天地を 照らす日月の 極みなく あるべきものを 何をか思はむ 

わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても あはむとぞ思う

葵祭

2009年05月15日 | 夏は夜
 上賀茂、下鴨神社の例大祭、葵祭。6世紀の中頃、欽明天皇の頃に凶作が続いたので、卯月中の酉の日、賀茂神の祟りを鎮め、五穀豊穣を祈ったのが始まりと伝えられる。5月3日の流鏑馬神事に始まり、4日に神に娘をさしだす斎王代御禊の儀、5日歩射神事、12日に神霊を迎える御蔭祭、同日深夜の御阿礼神事と続き、15日の葵祭となる。

 この日は、人々は皆、葵の葉をかざすので、思う人に逢えると光源氏は「はかなしや 人のかざせる あふひゆえ 神のゆるしの けふを待ちける」と詠み、徳川家は、葵の葉は神事に使われる神聖な葉として、家紋に。

 浅草では、三社祭りが始まり、夏祭りたけなわ。

プロンプター

2009年05月11日 | オバマ
 オバマ米大統領は9日夜、ワシントン市内で開かれたホワイトハウス記者協会主催の毎年恒例の夕食会で演説した。毎年恒例のこのパーティーでは、大統領がユーモアあふれるスピーチをして出席者を楽しませることになっている。

 大統領はまず、「本当はここに来たくなかった。前任のブッシュ氏から継承した問題の一つだ」とジャブ。日ごろのスピーチではプロンプターと呼ばれる装置に映し出される原稿を読んでいるだけではないかと揶揄されていることを受け、神妙な表情で「きょうは心を込めて話をしたいと思います」と手元の原稿を折りたたむとウィ~ンと大げさな音をたてて両サイドのプロンプター装置が作動、あたりを見回した。

 民主党内で昨年、大統領候補指名を争ったクリントン国務長官について「彼女は(新型インフルエンザが流行する)メキシコから戻ったとたん、私を熱く抱きしめてこう言うんだ。『あなたも行ってらっしゃい』ってね」
 テロ容疑者への「水責め」を容認、狩猟中に友人を誤って撃ち重傷を負わせたチェイニー前副大統領について「チェイニー氏は欠席だ。家で『友人の撃ち方と尋問のやり方』という回顧録を執筆中だから」など。

 そして、クールなイメージであることから「次の100日間で私は、なんとかこの冷静さを失うべく検討する」「テレプロンプターに頼らないでも済むように私は練習するし、ジョー・バイデンはテレプロンプターから外れずに喋る技を身につける」。(何かと予定外の失言を繰り広げて物議をかもす副大統領だから)と。

最善手を求めて

2009年05月09日 | Weblog
 破天荒人生「最後の無頼派」と言われた囲碁の名誉棋聖、藤沢秀行さんが、昨日亡くなった。享年83。

 「免状のハードルが高すぎる、赤字体質の改善は遅々として進まず、世界に通用する棋士を育てようとしない、執行部に将来の囲碁界への展望もない」と日本棋院とは別の独自の段位免状を発行、日本棋院から除名処分を受ける。「この間の生きざまというか囲碁人生は、それまでと何ら変わることがありませんでした。研究会や合宿も以前と同じようにやってきました。私自身は拙を守って、このまま朽ち果てるつもりでした。」執行部は一新され、いい方向に動き出すと「老残の身にできることはそう多くはないでしょう。しかし日本棋院に育てられた私が、最後の力を振り絞ってお役に立てることもあると思います。」と日本棋院へ復帰した。

 碁とは盤上に描かれる「生の表現」だという思いを抱き続けた。「どうやったら強くなれるか」という問いに、「定石にとらわれずに、いちばん打ちたい手を打てばいい。楽しい思いだけで強くなれるはずがないんだ。自分自身が苦しんで、工夫しなくてはいけない」と「自分がいいと思ったことはどんどん教えてしまう。その結果、若い人が自分を負かしてしまっても、それは仕方のないこと。」無論人一倍勝ちたい。でも、勝つことより大事なことがある。
 御城碁十九戦無敗、碁聖、本因坊秀策の扇子には「戦いが終わり、互いに碁石を片づけた後の何もない碁盤を見渡せば、そこには戦った跡などひとかけらも残っていない」と。

