「美保関(みほのせき)」は、島根県松江市美保関町に位置する島根半島の中央
から東端にかけての地域です。
漁業と観光の町として知られ、釣りの名所でもあります。
「石畳の通り」
美保関は美保神社の門前町として繁盛した町でした。
美保神社から仏谷寺に至る「石畳の通り」は江戸時代の参拝道の遺構です。
石畳が敷設されたのは文化年間から弘化年間(1804~1847年)の江戸時代後期。
この地は江戸時代中期以降北前船の西回り航路の寄港地として栄え、50件ほど
の回船問屋が集まっていたといわれています。
旅館「美保館」
国登録有形文化財である老舗旅館です。
俳人・高浜虚子(たかはま きょし)が、美保関で残した句碑
「史実と伝説の美保関資料館」
西暦1687年から続く美保関の商家・鷦鷯(ささき)家に代々伝わる貴重な資料が
展示されています。
館内は、美保関に関する資料や美保神社の神事の写真等なども展示されています。
「郵便取扱所 任命書」
明治6年9月、島根県より美保関郵便取扱所を設ける又明治8年1月(内務卿)より
取扱所の任命書。
江戸時代には北前船交易の要所として繁栄し、多くの廻船問屋などが存在した
そうです。
「弐千両箱」
当地に置かれた為替方(現在の銀行業)で使われていました。
「太鼓醤油店」
150年以上の伝統を持つ、手作りにこだわる醤油店だそうです。
「海の関所資料館 浜延舎(はまのや)」
明治時代の船宿を改築し、船具や船客帳などを展示しています。
「弁天波止場常夜燈灯」
来待石で組まれた弁天島に立つ常夜燈です。
「小泉八雲記念公園」
同園は、小説家・小泉八雲が当地を訪れた際に滞在した旅館「島屋」の跡地です。
小泉八雲と妻セツ、長男一雄の家族写真のレリーフをはめ込んだ石碑です。
「イカの一夜干し」
俳人・高浜虚子が『烏賊の味忘れで帰る美保の関』と詠んでいます。
古くからの海上交通の要所、風待ちの港として栄えた“まち”でした。
歴史ある当地を知ることができました。
ありがとうございました。 <(_ _)>
から東端にかけての地域です。
漁業と観光の町として知られ、釣りの名所でもあります。
「石畳の通り」
美保関は美保神社の門前町として繁盛した町でした。
美保神社から仏谷寺に至る「石畳の通り」は江戸時代の参拝道の遺構です。
石畳が敷設されたのは文化年間から弘化年間(1804~1847年)の江戸時代後期。
この地は江戸時代中期以降北前船の西回り航路の寄港地として栄え、50件ほど
の回船問屋が集まっていたといわれています。
旅館「美保館」
国登録有形文化財である老舗旅館です。
俳人・高浜虚子(たかはま きょし)が、美保関で残した句碑
「史実と伝説の美保関資料館」
西暦1687年から続く美保関の商家・鷦鷯(ささき)家に代々伝わる貴重な資料が
展示されています。
館内は、美保関に関する資料や美保神社の神事の写真等なども展示されています。
「郵便取扱所 任命書」
明治6年9月、島根県より美保関郵便取扱所を設ける又明治8年1月(内務卿)より
取扱所の任命書。
江戸時代には北前船交易の要所として繁栄し、多くの廻船問屋などが存在した
そうです。
「弐千両箱」
当地に置かれた為替方(現在の銀行業)で使われていました。
「太鼓醤油店」
150年以上の伝統を持つ、手作りにこだわる醤油店だそうです。
「海の関所資料館 浜延舎(はまのや)」
明治時代の船宿を改築し、船具や船客帳などを展示しています。
「弁天波止場常夜燈灯」
来待石で組まれた弁天島に立つ常夜燈です。
「小泉八雲記念公園」
同園は、小説家・小泉八雲が当地を訪れた際に滞在した旅館「島屋」の跡地です。
小泉八雲と妻セツ、長男一雄の家族写真のレリーフをはめ込んだ石碑です。
「イカの一夜干し」
俳人・高浜虚子が『烏賊の味忘れで帰る美保の関』と詠んでいます。
古くからの海上交通の要所、風待ちの港として栄えた“まち”でした。
歴史ある当地を知ることができました。
ありがとうございました。 <(_ _)>
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