、今度の場合、西北に流れました。
 これは例えば、政府でいえば、気象庁が全力を挙げて風向きを予測しなきゃいけなかったのに、気象庁は、SPEEDIがあるから、これは原子力安全委員会が持っているんだからそっちがやれ、こう言った。今度はSPEEDIの方は、余り放射線が大きいからこれを発表しないんだという。国民は、税金を払ってSPEEDIをつくり、気象庁を持っているにもかかわらず、どこに放射性物質が飛んでくるか全くわからない状態で最初の被曝をしてしまったわけですね。
 私は、しようがないから、ブログを書くとき、これはもうブログを書いて付近にいる人を逃がさなきゃいけないと思ったものですから、そのときに私が参考にしたのはドイツ気象庁のデータだったんです。
 私はとても悲しい思いをしました。日本が科学技術立国でありながら、気象庁が、細かく花粉の状況とか火山の噴火の状況の予想図を出しているにもかかわらず、国民の命に極めて重要なことになると引いてしまったわけですね。原子力委員会のSPEEDIもそうです。
 だから、まず第一に、私たち技術者は、原子力をやっている人たちは、国民の命を原子力から守るのが第一ですから、起こってしまった事故は仕方ないので、それに対して最大に損害を少なくする行為をすべきだった。そういう意味では、極めて大きな不作為による被曝を福島の人たちにさせてしまったという感じがいたします。
 ところで、ふわっと飛んでいくわけですから、単なる粉なんですよね。放射性物質というのは単なる粉なんです。粉と言ってもいいし、ちりと言ってもいいし、ごみと言ってもいいし、何でもいいんですけれども、そういったものなんです。大きさは大体花粉みたいなもので、重さは黄砂ぐらいのものだ。
 そうすると、飛んでいきますから、三月はどうだったかというと、空間の線量が高いわけです。それで、福島原発から放射線が来たんじゃなくて、この部屋でも結構今ありますけれども、ここの部屋に福島原発から飛んできた放射性物質が何億とあるわけですね。そこのちっちゃいところから我々は弱い放射線の合計を受けて、それで現在ここは、自然放射線〇・〇二に対してその十倍であるとか、そういった量になっているわけですね。
 だから、三月の最初は空気が汚れているわけです。四月の初旬になりますと、私のブログの読者から寄せられるデータをずっと整理しますと、地面に落ちますから、地面が非常に高くなる。そのころ、私は、お子さんを外出させるときは手を引かないで、だっこしてくださいと言ったんですね。やはり下よりか上に行かなきゃいけません。
 四月の下旬から連休になりますとそれが流れまして、屋根に乗った放射性物質は、といに出てきます。それから、散ったものは吹きだまりに集まります。それから、現在は、側溝からさらに進んで升のところに移っています。
 この前、福島県に行って測定してきましたら、普通のところが〇・九マイクロシーベルト・一時間に対して、側溝の溝をはかりますと九マイクロシーベルトでした。九マイクロというと物すごく多くの被曝をしますから、絶対に子供を近づけちゃいけない。だから、僕はそこの人に、黄色い枠をしてくださいと言ったんですね、子供が近づかないように。
 このことは何を言っているかというと、放射線を防御しなきゃならない国としては、時々刻々、正しくやらなきゃいけない。ところが、自治体なんかで放射線の量をはかっているんですよ。それで、地上十五メートル、五階なんかではかっているところがあるんです。それに文句を言いますと、いや、機械が高いから、壊されるといけないから五階ではかっているんだというんですよ。五階なんかに人はいませんからね。赤ちゃんは特に危ないわけですけれども、〇・五メートルぐらいではかってくれなきゃいけない。だから、公表されるデータ自身がいいかげんなわけですね。これは命にかかわることだから、そんな機器の値段なんか言っていないで、やはりちゃんとしたデータを国民に提供するということが非常に重要だと思います。
