The Phantom of the Opera / Gaston Leroux

ガストン・ルルー原作「オペラ座の怪人」

悪魔のロベール 2

2007年05月16日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」
「悪魔のロベール」の大成功の影にはヴェロン博士という支配人がいました。


そこでオペラ初演の頃のオペラ座の支配人について・・・。

当時パリ・オペラ座は王立で、その多額の経費は歴代の王室や政府から受け取る交付金と、民間の劇場からの納付金から成り立っていました。

ところが七月革命が起き、ルイ・フィリップが王位につくと、まず民間からの納付金制度が廃止され、王室費からの交付金も大幅に削減されてしまいます。

その結果、オペラ座は財政難になり、赤字になってしまいます。

そこで政府は経営をいわいる第三セクター方式に切り替え、勇気ある経営者を募る事にしたのです。

時の内閣は医学博士で、新聞王として経営者としての才能に溢れるヴェロン博士に白羽の矢をたてます。



天下のオペラ座の支配人・・・・素晴らしいですね。大変名誉な事なのだと思われます。


・・・しかし支配人になるには厳しい条件があったのです。



まず、支配人の契約期間は六年間。
その期間中の損失と利益は、すべて支配人の個人的な責任になるのです。つまり、上手く経営した利益は全額支配人のものになるのですが、失敗した場合は、その損失はすべて支配人が背負うのです。
もちろん少なくはなりましたが、王室費からの交付金はあります。

そして極めつけは、支配人になるためには供託金の25万フランを即刻納めなくてはならないのです。その額日本円で2億5000万円。


(25万フラン・・・どこかで聞き覚えがあるような・・・。)


ですからヴェロン博士はその条件を飲んだ上で、年間100万フランもの赤字を出すオペラ座の支配人になるのです。



「オペラ座の怪人」当時もこのような経営形態だったかは分りません。もしこうだったとしたら怪人の妨害工作で受ける支配人のダメージというのは破産に繋がる大きなものだったのかもしれません。







※ ヴェロン博士は「オペラ座の怪人」時代よりも約50年前の人物なのでパリ・オペラ座と言ってもいわいる「オペラ・ガルニエ」ではなく1821年に建てられたルペルティエ街のオペラ座でした。


このルペルティエ街のオペラ座はのちに火事で消失したという事です。
この写真の絵がその時の光景かは分りません。
管理人がパリ・オペラ座で買ったものなのですが、ルペルティエ街のオペラ座とは書いてないのです。建物の正面には「オペラ」と書かれています。