美術の旅人 Voyageur sur l'art  

「美術」との多様な出会い。見たこと、感じたこと、思ったこと。

駒よ、再び嘶け 「相馬駒焼」上

2011-08-26 14:36:38 | レビュー/感想
ひとつの窯が今、およそ390年続いた歴史に幕を引くか、否かの瀬戸際に立たされている。「相馬駒焼」をご存知だろうか?「相馬焼」なら知っているよ、という方は、たいてい浪江市の「相馬大堀焼」を思い描いているのではなかろうか。「相馬駒焼」は、いわゆる相馬中村藩の「御留焼」であったがため、明治以降も他地域には多く出回らず、大衆的な「相馬大堀焼」と比べ一般の知名度は低い。窯元は田代窯、一軒あるだけである。歴史をたどると田代源吾右衛門が藩命により京都で名陶工 野々村仁清のもとで製法を修得し、師から「清」の一字を贈られて名を清治右衛門と改め、帰郷し開窯したのが始まりとされる。爾来、一子相伝により受け継がれて来た。何年か前に芹沢銈介美術館(仙台、東北福祉大学)で見たのが最初の出会いだった。芹沢銈介が収集した堤焼など民芸系の器の中にあって、唐津焼を思わせるさらっとしたやさしい釉がけと、名前の由来にもなっている味わいのある筆致の馬の絵に引きつけられた。東北の土味と御庭焼の品の良さが調和した器との印象だった。

再び相馬駒焼の名前を思い出させたのは、大震災後舞い込んだ英国在住の陶芸家ガス君嶋氏からのメールを通してだった。手紙の中で、君嶋氏は福島原発に近い相馬焼の状況をしきりに案じていた。英国の陶芸家仲間とつくった東日本の陶芸家の復興支援組織「KAMATAKI-AID」のブログを見ると、見事な古相馬焼の写真にお目にかかった。英国にまで知られている窯の存在を日本の、それも車で1~2時間のところに住んでいる自分がほとんど気にかけていなかった不明を恥じた。君嶋氏がメールに取り上げていたのは、避難地区になっている浪江市の「相馬大堀焼」のようだが、相馬市には、「相馬大堀焼」のみならず、「益子焼」や「笠間焼」の源流ともなる「相馬駒焼」がある。その現況についても知ってもらいたいと思った。ここには元禄以前に築窯された現役の登窯としては日本最古の窯が存在するのである。

8月25日取材の目的で相馬駒焼の窯をやっと訪れることができた。実は田代氏の奥様との電話でのやり取りで、15代田代清治右衛門氏はすでに他界していることを知らされていた。15代は、去年から体調を崩し入院していたが、震災前の春、小康を得て再び製作を開始していたという。しかし、あの未曾有の大地震が襲った。これまで幾多の大地震に耐えた丈夫な窯である。全壊を免れたものの、焚き口と最後尾の房が壊れた、とのことであった。再スタートを切ろうとする気持をくじく出来事であったろう。それでも6月中旬頃焼いた素焼が残っている。50歳を過ぎて時間がないとしきりに言っていた15代だったが、ぎりぎりまで「相馬駒焼」に命を捧げていたのだろう。猛暑の7月に亡くなられたのことであった。享年64歳であった。

訪れた窯は相馬市の駅の近くの住宅街にあった。奥様の案内で、道路に面した店舗の隣の屋敷の門をくぐった。細長い庭をすり抜けたたところに工房があり、その奥の建屋の暗闇にめざす窯は沈んでいた。窯は登窯といっても土で築かれており、穴窯から登窯へとたどる窯の歴史の過渡的な形態を示しているように思われた。もともと窯を掘り込む斜面があった訳ではなく、人工的な土盛りをして窯を造ったのだそうだ。巨大な幼虫のような窯(連房式登窯)の表面はすべすべしており、火を入れずとも生々しく、生物が眠っているようであった。「ここにくるとほわっと温かいんですよ」と奥様がつぶやく。人が膝をついて作業するぐらいの高さしかなく、益子に残る同形態の窯は作業性を高めるためさらに嵩を加えた改良型であろう。14代までは窯の全房を用いて2000点程の作品を焼いていたが、15代は熱効率をあげるために中央の3房を用い、あとは捨て窯にしていた。約20年前の立て替えの時、郊外への移転も考えたが、窯が現役で残っている、また観光のシンボルとして残したい市の方の要望もあり、そのまま住宅街の中に残った。でも、いざ窯焚きのときには、あらかじめ周知していたとしても、周りの住人から通報があり、消防自動車が家の前に待機する始末であった。15代は「こちらが先に住んでいたのだからと頭を下げなかった」という。(続く)

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2 コメント

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駒焼も? (banben)
2011-12-12 22:04:47
駒焼もですか。大堀焼きの方々が益子・笠間に避難してるけど、陶土(石系)が無いので廃業を考えていると聞いてはいましたが。年末、相馬に帰りますので、窯元に訪れたいと思います。
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Unknown (斎藤)
2011-12-16 11:17:22
大堀焼は二本松で再興するという話を聞いておりましたが、大分前の新聞記事からの情報ですので、どうなったか。気になるところではあります。
コメントありがとうございます。
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