 それから最後に、粉でありますから、除けるんですね。それで、校庭だったら校庭の表土を取る。チェルノブイリのデータを見ますと、はっきりはわかりませんが、二十年で二十センチ沈んでいますので、一年に一センチの割合。だけれども、日本は雨が降るので、もうちょっと進行するとします。ですから、梅雨の前に、福島県の汚染されたところをとにかくのけてほしいんですよ。これはぜひ先生方のお力で、のけてほしい。
 今は逆の方向に行っているんです。要するに、汚いものがもうそこにある。もしもお母さんが放射性物質が目で見えれば、絶対にふきます。ふいて取ろうと思います、だって、そこに毒があるわけですから。なぜそれをどけないのか。
 それをどける努力をせずに、基準を二十ミリに上げたり、放射性物質が入っている野菜が基準以下だから安全宣言なんかしたって、無駄なんですね。問題は被曝の量を減らすということですから、そのためには、現在立入禁止になっているような高いところは自衛隊なんかの協力も得てできるだけ早く除染しないと、もう一回風が吹きますと、道路に落ちている粉は、舞い上がってほかに行きます。ですから、早くとめなきゃいけない。
 それから、もちろん福島市のある程度のところは汚れておりますから、これの表土を一番早いうちに取ればいいんですよ。この前福島に行ったら、残念ながら、もう稲を準備しちゃっているところがあるんです。土をまぜちゃったら下の方に行きますから、これはもう二十年ということになるわけですね。ですから、できるだけ早くやらなきゃならない。
 それから、小学校の土をひっくり返すというのがあるんですけれども、何をやっているのという感じですね。ひっくり返せば、低レベル廃棄物というか、そういう放射線を帯びたものが土の中に入ります。雨が降れば地下水に行きますね。セシウムは土とのなじみが深いからすぐには移動しないかもしれませんが、ずっと移動していくわけですね。地下水に移動したらとても厄介なことになるわけです。ですから、この際、非常に強い決意を持って福島のところを除く。
 科学技術は原発をつくる技術だけじゃないんです。原発の技術というのは、原発が壊れたときに、それを速やかに除染して、何でもなかったことのように生活できるようにするというのも技術なわけですね。これも原子力発電所をやる上においては極めて重要な技術なわけです。
 日本は科学技術立国でありますし、経済力も非常に強いのですから、世界に先駆けて、私は、原発が爆発したら多少困るけれども、きちっと住民を避難させて速やかにそこを除染したら、除染したらというのは放射性物質を除いたら、一年以内に必ずそこで普通に住めるようになる、そういう国であるということを示してもらいたい、それも実は原子力をやる上での技術の一つじゃないかというふうに思います。
 それからもう一つ、一年一ミリシーベルトを上げると、日本はもう既に汚染された国なんですね。我々が自由に海外旅行に行き、海外のレストランで安心して食べ、海外から輸入される水を安心して飲むのは、世界じゅうがICRPの基準で一年一ミリだからなんです。それを日本だけが一年二十ミリにしたら、日本の農産物ばかりでなく、すべての製品、テレビに至るまで輸入禁止がかけられても文句は言えないわけですね、赤ちゃんを抱いて日本に旅行に来たら二十倍の被曝をするということを国際的に宣言しているわけですから。もちろん、健康にも影響がありますし、日本に与える経済的な影響は極めて高いというふうに思います。
 私は技術者ですので、いろいろ政治的なことは別にいたしまして、ぜひ、できるだけ早く日本の技術力を動員して、まず第一に梅雨の前、第二には風が吹く台風の前に、すべて除いて、木なんかに、葉っぱなんかにはつきますから、適当に、夏ぐらいには雑草も葉っぱも全部切って、回収できるフィルターのついた焼却装置で焼却すれば、福島を一年以内に安全に住めるところに戻すということが極めて重要なことではないかというふうに思います。

