えしぇ蔵日記

えしぇ蔵日記のブログ版です。

室町文化に触れる京都 その2

2012年09月08日 | Weblog

朝は晴れていたが、天気予報では雨になりそうだったので早めに行動開始。「プチメック」で朝ご飯を済ますとすぐに「龍安寺」へ。

「龍安寺」は臨済宗妙心寺派。「龍安寺」とくれば石庭だが、これも実に面白い。15の石が点在しているが、どこから見ても同時に見えるのは14までだ(ただ一ヶ所、立ち入り禁止だが方丈の真ん中から見れば15全て見えるらしい)。15は満月でも分かるように完全を表す数字。何事も完成した時点から崩壊が始まるのでわざと14しか見えないようにしたという説がある。
方丈の裏手にはこれまた有名な蹲がある。吾唯足知(吾唯足るを知る)。四つの漢字が中央に口を模した穴の周りに彫られている。現状に満足することの教えだ。耳が痛い。
睡蓮が美しい広大な池、鏡容池もまた素晴らしい。睡蓮が同じ花の色ごとに集まっているのが不思議だった。ここは本当に心洗われる寺だ。



次は以前、雷山の和尚さんのツアーでも来た「仁和寺」。真言宗御室派の総本山。宇多天皇以来、皇族との繋がりも深い門跡寺院だ。華道の御室流の家元でもある。ここは背が低い御室桜や五重塔で有名だ。次回は是非春に来てみたいと思う。
ちなみにすぐ近くにあのオムロンの発祥の地がある。



次は「妙心寺」。臨済宗妙心寺派の総本山。臨済宗最大の派の総本山ともなればそれはそれは広大な敷地だ。だがここもいわゆる林下で硬派だからそんなに観光客は多くない。
ここでは30分のツアーに参加して法堂の雲龍図と明智風呂を見た。雲龍図は狩野探幽が8年の歳月をかけて書いた天井画で、見上げながら移動すると下ってるように見えた龍がいつのまにか上っているように見えるという不思議な絵だ。それにどこから見ても睨まれているといういわゆる八方睨みも面白かった。 それと日本最古の鐘楼の音も聞かせて貰った。
明智風呂は密かに明智光秀の菩提を弔うために作られた蒸風呂で、その中で僧侶たちが御経をあげたらしい。ガイドさんが教えてくれたその悲しい由来には大いに心に響くものがあった。つまり逆臣の菩提を弔うなど表立ってできないので風呂の中でしたというわけだ。ワシ的にはこうして敗者、弱者、罪人のために祈るということも、林下の寺に共感する理由の一つだ。
ちなみに風呂の横に脱衣所として使われた和室があるが、そこで着替えを包んでいた布が風呂敷の語源らしい。



次は「等持院」。臨済宗天龍寺派。足利家の菩提寺で足利尊氏の墓がある。足利歴代将軍と徳川家康の木像もある。個人的には足利尊氏に対する感慨は複雑だ。なにせ日本史上でも数少ない天皇に弓を引いた人だから。墓の前に立っても特別な思いはなかった。
だがここはとにかく庭が素晴らしい。眺めていると時間を忘れた。歴史はさておき庭を鑑賞し散策するには最高だ。



ここで昼食。「権太呂」の親子丼。親子丼も京都旅行のお約束。ちょいと高いがそれだけの価値はある味で大満足。
午後はまず「今宮神社」の前の「一和」であぶり餅を堪能。創業から1000年の歴史を誇ると言われればもうそれだけで脱帽だ。味は姫が絶対に食べたかったというだけあって感動的にうまかった。さすが1000年の味は半端ではない。
ちなみに参道の向かい側で覇を競う「かざり屋」も創業以来400年。京都では創業100年くらいまでは若く感じてしまうから恐ろしい。

歴史探訪はここで終わり。後は買い物したりお茶したり。
夜は「ビストロヤナギハラ」で肉三昧。ここもまた素晴らしい。どの料理も感動。それにボリュームもあってかつ安い。ワインもうまいし言うことなし。あぁやっぱり京都のレベルはすごい。
今日は姫の誕生日でもある。京都のこんなおいしい店で祝えて姫もご満悦の様子。だが来年はワシが京都で祝ってもらう番だ。フフフ・・・。

ホテルに戻ってからはまた温泉へ。今日はラウンジにも行ってみたがこれまた快適!何時間もいたいと思った。
今日は雨の予報だったのに午前中は暑いぐらいの晴れ、午後は涼しい曇りで問題なし。嬉しい誤算だった。
これにて二日目終了。

「吾唯足知」

石庭の 石や黙して 語るかな
吾唯足るを 知るべしなりと

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室町文化に触れる京都 その1

2012年09月07日 | Weblog

12ヶ月全ての京都を楽しむシリーズも早いもので6回目。今年は9月を選んだ。今回のテーマは「室町文化に触れる京都」。室町時代に所縁の深い所をまわることにした。
早朝の新幹線で出発したので11時には京都にいた。また例のごとく自転車を借りて出発。とにかく京都は自転車に限る。他の交通機関の2倍は楽しめる。まあ体力は必要だが。

まずは腹ごしらえの為に「北野天満宮」近くの「とようけ茶屋」へ。料理の詳細は姫の「ぽごしっぽよ」に任せるが、今回も全て外れなしの食事はここが始まりだった。
せっかく目の前に来たので「北野天満宮」を(神社は金がかからないからいい!)見た。そして「澤屋」で買ったあぶり餅を持って「金閣寺」へ。

