The Phantom of the Opera / Gaston Leroux

ガストン・ルルー原作「オペラ座の怪人」

ギャビオン理事

2007年05月10日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」


ルルーとフォール元予審判事を引き合わせたのはギャビオン理事なのではないかな・・・と思っています。

p12 角川でルルーが感謝を捧げているからです。
「メルシエ元理事」と言う名前も見えますが「元」ですから、現職の理事らしいギャビオン理事だと思うのです。

とてもこの調査に協力的な人物のようです。

「オペラ座の理事にもその証拠をじかに手で触ってもらった。」(証拠=遺骨)
その理事の中にギャビオン理事も当然いたと思われます。


そしてその遺骨をオペラ座の記録保管所に安置するのを許可したのもこの理事のおかげもあったかも・・・と妄想するのは楽しい事です。


共同墓地なんてあまりにも悲しいじゃないですか?


タイムカプセル、そして遺体の発見された場所は小さな泉のそば、怪人が初めて、そして最後にクリスティーヌを腕に抱いた場所でした。
そしてそこにはもうおいておけないのだとしたら、オペラ座の歴史を封印した場所に置かれるのが相応しいかと思います。

エリック自身、オペラ座が聖域であり、要塞であり、墓標と思っていたようにも思います。


オペラ座図書室・シャニュイ事件

2007年05月10日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」
オペラ座の図書室でルルーがシャニュイ事件について興味を持ち調査を始めたのが具体的に何年なのか原作を読む限りでは分りません。シャニュイ事件もです。


シャニュイ事件はその図書室での調査の初期の時点から「約30年前」と書かれています。


ルルーの調査の流れを書いてみます。



ルルー、「怪人」のせいにされている現象の数々が奇怪なシャニュイ事件と同時に起きている事に気付き、調査を始める。
   ↓

ルルーは30年ほど前の事件なら実際その事件に関わった人物もいたのではないかと考えます。
   ↓

しかしその老人達への聞き込みの結果、シャニュイ事件などの出来事を「怪人」と結びつける人物はいませんでした。
   ↓
ある日、ルルーは元支配人の書いた「一支配人の回想」を読んでいましたが、その著者の頑迷さにいささか閉口し、部屋を後にします。
   
するとそこには探し求めていた人物「フォール判事」がいました。ルルーの協力者の一人、おそらくはギャビオン理事とともに。
   ↓
フォール元予審判事とルルーは徹夜をして「怪人」「シャニュイ事件」について語り合います。
   ↓

そこでルルーは「ペルシャ人」「ダロガ」の存在を知るのです。
   ↓
案外あっさりダロガは見つかります。事件当初から住所が変わっていないようなのででしょうか?
(リボォリ街のこじんまりしたアパルトマン。チュイルリー公園あたりならオペラ通りをまっすぐですね♪)


そしてダロガはルルーに会った5ヶ月後亡くなります ゜・゜(ノД`)゜・゜


その出会った時から亡くなるまでの5ヶ月間でシャニュイ事件、そして怪人についてすべての情報を洗いざらいルルーに託すのです。

ダロガがエリックから受け取った物の一つ・・・クリスティーヌが事件の最中にウラルに書いてエリックが持っていた手記(どんな内容なんでしょう?どうしてそんな物を残していったのでしょう?忘れ物なんでしょうか?エリックは読んだのでしょうか?ダロガとルルーは筆跡鑑定のため読んだと思います)をもルルーに渡します。


   ↓

ルルーは調査の成果をシャニュイ一族と親しかった人々に見せます。皆その調査結果に賛成し、ぜひ公表するように勧めます。
仲むつまじかった兄弟が殺しあったと言う事件の解釈に納得がいかず、そんな悪意ある不名誉な噂を打ち消したいからでした。

   ↓ 


ここが大変ドラマティックな場面なのですが、ルルーはおそらくは公表を決意し、事件の資料を手にして、長く困難な調査を終えて今一度オペラ座を隅から隅まで歩くのです。

万感の思いだったと思います。ダロガとの出会い、波乱万丈のエリックの人生、クリスティーヌ・・・を思いながらオペラ座を歩くのは。

   ↓
決定的な証拠の発見


この頃オペラ座の名歌手の「歌声」を録音し、封印しタイムカプセルとする計画が持ち上がっていました。

そのために地下の掘削中、「怪人の骨」が発見されるのです。
まさしくルルーがオペラ座を歩いていたその時に!



オーヴァチュアが聞こえてきそうな、時間の交錯を感じる凄い場面です。



その焼け焦げた死骸の指にはクリスティーヌの嵌めてあげた゜・゜(ノД)゜・゜・・・金の指輪が。
指輪が「怪人実在」の決定的な証拠になります。








そしてこの「タイムカプセル」・・・実話です。

1907年おそらくは6月28日、その「声」はオペラ座地下に埋められます。

オペラ座の地下には「アルフレッド・クラーク氏 寄贈、1907年6月28日」とプレートのある鉄の扉があります。
2007年まで開けられる事のないその扉の向こうには、今世紀初めの最も偉大な「声」の50巻に及ぶ録音が、記録書類とともに眠っています。




つまりルルーは1907年6月28日以前にオペラ座の図書館で調査をしていたという事になります。

単純に計算してシャニュイ事件は1877年前後なのではないでしょうか?



今は2007年、そうちょうど100年後なのです。タイムカプセルの
を開けるのは6月28日なのでしょうか?




ミシェル・サラザン「パリ・オペラ座」参考









ドン・ジョバンニ

2007年05月10日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」
書き忘れてしまいました。

もちろんモーツァルトの「ドン・ジョバンニ」の最後の





あの悪党は地獄で
プロセルピナやプルートンと暮らすがいい・・・


これが悪事の果て!

罪深い者達の死はいつも
彼等の生命に同じ報いを受けるのだ





を念頭において

「地獄の業火に焼かれたりはしない」

と言っているのです。



しかしながら「ルーアン」と言う後の聖女の火刑の地を選んだのは興味深いです。

そして火刑に処された聖女・聖人と言うのがカトリック史上、ジャンヌ・ダルクだけだというのも興味深いです。



地名が明記されているところでは「ニジニ・ノブゴロド」も宗教者によって奇術師が迫害された土地なのです。