5.20衆院科学技術委、参考人質疑より

2011年05月20日 | まつりごと



武田参考人 日本の技術力、工業力、財力をもとにして、福島原発の近くも含めて一年1ミリシーベルトに下げて、数字をいじくるのではなくて、一年1ミリシーベルトに下げるということが不可能であるということは、私は全然そう思っていません。きちっと動員をして予算をかけてやれば、私は大地を取り戻すことができると思いますし、日本は国土が非常に大切ですから。
 今は、例えば年明けまでに帰れることを検討すると言っておられますけれども、何をして下げるのかということが全く示されておりません。これこそ、国が真っ先にやる。どうしても3ミリシーベルトぐらいまでしか下がらないというのであれば、その具体的な方法と時期を示して、そして説明をすべきだというふうに私は思います。

 私は原子力に反対なわけでもないし、今まで私の研究もそうでありましたが、それはどこにその信念があるかといったら、一年1ミリシーベルトを守るというところにあります。
 先ほど陳述のときに申し上げましたように、技術というのは完全なものではありませんが、ある合意をなしてそれを実施するのが技術者としての責務でありますから、1ミリを20ミリにするということを決めることはできません。なぜできないかというと、100ミリ以下は明確な学問的な結論が出ないわけであります。明確な学問的な結果が出ていないのに、20ミリが安全であるということは科学者としては言えません。それは、20ミリはわからないということしか言えません。
 それから、社会的な合意では一年1ミリですから、もちろんその範囲にとどめるべきである。しかし、この問題は、原子力発電所をつくったときに、それに対して被曝するときにどうするか、例えば水はちゃんと国家が用意するのか電力会社が用意するのか、子供たちが被曝したら疎開の小学校は用意しておくのかしておかないのかといった、原子力発電所を世の中に置くということに対して日本社会がどのような対応をするかということが、法律上も電力会社の倫理上も我々技術者の側もほとんど抜け落ちていたということなので、それにさらに輪をかけて、子供たちに20ミリシーベルトというのが安全であると。これはいろいろな人が安全であるとは言っていないとか言っていますけれども、現場では父兄に対して、父兄が安全ですかと聞くことに対して安全ですと答えざるを得ないわけですね。だって、そこで児童を遊ばせるわけですから。
 ですから、そういうような小手先のことではなくて、もう少しがっちりとした、反省すべきところは反省して、今被曝している人たちをどうするかということを非常に早急に、もう二カ月もたちましたから、私は、決めて行動していかなければいけないと思います。

 私は、現在、福島原発は壊れていますけれども、日本の原発の中で一番安全なのは福島原発だと思います、もう壊れていますから。一番危険なのは、私は「もんじゅ」だと思います。「もんじゅ」の危険性の第一は、「もんじゅ」の事故を隠しているということですね。そういう体制の中では巨大技術を安全に運行することはできません。それから、二番目は浜岡原発で、これはとまりましたけれども、まだ2、3年は燃料がありますので、十分に気をつけなきゃならない。ただ、福島原発が津波でやられたから浜岡原発は防波堤をつくるなんというつまらない議論で浜岡原発が議論されている限りは、やはり技術的には危ないと思います。次に危ないのが日本のほかの原発で、原子炉を除いて、システムとして全体を考えれば、青森県の東通原発が震度四で全電源を失いましたけれども、それを見てわかりますように、国民の被曝という点で考えれば、震度三から五ぐらいで設計されているわけで、別に、福島原発が震度6で壊れたところで何も驚くことはないわけですね。
 今度、事故が起こって私が何を思ったかというと、福島原発は震度5ぐらいで壊れるようになっているわけですよ、原子炉だけは違うけれども、全部終わって見れば。そのことは何もショックではありませんでした、残念でしたけれども。問題なのは、次々と出てくるうそです。このぐらいうそが多くつかれるのであれば、日本は巨大技術をやる資格はないというふうに思いました。
 それから、除染ですけれども、私もいろいろ計算をしまして、町の中はどういうふうになる、それから山野はどうだ、重機の入るところ、重機の入らないところをやりまして、福島原発の周りの5キロぐらいのところに全部汚染された土地を戻すと、やはり15メートルぐらい上がっちゃうなという気がします。ただ、できないことではないし、状況を見ていますと、それを十分の一ぐらいにすれば、表土を1センチぐらい取れば、土を入れかえることなく、ことし実施してしまえば、1ミリシーベルトの枠の中に入る可能性がある、そういうふうに思っています。それから、特に葉っぱとか木々については、ちょっとこびりつく性質もあるので、夏ぐらいになって、土の上に載ったものがもう一回風で吹かれると葉っぱなんかにつきますので、適切な時期に雑草とか木の葉を全部切って、木自体は切る必要はありませんが、回収つきの焼却炉をつくって、そこでそれを順次燃やしてきれいにしていくということが必要かと思います。

 今回の事故が毎年続くわけじゃありませんので、多くの人にとっては一生に一度ぐらいの体験であると思いますから、被曝をする機会の起こるようなプールとかそういったものは別なものにかえるということを積極的にやるべきだと思います。それから、もちろん福島の除染を最優先にすべきだと思いますけれども、通学路なんかで非常に放射線の高いところと低いところがあります。したがって、できるだけ早く詳細に、どこがどのように汚れているかということを示すということが大切だと思います。これは、多くの福島以外のところでも、もちろん気流の関係とか雨の関係で非常に高いところと低いところがあります。それが非常に不完全な形で公開されている。そこら辺の人が行動をとることが難しい、こういう状態になっていますので、ぜひ全部を合わせて、除染の前でも、個人の被曝が減るような具体的な行動をとっていただければと思っています。

