The Phantom of the Opera / Gaston Leroux

ガストン・ルルー原作「オペラ座の怪人」

ジャンヌ・ダルク

2007年05月09日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」
エリックの故郷ルーアンはジャンヌ・ダルクが宗教裁判の結果処刑された場所です。
彼女が受けた火刑という最もキリスト教徒にとって絶望的で残虐な処刑法です。


火刑はヨーロッパのキリスト教的世界において、処刑される者にとっても最も苛烈な刑罰だった。その残虐な刑罰方法もさることながら、重要なのは死体が灰になってしまうという点にある。当時の埋葬方法は土葬が基本だった。キリスト教のカトリックであれば誰もが死後には土葬を望んだのである。その理由というのは遺体が燃やされて灰になってしまっては最後の審判の際に復活すべき体がなくなってしまうからという宗教的なものだった。火刑は肉体的・身体的な恐怖感のみならず、精神的・宗教的な絶望感をも与えたのである。近現代に入り、欧米でも国によっては火葬は公衆衛生学的な視点から伝染病対策などとして積極的にすすめられるようになったが、熱心なキリスト教の信者たちは火葬に対して強い抵抗を感じていた。燃やされたジャンヌの亡骸の灰はセーヌ川に流された。このように灰さえも残さない(決して土に返さない)という遺体の取り扱いにおいても、ジャンヌが受けた取り扱いは当時としては最も苛烈なものだった。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より





「地獄の業火に焼かれたりはしない」




という彼の言葉の裏には宗教的偏見、無理解に対する憤りのようなものがあったのかもしれません。
ガーゴイル、獣というのもキリスト教的価値観からは疎外されたものを意味しているのかも知れません。

(奇形というのも異教においては神的なカリスマを持っていたかもしれません。
レスリー・フュードラー著「フリークス」(青土社)より
「おぞましいと排除され、珍奇として見世物に供され、翻っては、聖なる存在と崇められた・・・。」)



そしてジャンヌがフランスを救おうと思ったのは天使のお告げの『声』を聞いたからでした。
『声』の命ずるままに寒村からシャルル7世の元に向かったのです。


原作の中で「音楽の天使」は「音楽の天使」という表現とともに「声」とも表現されています。

壁や鏡の向こうとこっちでの接触だったので、単に「声」と言ったのかもしれませんが、「声」によって救国の行為に導かれる事と、「声」の指導でエリックの音楽性を救う事とを被らせたのかも・・・などと妄想しています。




ジャンヌの名誉回復

ジャンヌ・ダルクは1909年4月18日にローマ教皇ピウス10世によって列福された。次いで1920年5月16日にベネディクトゥス15世によって列聖され、聖人となった。なお、「聖人」とされたが、ジャンヌの「異端性」は取り消されていない。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より


エリックが生きていた頃は、ナポレオンによってナショナリズム発揚のために利用され好意的な評価がなされ始めていたようですが、やはり「異端者」だったのですね。