「金閣寺」は通称で本当の名前は「鹿苑寺」。足利義満の法号「鹿苑院」に因む。臨済宗相国寺派。
既に京都も慣れたものなのに金閣寺はまだ来てなかったというからちょいと恥ずかしい。今まで京都の北西は手付かずだったから致し方ない。
幸い暑いぐらいに晴れていたから「金閣」の輝きはこの上ないものだった。なるほど世界中から見にくるわけだ。まさに圧倒的な美だ。三島由紀夫が「金閣寺」の中で放火犯の動機は美への嫉妬としていたが、なるほどそれもあり得るかなと思った。北山文化の象徴ここにありだ。 義満の栄耀栄華の極みといえばそれまでだが、「金閣」は公家、武家、仏教文化の集合体であることを考えれば非常に興味深い。一層は公家文化の寝殿造の「法水院」、二層は武家文化の書院造の「潮音堂」、三層は仏教文化の仏殿造の「究竟頂」となっている。なんとも素晴らしい建築芸術だ。



次は「大徳寺」。臨済宗大徳寺派の総本山。禅宗の寺院には幕府に保護された叢林と呼ばれるものをメジャーとすれば、それ以外の林下と呼ばれる寺院はマイナーといえる
。権力との繋がりよりも修行を重んじる硬派だからだが、ここはその林下の代表的存在だ。境内にたくさん塔頭はあれど拝観できるのはごく一部。しかし方丈前の枯山水の庭は見事だった。千利休の切腹事件のきっかけになった山門は閉まった門の外から見た。個人的にはこういう硬派な寺の方がどこか共鳴するものを感じる。

次は「上賀茂神社」。ここは五月の葵祭に来てみたいが、とりあえず今回は夕食の店に近いので寄ってみた。「下鴨神社」の規模を見たせいか、思ったよりあっさりしていたのは意外だった。
「上賀茂神社」を見終わったところで夕立。今回は天気が悪そうだったので合羽持参。それを着て木陰でしばし雨宿り。器用な姫は雨宿りしながら寝てた。
30分ほどで上がったので活動再開。買い物を少ししてから夕食の店「秋山」へ。

「秋山」はなかなか予約のとれない名店なので今回一番楽しみな食事。詳細は姫に譲るが、まあなんというか、和の極みを堪能したとでも言おうか、実に素晴らしい仕事だった。 京都に来るたびに福岡の飲食店のレベルの低さを感じて「えせグルメ」なんかやめてしまおうかと思ってしまうが今回の「秋山」でまたそう思ってしまった。 客もまた店の思いがわかる人たちのようだった。店も店なら客も客なり。厳しい客が店を育てるのだ。福岡は客が何も考えてないから店が駄目になるのだ。

至福の食事を終えてホテルへ。今回は「ホテルモントレー京都」だがこれが大当り。部屋が快適な上に最上階にはなんと温泉付き!ゆっくり疲れをとることができた。
これにて一日目は終了。

「美」

義満の 栄耀栄華の果てなれど
その美や人の 魂(たま)うばふかな

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予習

2012年09月02日 | Weblog

京都に持っていくための望遠レンズをヨドバシカメラに買いに行った。お手頃なのがあったのですかさず購入。料理から景色までこれ一本というやつ。邪道だろうが素人のワシらには一向かまわない。これで遠景の神社仏閣も撮れる。楽しみだ。
今週金曜日から京都旅行。最近はその予習に余念がない。今回のテーマは「室町文化に触れる京都」。特に”きぬかけの道”をメインに予定しているのでその周辺の仏閣の由来や室町時代の基礎知識を身に着けて、なぜなぜぼうやの質問攻撃に備えなければいけない。
 
ついでにNFLの2012年の選手名鑑も買ってきた。これも予習のため。チームの状態や主な選手をチェックしておかなければ。今年は見るゾ。

「京都」

したわしき 今や馴染みの 京都かな

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秋風の又三郎

2012年09月01日 | Weblog

 谷川の岸に小さな学校がありました。
 教室はたった一つでしたが生徒は三年生がないだけで、あとは一年から六年までみんなありました。運動場もテニスコートのくらいでしたが、すぐうしろは栗(くり)の木のあるきれいな草の山でしたし、運動場のすみにはごぼごぼつめたい水を噴(ふ)く岩穴もあったのです。

  (宮沢賢治 「風の又三郎」)

 
9月1日には「風の又三郎」を読むというのを一体いつからやってるのかと過去の日記を調べてみた。最初に日記に書いたのが2007年だが、その時点で既にもう何年も恒例になってると書いているので10年ぐらいになるのではないだろうか?冒頭部分は暗記してしまいそうな感じだ。
理想の少年時代がここにあるような気がするんだな。
 
 
星野村へ行った。あの災害の恐ろしさを目の当たりにしたのが7月29日だったが、その後どうなったか?八女と星野村をつなぐ52号線は、お盆ぐらいに数か所片側通行だが復活していた。だがあちこちの惨状はまだまだそのままで、星野村へとたどり着いても村の中ではまだまだ寸断されている箇所が残っている。
美しい星野村の復活までの道のりはまだ遠い。

星香園」さんは通常通り営業中。



「川」

秋の陽に きらめく浅き せせらぎを
村飲むほどの 川と思えず

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