稲毛民間航空記念館は、千葉市美浜区の稲毛海浜公園内に所在する記念館です。
当館が所在する稲毛海岸は、かつて白砂青松の地で、きれいな干潟のある海岸が広がっていたとの事。
この干潟を利用し、わが国初めての民間飛行場が開設され、多くの民間飛行家たちが活躍したそうです。
「稲毛干潟模型」
大正5年頃の様子を再現しているそうです。
「奈良原式4号機(復元機)」(明治45年完成)
通称“鳳号”と呼ばれています。
明治45年4月、川崎競馬場にて飛行家・白戸栄之助(日本の民間操縦士1号)の操縦による初の有料飛行会、同年5月、青山練兵場にて天覧飛行を成功させます。
このことから実用に耐えうる『民間1号機』となりました。
その後、稲毛を根拠地として、全国各地で有料飛行を行います。
画像にある展示機は、昭和62年に復元されたものです。
しかし、機体の性能と大きさは、当時のものと多少異なっているとの事。
「文部省式1型初級滑空機・プライマリー(復元機)」(昭和18年)
同機は中学生のクラブ活動を通じて、航空思想に普及のために使用されました。
「航空機の発達」の紹介パネル
「伊藤式恵美1号」(大正4年)(縮尺1/30)
飛行家・伊藤音次郎が自ら設計製作した飛行機です。
「伊藤式鶴羽2号」(大正8年)(縮尺1/30)
曲技用として設計製作した飛行機です。
飛行士・山県豊太郎が民間で初めて連続宙返りを成功します。
「白戸式37型(改造)」(大正10年)(縮尺1/30)
飛行士・高橋信夫は、第4回懸賞郵便飛行大会(金沢-広島間)に優勝します。
「神風号」(昭和11年)(縮尺1/30)
昭和12年、朝日新聞社が東京-ロンドン間の親善飛行を成功しました。
「航研機」(昭和12年)(縮尺1/30)
同機は、東京帝国大学(現在:東京大学)航空研究所が設計し、飛行は陸軍が協力した実験機です。
昭和13年5月、日本としては唯一の絶対飛行世界記録を樹立しています。
(周回航続距離11,651.011キロ)
「ニッポン号」(昭和14年)(縮尺1/30)
昭和14年、毎日新聞社が世界一周の親善訪問飛行に成功しました。
「A-26」(昭和17年)(縮尺1/30)
正式名称“キ77”として、立川飛行機と東大航空研究所が開発・設計を担当し、2機のみ製作された長距離飛行の双発研究試作機です。
「YS-11」(昭和37年)(縮尺1/30)
戦後7年間の航空機産業の空白を乗り越え、日本の航空技術の総力を上げて設計製作された中型旅客機です。
「三菱MU-2」(昭和38年)(縮尺1/30)
ターボプロップエンジンを2基搭載した戦後における代表機です。
「富士FA-200エアロスバル」(昭和40年)(縮尺1/30)
安全性と全ての曲技飛行が可能とした強度を備えたレジャー用の軽飛行機です。
「YS-11のプロペラ」
プロペラは、ダウティ・ロートル社(イギリス)の金属製4枚羽根で油圧式自動可変ピッチ構造です。
「千葉市消防局・消防ヘリコプター『おおとり』AS365N2」(模型)
同機は、奈良原式4号機“鳳号”にちなんで命名されたそうです。
「ペンシルロケット」
昭和30年4月、東京大学生産技術研究所(現在:千葉大学・西千葉キャンパス)にて発射テストが成功しました。
左上:「グラーフ・ツェッペリン号 LZ-127」(縮尺1/100)
左下:「エアシップ・インダストリー式 スカイシップ500型」
(飛行船エンジン ポルシェ式 930/01/AI/3型)
右側:「SS-1号飛行船のプロペラ」
大正11年5月、SS-1号飛行船は、横須賀で初飛行に成功しています。
同館において、先人達の航空機に対する熱い取り組みを知ることが出来ました。
