【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「イキガミ」:長島町交差点バス停付近の会話

2008-09-27 | ★錦25系統(葛西駅~錦糸町駅)

こういう交差点は気をつけなきゃな。事故に遭いやすいから。
交通事故で両親を失ったうえ、妹が失明したという兄妹もいたしね。
それって「イキガミ」の中の話か。
そう。若者の千人に一人が24時間後に自動的に殺されるという恐ろしいシステムの国になっている日本の仮想話。
対象者には「イキガミ」という死亡予告書が来る。
システムも凄いけど「イキガミ」っていうネーミングも凄いわよね。
明らかに昔の赤紙の暗喩だよな。
昔の若者は赤紙が来たら否応なく戦場へ行くしかなかったけど、いまの若者ならどういう行動を起こすのかってことよね。
で、その対象者に選ばれたのが兄の山田孝之。どうせ死ぬなら妹の成海璃子に角膜をやって彼女の視力を回復させようとする。ああ、うるわしき兄妹愛。涙を誘ういい話だ。
かわいい妹には内緒にしようと奮闘努力しているところを見てると、究極の設定をしておきながら、やってることは「男はつらいよ」かよ、って思っちゃうけどね。
山田孝之が寅さんってことか?言われてみりゃあ、その線を狙った演技だったような気もするな。
なにしろ、成海璃子演じる妹の役名が“さくら”。
成海璃子は若き日の倍賞千恵子?なーるほど、そんな雰囲気もないこともない。
って、妙に納得しないでよ。映画はそんな人情喜劇を狙ったわけじゃなくて、もっとヒリヒリする世界を構築したかったはずなんだから。
でも、妹の入院している病院でのすったもんだは、たしかに松竹映画の世界だ。
つまり、演出がいまいちなのよねえ。
他にもイキガミの届いた若者たちのエピソードがいくつか紹介されるんだけど、どうも陳腐だったし。
エピソードもそうだけど、その演出がまたね。
テレビ局の生放送の描写なんて、どこかで見たような、ありきたりな描写になってしまっている。
事情もわからないのに、いきなりスポットライトを当てちゃったりして・・・。
拳銃を持った若者に群集が逃げ惑うっていう場面の描写もテレビのサスペンスドラマ並みの凡庸さ。
対決する人物同士の見せ場をつくるためだけに、他の群集たちは雲散霧消。不自然にいなくなってしまう。
千人に一人の若者が合法的に殺される世界って、想像するだけで異常な世界なんだけど、それを感じているのは当事者たちだけで、周囲の人々にはそういう世界に住んでいるんだっていう緊張感が感じられないんだよな。
ありえない世界を構築しているわけだから、画面の隅々、エキストラの一人一人にまでその緊張感をみなぎらせるくらいしないと、当事者たちだけが大騒ぎしてても、映画としての説得力が出てこないわよね。
イキガミ配達人の松田翔太だけが始終、世界の悩みを一身に抱えたような苦虫をかみつぶした顔をしているんだけど、そんなに悩むなら最初から配達人になんかなるなよ、と思ってしまう。
最初は国のためだという使命感から高揚していたのが、現実と向き合ううちに考えが徐々に変わっていくというのがふつうの映画の展開だと思うんだけど、松田翔太は、はなっから悩んじゃってるんだもんねえ。これじゃあ、ドラマにならない。
監督の瀧本智行は「犯人に告ぐ」で目をみはるようなシャープな映画を撮り上げたのに、今回は一転、どうしちゃったのかな。
ああいう映画もつくれるんだから、次回はがんばってほしいわよね。
監督にイキガミが来る前にな。
大丈夫。そんなに若くないから。



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