しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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聖日の朝に <ペテロの復活>

2018-04-01 | みことば静想

チューリップの列「しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ22:32新改訳)

主イエスの御復活はペテロの復活とも深い関係をもっている。もちろんペテロの復活とは「ペテロの立ち直り」を指しているのだが・・・。▼十字架の直前、サタンは十二弟子たちの背後にあり、見えない世界にあっての攻撃は最高潮に達していた。そのすべてが見えていた主は、地上最後の食事の席でペテロに真相を告げる。「サタンはまもなくお前たちをふるいにかける。その許可を御父に願って許されたから」と。▼こうして彼らはゲッセマネで祈れずに熟睡し、蜘蛛の子を散らすように逃げ去り、ペテロは女中の言葉におびえて師をうらぎり、泣き崩れた。もし主の祈りがなかったら、十二弟子たちは一人残らず蹴散らされ、消滅していたであろう。「牧者を撃て、しからばその羊散らん、我またわが手を小さき者どもの上に伸ぶべし」(ゼカリヤ13:7文語訳)。▼三日目に墓からよみがえられた主は、ガリラヤ湖畔でペテロを再度召され、彼は「復活した」のであった。おなじように師をうらぎったペテロとユダだが、ふたりの行く先は文字通り天国と地獄に分かれた。そこに冒し能わざる選びの絶対性が存在する。▼それとともに、イエス・キリストのとりなしがあってこそキリスト者は保たれているのだ、という事実の偉大さ、大きさを思わずにはいられない。エレミヤは「私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい」(哀歌3:22新改訳)と歌ったが、今も天の御父の右にあり、絶ゆる時なくとりなしの務めに専念しておられる大祭司キリストがおられればこそ、私や貴方は生かされているのである。