 私が決断をできて、装置をつくれる立場にあれば、事故直後は別にして、四月の上旬には、まず第一に放射線で汚れたものを蒸留する蒸留装置を発注します。濃縮されたものが減容されましてドラム缶に詰まりますから、それをとりあえずしまっておく仮の貯蔵所をつくります。さらに、各所から集まってくる土壌を洗浄する装置をつくります。洗浄した汚水がありますから、その汚水を蒸留して除くことができますから、その装置をつくります。
 それからさらに、樹木もしくは野菜ですね。大変に悲しいことを言わなきゃいけませんが、福島でとれる野菜は汚染されたものが出てくるわけであります。福島の現在の汚染された地域でとれる野菜とか農作物で汚染されていないものをとるということは不可能でありますので、それを認めて、買い上げて、焼却をして、そこからの放射性物質を回収する。とりあえず、洗浄装置、蒸留装置、焼却装置、それに回収装置をつけたものを、直ちに私だったらつくります。
 それは、放射線がこれだけ大量に何京ベクレル出たということは、同時に、それを除去することを実施しなければ、全く手も足も出ないわけであります。
 それから、これを言いますと政治的には問題だろうと思いますが、私は政治家でないので十分に言わせていただきますと、既に青森には放射性物質を処理する大きな装置があります。それを折衝して、同じく原子力発電所から出てくる廃棄物も、それから不幸にして今度漏れた廃棄物も科学的には同じものでありますから、それを日本全体としてどのように処理するかということを決めなければいけないと思います。また、青森県の鰺ケ沢町のように、みずから放射性廃棄物を引き取るというふうに手を挙げているところもあるわけですから、これは震災前でありますが、したがって、そういうところとの折衝も開始して、福島県を汚したものをできるだけ早く影響のないところに格納していくということをとにかく早くやっていく。工学的にも技術的にも必ずできるものでありますので、実施すべきだと思います。

 文部科学省が20ミリまで安全だと言ったものですから、福島県に、私も薫小学校にも参りましたが、何しろ、周りはみんな、安全だ、安全だ、あなたは変人じゃないか、放射線が怖いというのは変人じゃないか、こういうふうに言われる人が多いわけですね。それから、例えば土をのけて子供に対する被曝量を減らそうと思うと、文部科学省が決めた3.8よりか低いのに何で減らすんだと。こういうふうに、原子力安全委員会が言っておられることと全く違うことが現地では言われているということが極めて大事なことだと思います。
 それから、現在、既に子供たちが被曝している最中に、1ミリがいいとか100ミリがいいとか、何とか効果があるなんということは、私は発言すべき時期ではないと思うんです。それは、事柄が終わって、できるだけ子供たちの被曝を抑えて、大地を取り返した後、学者の先生方がもう一回ゆっくり議論して、一年100ミリだろうが1000ミリだろうが決めていただければいいことであって、今までずっと億ベクレルでも危ないと言っていた、今の一億分の一でも危ないと言っていた国が今急にそんなことを言うのは非常に不見識であるというふうに思います。また、文部科学省は神様ではないので、二十ミリが安全だとか、そういうことを決めることすらできないというふうに私は思っています。

 今回は全く、初動は、国というのがないんじゃないかと思うような状態でしたね。御存じのとおり、原子力発電所の事故というのは、最初の一撃でほとんど90%の被曝が決まってしまう。内部被曝は、飛んできたものを呼吸すれば直ちに体の中に入ってしまうということで、私も自分で福島の原発の近くの人の内部被曝を計算してみましたけれども、大変な量の内部被曝であります。したがって、逃げるということ、マスクをするということ、そういった初動操作がほとんどなされなかったということで、はっきり言えば、日本には政府がなかったということは非常に明らかであるというふうに思います。
 これの根本原因は、私は長く、四十年ぐらい原子力の仕事をしてきましたけれども、徐々に徐々に原子力行政というのは甘くなって、保安院なんという、安全を管理するのか推進を管理するのかわからないようなものが次々とできて、データが出てこない。一方、魚の放射線の規制値がなかったことでわかるように、事故が起こらないから、事故が起こることを想定したことは考えるなということが長く続いたことによって、今回のように、飲み水も被曝も何ら防御することができないという状態で福島県の人が被害を受けたことは、原子力に携わる者としても非常に残念ですし、また申しわけないことをしたと私なんかは思っています。
 それから、3号機なんですけれども、プルトニウムの炉が始まる、やはりこれもウランと同じである、何にも変わりないということで、ほとんど検討がなされずにスタートした。それから、「もんじゅ」の件もそうですが、前に事故を起こして、配管がちょっと割れてどうなったということがほとんど思想的には改善されずにまた再開された。しかも、事故ということを表に出さないで処理されているというようなことで、やはりこれは早急に、我々が原子力発電所というものをもし動かすならば、事故に対して、はっきりとした指針とか技術的なもの、退避体制、それを整えなければ、私は、同じタイプの飛行機が一個墜落したわけですから、その原因を追求するまでほかの原発はとめて、安全なものから再スタートするということをしなければ、巨大技術の安全は保てないというふうに思っています。

