The Phantom of the Opera / Gaston Leroux

ガストン・ルルー原作「オペラ座の怪人」

劇場

2007年05月29日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」
皇帝ナポレオン1世治下の1807年4月25日の政令は、パリで特権的にオペラ興行が可能な劇場としてパリ・オペラ座、オペラ・コミック座、そして皇后劇場(後のイタリア座)の3つを指定している。

オペラ・コミック座で上演が可能だった演目は歌と台詞が混在する作品のみ、皇后劇場でのオペラはイタリア語に限られる、とする規定があった。



中心的な劇場と考えられたオペラ座はフランス語で歌われ、かつ「すべてが歌われる」つまり台詞なしで常に音楽が流れ、バレエも含み得る作品を上演できる唯一の劇場という特権が与えられた。




劇場の差というのは知りませんでした。なんだかカッコイイですね。


・・・で以前書いた記事のヴェロン博士


18世紀のオペラが主に王侯貴族の愛玩物であったとするなら、19世紀のグランド・オペラの中心的な観客層としては、産業革命の受益者、新興ブルジョア層(工場経営者、金融、証券ブローカーなど)の存在があった。


かつての貴族たちとの最大の相違は、ブルジョア層は(成金とはいえ)昼間は生業に従事している、ということが挙げられる。一日の仕事の疲れを癒す娯楽として、深遠で晦渋なものではなく、視覚上も聴覚上も豪華絢爛で単純明快なグランド・オペラ様式が正にマッチしていたと考えられる。


新興層の歓心を買うべく、劇場の改装なども頻繁に行われた。(ル・ペルティエ街のオペラ座)


1831年から35年にかけてオペラ座の支配人だったルイ・ヴェロン(ヴェロン博士)は、暖房設備の更新に始まり、ボックス席の仕切りを一部撤廃して定期会員同士が演奏中歓談したり、他人のファッションを見物したりするのに便利とする、等々あらゆる振興策を弄し、巨万の財を成した。



またヴェロンは100人を超える「サクラ」部隊(クラック)を組織させ、舞台人気を維持したともいう。



こうした新興成金階層を嫌悪する(元)貴族たち、あるいは真のオペラ通を自認する者たちはオペラ座のグランド・オペラ公演を避け、イタリア・オペラの原語上演を行っていたイタリア座(Théâtre-Italien)を好んだ。





やはり怪人さんはパリ・オペラ座が世俗化するのを恐れたのでしょうか?

1、パトロンとイチャラブなソレリへの嫌味(逢引用の馬車の中がお似合いさ)
2、ブルジョアに媚びった華美なオペラへの批判(「悪魔のロベール」)
3、まるで侮蔑的な言葉を浴びせるような口調で「オペラを歌おう、クリスティー ヌ・ダーエ」と言った。←この「オペラ」とはマイアベーアなどの軽佻浮薄の   オペラの事?




なんだかオペラ座の世俗化政策、つまりヴェロン的な経営には嫌悪感があったのかもしれません。ヴェロン博士は随分儲けてますが、自分が損失を出さないうちに任期途中で支配人をやめています。

怪人的には真の美、音楽家の矜持を売った奴なのかもしれないですね。



また、怪人さんはクリスティーヌの初舞台の時楽屋で



「お前に感謝するよ。こんな素晴らしい贈り物は、どこの国の皇帝も受け取った事はないだろう!」



と讃美。
音楽の鑑賞者としての貴族階級というのには一目置いていたのかも知れませんね。
そういえばパリ・コミューンの時も不参加でしたね。

水の精  死んだ女は美しい

2007年05月29日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」

 

「死んだ女のように美しい・・・」

 

 

 

原作のエリックの言葉を考えてみると

一、 顔を見た女はすべて自分のものになる。p225(は?)

    いつまでも愛するようになる (へ?)

 

二、「青髭」の例もある事だし・・・。p386(秘密を知ったものは死ぬ、と?)

三、 女はみんな仮面を取りたがるp225(どんな状況で?)

 

 ・・・・って、実は童貞でなくて、そういう事になる前後に女を殺してたのかな?

 

・・・・・。

 

そういえばイングランド版だと娼婦を相手にいたしてますが、女が顔を見ようとすると手でそっとむこうをむかせていましたね。

その仕草はいいなあ、と思いました。

 

 

地獄に堕ちた魂のクリスティーヌによる救済劇なので思いっきり悪人に描かれているのでしょうか?

まあ、なんにしてもクリスティーヌとの涙の場面「憐れみ」とダロガの「寛容さ」は涙なくして読めません。