ありがとうございました。(^_^)
当館が所在する稲毛海岸は、かつて白砂青松の地で、きれいな干潟のある海岸が広がっていたとの事。
この干潟を利用し、わが国初めての民間飛行場が開設され、多くの民間飛行家たちが活躍したそうです。
「稲毛干潟模型」
大正5年頃の様子を再現しているそうです。
「奈良原式4号機(復元機)」(明治45年完成)
通称“鳳号”と呼ばれています。
明治45年4月、川崎競馬場にて飛行家・白戸栄之助(日本の民間操縦士1号)の操縦による初の有料飛行会、同年5月、青山練兵場にて天覧飛行を成功させます。
このことから実用に耐えうる『民間1号機』となりました。
その後、稲毛を根拠地として、全国各地で有料飛行を行います。
画像にある展示機は、昭和62年に復元されたものです。
しかし、機体の性能と大きさは、当時のものと多少異なっているとの事。
「文部省式1型初級滑空機・プライマリー(復元機)」(昭和18年)
同機は中学生のクラブ活動を通じて、航空思想に普及のために使用されました。
「航空機の発達」の紹介パネル
「伊藤式恵美1号」(大正4年)(縮尺1/30)
飛行家・伊藤音次郎が自ら設計製作した飛行機です。
「伊藤式鶴羽2号」(大正8年)(縮尺1/30)
曲技用として設計製作した飛行機です。
飛行士・山県豊太郎が民間で初めて連続宙返りを成功します。
「白戸式37型(改造)」(大正10年)(縮尺1/30)
飛行士・高橋信夫は、第4回懸賞郵便飛行大会(金沢-広島間)に優勝します。
「神風号」(昭和11年)(縮尺1/30)
昭和12年、朝日新聞社が東京-ロンドン間の親善飛行を成功しました。
「航研機」(昭和12年)(縮尺1/30)
同機は、東京帝国大学(現在:東京大学)航空研究所が設計し、飛行は陸軍が協力した実験機です。
昭和13年5月、日本としては唯一の絶対飛行世界記録を樹立しています。
(周回航続距離11,651.011キロ)
「ニッポン号」(昭和14年)(縮尺1/30)
昭和14年、毎日新聞社が世界一周の親善訪問飛行に成功しました。
「A-26」(昭和17年)(縮尺1/30)
正式名称“キ77”として、立川飛行機と東大航空研究所が開発・設計を担当し、2機のみ製作された長距離飛行の双発研究試作機です。
「YS-11」(昭和37年)(縮尺1/30)
戦後7年間の航空機産業の空白を乗り越え、日本の航空技術の総力を上げて設計製作された中型旅客機です。
「三菱MU-2」(昭和38年)(縮尺1/30)
ターボプロップエンジンを2基搭載した戦後における代表機です。
「富士FA-200エアロスバル」(昭和40年)(縮尺1/30)
安全性と全ての曲技飛行が可能とした強度を備えたレジャー用の軽飛行機です。
「YS-11のプロペラ」
プロペラは、ダウティ・ロートル社(イギリス)の金属製4枚羽根で油圧式自動可変ピッチ構造です。
「千葉市消防局・消防ヘリコプター『おおとり』AS365N2」(模型)
同機は、奈良原式4号機“鳳号”にちなんで命名されたそうです。
「ペンシルロケット」
昭和30年4月、東京大学生産技術研究所(現在:千葉大学・西千葉キャンパス)にて発射テストが成功しました。
左上:「グラーフ・ツェッペリン号 LZ-127」(縮尺1/100)
左下:「エアシップ・インダストリー式 スカイシップ500型」
(飛行船エンジン ポルシェ式 930/01/AI/3型)
右側:「SS-1号飛行船のプロペラ」
大正11年5月、SS-1号飛行船は、横須賀で初飛行に成功しています。
同館において、先人達の航空機に対する熱い取り組みを知ることが出来ました。
ありがとうございました。(^_^)