 国民の健康を守るという点で今一番抜けておりますのは、ストロンチウムとかプルトニウムという非常に重要なものが測定値すら出てこない。アメリカではプルトニウムが出てきて、アメリカで出てきているのに日本で何でないのかとよく私は聞かれるんですけれども、いや、日本の政府がはからないからだ、こういうふうに答えざるを得ない。ハワイで検出されて、福島で検出されないんですかと。3号機は相当程度ぼんと上に来ましたから、当然そこからプルトニウムとかストロンチウムのような比較的重たいものが出ているはずで、これは私は、これからの原子力のことを考えても、早くはかって公表して、特に魚なんかもそうですけれども、海水に出たのは初めてですので、もっとデータをはっきり出して、そして、避難するなら避難する、食材からの被曝を下げるなら下げるということを非常にはっきりと言わなきゃいけない。3号機を動かしながらプルトニウムの測定をしない、一週間で出るプルトニウムの測定値を、内部で検討しなきゃならないから一カ月かかるというようなことを言っておるわけですから、全く被曝される方のことを考えずに動いているというふうに思います。

5.18衆院文科委、武田邦彦氏意見陳述より

2011年05月18日 | まつりごと



 まず最初は、日本の原子力発電所の自然災害に対する安全性であります。2006年に日本の原子力発電所は新しい地震指針というものが決まりました。そのときにどういうことが決まったかといいますと、まあ余り安全じゃなくていい、残余のリスクというのを認めようじゃないか、そういうことでした。これが現在では想定外という言葉で言われておりますが、その基準には「残余のリスク」という言葉で説明されております。それで、残余のリスクを認めるということはどういうことかといいますと、言ってみれば、建設側、電力会社の想定した想定外のことが起これば、その結果が三つ明記されております。第一に、施設が壊れること、第二に、大量の放射線が漏れること、第三に、「著しい」というのは説明書に書いてあるんですけれども、著しく住民が被曝すること、この三つが起こることを認めなければいけない。そういう指針がこれは正式に通っております。
 ということはどういうことかというと、日本国が、原発は想定外であれば倒壊して、大量の放射線が漏れて住民が被曝する装置であるということを構わないと認めたことでありまして、私は大変にびっくりいたしました。それまで比較的、私はずっと原子力の仕事をやってきましたので原子力をもちろん推進しておったわけですが、これはもうだめだと。何でだめかといいますと、もともと壊れるようなものをつくって、大きな災害になって、それで原子力を続けるなんということは技術的にはもう全然できないことでありまして、私はやや批判的になりました。つまり、国策で進めている技術が大災害をもたらすということが技術的、論理的にはっきりしたということでして、それはもうとてもやっていけないというのが私の感想であります。
 その後、震度6の柏崎刈羽原子力発電所が壊れたのが2007年、今回、2011年に同じく震度6で福島第一原発が壊れ、さらに、余震で女川と東通原発が電源を失ったりいろいろなトラブルに巻き込まれる。その中でも、特に青森県にあります東通原発は、震度4で全電源を失う。私は技術者でありますので、そういうような技術的な作品といいますか、そういうものをつくる、また運転するということ自体が極めて大きな問題であろうというふうに思っています。
 それで、浜岡原発がこの前停止になりましたか。原子力発電所の自然災害による弱さというのはどこにあるかというと、いろいろな原因があるんですが、一番大きいのは、原子炉は守られているけれども、そのほかは守られていないということなんです。例えば、今度、福島で電源系が落ちました。そうしますと、多くの人が津波に備えなきゃいけない、こう言っていますけれども、そんなものじゃないわけです。原子力発電所は極めて複雑なものでありますから、地震と津波に備えればそれで終わりというものじゃありませんで、熱交換器のパイプが外れても同じことが起こりますし、計測系に間違いがあっても同じことが起こります。したがって、どこに問題があるかというと、原子炉は比較的強く守られておりますが、原子力発電所全体の安全は非常に弱いということです。
 これはなぜかといいますと、私は地震指針のときに専門委員で地震指針の審査に当たったわけですが、その冒頭に私が、この指針は原子炉を守るための指針なのか付近住民を守るための指針なのかという質問をしております。この意味は、原子炉だけを守るのと、原子力発電所全体を守り、かつ付近住民が被曝しないということを守るのとでは、設計上大きく違ってまいります。どちらをとるかということが極めて重要な問題であろうというふうに思っています。
