【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「幻影師アイゼンハイム」:葛西駅前バス停付近の会話

2008-09-24 | ★錦25系統(葛西駅~錦糸町駅)

地下鉄博物館って、昔の車両がいろいろ展示されているのよね。
いまや簡単には見れない幻の車両。電車少年にとっては初恋の人と巡りあうような場所だな。
幻の恋人と出会うなんていうと、なんか「幻影師アイゼンハイム」みたいね。
幻影師、つまり魔術師、イリュージョニストになった男アイゼンハイムがかつての初恋の女性と偶然出会う。けれどその人はいまや、ときの皇太子の婚約者になってしまって手の届かない存在。さて、二人の運命やいかに、というロマンチックな物語。
舞台が19世紀末のウィーン、しかも主人公の職業がイリュージョニストときては、お膳立ては完璧。いやがおうにもムードは盛り上がる。
ここはひとつトミー・ベルグレンとピア・デゲルマルクに演じてもらって。
誰、それ?
1967年のスウェーデン映画「みじかくも美しく燃え」の主人公だ。
古っ!そんな役者、誰も知らないって。
いいんだ、俺の中では、永遠の美男美女なんだから。
そういう個人的感慨は別にして、いまは21世紀なんだから、エドワード・ノートンとジェシカ・ビールで我慢しなさい、っていう映画。
どちらも悪くないけど、もうちょっとせつなさというか、はかなさがほしかったなあ。幻の恋なんだからさあ。
なに、繊細気取ってるのよ。いまはちょっと強いくらいのキャラクターのほうが好まれるのよ。
でもエドワード・ノートンなんて「ファイト・クラブ」のマッチョマンだぜ。初恋の人にそんなにこだわるタマか。
そういう見方って古くない?
そうか?主人公が自分の得意なイリュージョンを使って恋人を救い出そうとするのも凝った趣向だけど、この男のイリュージョン、タネがあるのかないのかわからないというのもちょっとひっかかる。
それはそうね。恋人を救い出す方法についてはじっくりタネあかししてくれるから納得できるんだけど、舞台上で行われるイリュージョンのタネがわからない。理屈で通すなら通すし、理屈を超えた世界だっていうならそれで通す。どっちかに統一してくれないと、夜も眠れない。
そしてお前は昼寝する。
グー、グー、グー。
そう、そう。夢まぼろしの中にいるような映画なんだから、難しいこと考えないでうっとりと物語に身をまかせていればいいんだろうな。
でも、教養が邪魔をする。
というか、重箱の隅にこだわる俺たち。
そういうことを別にすれば、いまどき貴重な純愛映画と言えないこともない。
ああ、19世紀、世紀末に狂い咲いた奇跡の愛!
博物館にでも納めておきたいような端正な映画っていうところかな。
ああ。地下鉄博物館とかにな。
地下鉄は関係ないと思うけど。
いや、幻のように地下に消えていくっていう意味でさ。
意味わかんない。煙に巻かれた気分。
ふふふ。それこそイリュージョンだ。
ばか。



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ふたりが乗ったのは、都バス<錦25系統>
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