 がんを乗り越えて最高齢記録66歳で輝いた藤沢棋聖「王座」のタイトルを翌年防衛し、「棋士は死す迄遠く果てしない荒野をさ迷える者」と語った。棋聖戦6連覇の偉業は、高利貸しに追われ、自宅を競売にかけられる修羅のなかで成し遂げられている。「最善手を求めて命を削っているから、借金も女も怖くない」と。

心の架け橋

2009年05月08日 | Weblog
 アメリカ東部マサチューセッツ州にあるジョン万次郎ゆかりの住宅が4年前から空き家になり、老朽化した状態で売りに出されていたのを「万次郎のルーツを守ろう」と聖路加国際病院理事長の日野原重明さんらが募金を呼びかけたところ、1年間でおよそ1億1000万円が集まり、修復が実現した。この家は「ホイットフィールド・万次郎友好記念館」と名付けられ、資料館や交流活動の拠点として一般に公開されるという。

 長い間、鎖国を続けていた日本。漁で嵐に遭い、漂流していた万次郎がホイットフィールド船長に助けられ、アメリカに足を踏み入れた5月ハナミズキの頃。開館記念式典はそれにあわせて行われた。日本の心を開き、心の架け橋たらんと鎖国の日本に戻り、尽力した万次郎。日本が鎖国をやめ、横浜、長崎、函館の三つの港を開いて150年。今も万次郎、ハナミズキが架け橋となっている。

こどもの日

2009年05月05日 | Weblog
 「父と兄は私をきれいだと思ってくれていて、わたしにも毎日そう信じ込ませてくれたの」「賢くて、信念があって、ユーモアもあると言われながら育った。そんな風に言ってくれる人がいない女の子も多いけど、私は幸運だったわ」米ピープル誌「世界で最も美しい100人」に選ばれ、ミシェル・オバマ米大統領夫人が、子供の頃をどう育ったかで想いを述べていた。

 この100人に政治家夫人が選ばれるのは珍しい。ミシェル夫人は、シカゴの労働者階級の家庭からプリンストン大やハーバード大という米有数の名門大学で学び、弁護士として企業法務や福祉活動の分野で活躍。夫同様、「アメリカン・ドリームの体現者」ともいわれている。オバマ氏は自著「合衆国再生 大いなる希望を抱いて」で、「妻に会った人は、会うとほとんど同時にずばぬけた人物だと結論する」「選挙で彼女と戦うことになったらあっさり負けるのは分かっている」と書き、ミシェルさんに頭が上がらないことを告白している。

 父親のオバマ氏は娘のマリアちゃん(10)とサーシャちゃん(7)にホワイトハウスに入ったら犬を飼うと約束。しかし、母親の悩みは万国共通のようで、ミシェル夫人は、「子どもたちが犬の世話をしてくれると思っていたのに」、毎朝5時15分に起きて散歩させているのは自分だと語り、愛犬ボーの散歩が今では自分の役割になっていることを明かした。それでも夫人は「世界一の子犬。死ぬほど好き」「犬が欲しいと子どもにせがまれている皆さん、親であるあなたたち自身が犬を飼いたいと思っていることが大切です」と述べ、母親の心構えを説いた。

 ミシェル夫人は「ファーストレディーになっても一番の仕事は母親であること」と話し、2人の娘の子育てを最優先する考えを明らかにし、「マム・イン・チーフ(最高位の母)」と呼ばれている。「2人の娘を見ていて気付いたの。大切なのはおいしい野菜をつくること」と、ホワイトハウスに家庭菜園をつくり、いずれは夫に草むしりをさせるらしい。