 そういうことで、私の技術的な見解、飛行機が欠陥があって墜落しますと、その時点でその飛行機の使用を一応やめて、検査をして原因を明らかにしてから飛行機の運航をするというのが技術的な常識であります。福島原発では、論理的に原子力発電所が壊れるという設計どおりのことが行われたわけです。その設計どおりのことが行われてそれで壊れたわけですから、これはやはり日本のほかの原発を全部とめて、そして設計の見直しを行って、安全の見直しを行って再開するのが、技術的には正しい方法であろうと私は思っています。それによって原子力発電所が安全に動くことができる。飛行機も、かつては墜落しましたが、現在では非常に安全に運航しているわけですけれども、それは、そういった技術的な観点がはっきりしているということが技術の進歩をもたらしているのであろうと思っています。
 それから、論点の第二ですけれども、これは、非常に原子力発電所というのは奇妙で、今言いましたように、壊れるのがわかっているものを動かしているという問題が一つと、もう一つは、技術の問題は必ずしも100%安全ということはあり得ないわけです。したがって、必ず、事故が起こったら何をするかということは決めておかなければいけないわけであります。
 この前、ある電力会社とプライベートな会合をやりまして、私はこういうふうに質問しました。原子力発電所が壊れたら、我々の市は水源を失うんだけれども、電力会社はペットボトルを用意されていますか。していないと。そのうちには空間線量率が上がって子供たちを疎開させなきゃいけないけれども、電力会社は疎開先の小学校をどこに用意していますか。用意していないと。そのうちには土地が汚れて、土地の土を持っていかなきゃならないけれども、その土を持っていくところはどこにありますか。ないと。
 私は、現在の社会で技術的に適用されている巨大技術というのは、すべからく、その実施者がそれに何かあったときにちゃんとその始末をする責任を持つ、もしくは実施能力を持っているがゆえに認められているというふうに思っています。ある技術をやって製品をつくって、僕は技術を長くやってきましたけれども、それが壊れたら何も知らないというふうな技術が存在する、それがしかも国策でやられているということは、非常に私は違和感を感じます。
 それとともに、きょうは放射線の御専門のお医者さんがおられてちょっと言いにくいんですけれども、事故が起こる前、我々は、原子力発電所の安全を保つために、常に一年一ミリシーベルトを基準に設計してきたわけです。あらゆることをやってきたわけです。事故が起こって、突然一年百ミリシーベルトまで大丈夫なんと言われたら、設計の根幹が崩れます。一年に百ミリシーベルトまで安全なら、原子力発電所は突然安全に変わります。私たちが原子力発電所の安全技術というのをつくるときは、まず第一に、医療関係者が一年何ミリシーベルトまで大丈夫だということを基準に設計を始めるわけです。
 したがって、そこが揺らいだら、原子力発電所というものをつくること自体がもともとできないと私は思いますので、今回の事故が起こって、何ミリシーベルトまで安全だなんという話が出てくるということ自体が、私はもう非常に違和感を感じております。これでは技術をつくることはできませんです。
技術は必ず、それのもたらす社会的結果において、それを防ぐための対策を主体として設計するものでありますから、例えば自動車でも、時速が千キロまでというのだったらまた設計が変わってきますし、時速十キロに制限されたとなったらまた変わってくるわけです。だから、そこのところは非常に根幹であって、現在そういうことが、三・八マイクロシーベルトであるがどうとか、それを議論しているというようなことでは、私は巨大技術をやることはできないと思っています。
 それから三番目の論点は、原子力基本法が成立いたしまして、原子力は常に民主、自主、公開でなければいけないという原則がありまして、私は技術者として今までやってきまして、この原則があるという前提で原子力は安全に技術として展開できる。つまり、現在では一番大きな問題は公開でありますが、これは、原子力基本法ができたときに日本学術会議が、原子力についてはあらゆるプロセスですべて公開というような要請をしておりますけれども、私も技術者の一人として、公開がなければこのような大きな技術を安全に運行するということはもうほぼ不可能であるというふうに思いますので、その点も御考慮いただければと思います。