明石海峡大橋クルーズは、岩屋港(兵庫県淡路市岩屋)から『明石海峡大橋』の真下を通過するクルージングです。
「乗船場」
本クルーズは、兵庫県南あわじ市福良港に本社を置くジョイポート南淡路株式会社が運営しています。
本クルーズでは、明石海峡大橋の真下を通過する他、淡路島の史跡や緑の山々を眺められます。
遊覧船「咸臨丸」(かんりんまる)
本船は、安政2年(1856年)オランダで建通され、安政6年(1860年)勝海舟によって日本人で初めて太平洋横断しアメリカへ渡った蒸気帆船を再現した遊覧船です。
総トン数:384トン、全長:42.0m、型幅:10.0m
主機関:1,100馬力×1、航海速力:12.1ノット
旅客定員(1.5時間未満):500名、乗組員:6名
乗船します。
「上甲板旅客室」
「第二甲板旅客室」
定刻により離岸します。
海賊旗を振りながらのお見送りでした。(^_^)
「明石海峡大橋」
同大橋は、兵庫県神戸市垂水区東舞子町と淡路市岩屋とを結ぶ明石海峡を横断して架けられた世界最長の吊り橋です。
全長:3,911メートル、中央支間:1,991メートル
1番の見所である橋の真下を通り抜けます。
橋と船が最接近した瞬間でした。
明石海峡大橋を過ぎると淡路島の南西方向に運航します。
「操舵室」
「船橋甲板立席」
航行中は、船上ガイドさんが明石海峡や淡路島日本遺産の絵島などの見所を詳しくアナウンスしてくれました。
「江埼灯台」(兵庫県淡路市野島江崎)
明治初期の大坂条約によって建設された5基の洋式灯台の最初の一つです。
白亜の石造の大型灯台として、歴史的文化財的価値が高いAランクの保存灯台及び近代化産業遺産です。
灯台からは明石海峡大橋を望み、国の重要文化財に指定されています。
「咸臨丸資料館」
船内の第二甲板旅客室船内にて、竣工当時(安政4年(1857年)2月)の江戸幕府が保有していた軍艦としての艦歴などを紹介しています。
模型「咸臨丸」(縮尺1/50)
江戸幕府の船として初めて太平洋を往復したことから名を知られ、幕府の練習艦として用いられました。
その後、戊辰戦争に参加するものの、軍艦としての機能は他艦に劣り、既に運送船の役割を担っていた咸臨丸は新政府軍によって拿捕。
明治政府に接収された後、開拓使の輸送船となります。
「咸臨丸艦長室」
万延元年(1860年)、日米修好通商条約の批准書を交換するため本船が派米されました。
咸臨丸艦長 :勝 海舟(左側)
軍艦奉行従僕:福沢諭吉(右側)
岩屋港(兵庫県淡路市岩屋)に戻ってきました。
着岸します。
周遊時間約75分のクルージングでした。
明石海峡大橋の真下見学の他、淡路島の歴史や史跡なども知ることが出来ました。
楽しい時間をありがとうございました。
ヾ(●´□`●)ノ【゚+。・oアリガトウo・。+゚】ヾ(○´□`○)ノ
この後は、昼食します。・・・・・・・つづく。(^_^v
「乗船場」
本クルーズは、兵庫県南あわじ市福良港に本社を置くジョイポート南淡路株式会社が運営しています。
本クルーズでは、明石海峡大橋の真下を通過する他、淡路島の史跡や緑の山々を眺められます。
遊覧船「咸臨丸」(かんりんまる)
本船は、安政2年(1856年)オランダで建通され、安政6年(1860年)勝海舟によって日本人で初めて太平洋横断しアメリカへ渡った蒸気帆船を再現した遊覧船です。
総トン数:384トン、全長:42.0m、型幅:10.0m
主機関:1,100馬力×1、航海速力:12.1ノット
旅客定員(1.5時間未満):500名、乗組員:6名
乗船します。
「上甲板旅客室」
「第二甲板旅客室」
定刻により離岸します。
海賊旗を振りながらのお見送りでした。(^_^)
「明石海峡大橋」
同大橋は、兵庫県神戸市垂水区東舞子町と淡路市岩屋とを結ぶ明石海峡を横断して架けられた世界最長の吊り橋です。
全長:3,911メートル、中央支間:1,991メートル
1番の見所である橋の真下を通り抜けます。
橋と船が最接近した瞬間でした。
明石海峡大橋を過ぎると淡路島の南西方向に運航します。
「操舵室」
「船橋甲板立席」
航行中は、船上ガイドさんが明石海峡や淡路島日本遺産の絵島などの見所を詳しくアナウンスしてくれました。
「江埼灯台」(兵庫県淡路市野島江崎)
明治初期の大坂条約によって建設された5基の洋式灯台の最初の一つです。
白亜の石造の大型灯台として、歴史的文化財的価値が高いAランクの保存灯台及び近代化産業遺産です。
灯台からは明石海峡大橋を望み、国の重要文化財に指定されています。
「咸臨丸資料館」
船内の第二甲板旅客室船内にて、竣工当時(安政4年(1857年)2月)の江戸幕府が保有していた軍艦としての艦歴などを紹介しています。
模型「咸臨丸」(縮尺1/50)
江戸幕府の船として初めて太平洋を往復したことから名を知られ、幕府の練習艦として用いられました。
その後、戊辰戦争に参加するものの、軍艦としての機能は他艦に劣り、既に運送船の役割を担っていた咸臨丸は新政府軍によって拿捕。
明治政府に接収された後、開拓使の輸送船となります。
「咸臨丸艦長室」
万延元年(1860年)、日米修好通商条約の批准書を交換するため本船が派米されました。
咸臨丸艦長 :勝 海舟(左側)
軍艦奉行従僕:福沢諭吉(右側)
岩屋港(兵庫県淡路市岩屋)に戻ってきました。
着岸します。
周遊時間約75分のクルージングでした。
明石海峡大橋の真下見学の他、淡路島の歴史や史跡なども知ることが出来ました。
楽しい時間をありがとうございました。
ヾ(●´□`●)ノ【゚+。・oアリガトウo・。+゚】ヾ(○´□`○)ノ
この後は、昼食します。・・・・・・・つづく。(^_^v
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