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美術の旅人 Voyageur sur l'art  

「美術」との多様な出会い。見たこと、感じたこと、思ったこと。

アートの冒険者 ルートヴィヒ・コレクション ピカソ展 10/31~12/23 宮城県美術館

2015-11-12 15:26:15 | レビュー/感想
ずいぶん前になるがパリのポンピドゥーセンターからしばらく歩いて古い下町マレー地区にあるピカソ美術館を訪れた。貴族の館の内部をモダンに改築した中をぐるっとひとめぐりしたはずだが、狭い入り口を通り抜けた薄暗い一部屋に、すさまじく強い印象の女性の絵があったなという程度で、正直言ってほとんど記憶が飛んでいる。それほどに無感動だったというより、「初期の青の時代」から最晩年に至るまで、20室あまりに展示されている「アヴィニョンの娘たち」をはじめとした傑作の数々を、自分の狭小な脳が2~3時間の鑑賞でカバー出来るわけがない、ということであったのだろう。

もっとも、ルネサンス以来の西洋絵画史の系譜的なカテゴリーを、たった一人の力で横断(縦断ではない)し尽くして、近代絵画にも伏在していたプラトン主義的な流れを完膚なきまでに破壊し解体していった怪物は、凡庸な我々が捉えきれるような者ではない。作品の即物性にならって、あえて喩えていえばつぎつぎ運ばれてくる(=目に飛び込んでくる)動物の肢体(=対象)を鋭いナイフで的確に素早く腑分けしていく、疲れを知らない食肉解体マシーン(そんなものある?)のような存在だ。このような存在は、行為の跡についてはいろいろ言えるが、内面を捉えようとしても難物中の難物、「食えないやつだ」としか言いようがないだろう。小林秀雄でさえ、「近代絵画」の中でピカソに最も大きなボリュームを割いているが、その筆致はドストエフスキーを語るときに似て最終段に至るまで何かぐずぐずした印象を与えている。

その点、この展示会は、褒めているのか、貶しているのか分からない表現となるが、ピカソの膨大な作品群から選りすぐりとは必ずしも言えない約80点しか見られなかったのが自分には良かった。とりわけ晩年の数点は、ピカソという存在を理解するうえで役に立った。そして著作の中でピカソに対する最大級のオマージュを述べている岡本太郎とその作品に関わるちょっとした発見もあった。(続く)

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馬渡裕子新作展 12/10(木)~23(水) 杜の未来舎ぎゃらりい

2015-11-10 13:52:24 | レビュー/感想
今年で何回目になるか、「馬渡裕子新作展」が近づいて来た。物静かな語り口ながら、私たちが生きる日常や見慣れた事物を白昼夢と化してみせる馬渡の手法は、他に例をみない。まだ馬渡の作品との出会ってない方たちのために、以下7年前に書いた紹介文を挙げておこう。

ボッシュの絵画さながらに過度な食欲への罰か山盛りのクリームの中にめり込んでしまった動物たち、パゾリーニの映画のワンシーンを思い出させる空中に浮遊する男、また、ダリの燃えるキリンに似て嘆息のように火炎を吐き続けながら歩き続ける熊……馬渡裕子の作品は、特殊な感覚と魂のフィルターがなければ、現実には遭遇することのないミステリアスな「何か」との出会いを画いているが、それは一方で確かにわたしたちの潜在的な生のリアリティーをも穿っていて、私達の凡庸な心をも捉えて離さない魅力を持っている。かってシュルレアリストに引用された古いテーゼ「絵画とは喚起の術、魔術的な操作である」(ボードレール)を思い出させる作品である。

ただし、それは無意識の闇に潜む何かかも知れないなどと深読みをしすぎると、作家自身の人をまごつかせほどの素直さに出会って戸惑うばかりとなる。それは繊細な技術の集積にしっかり裏打ちされた、良い意味でのポップさ(軽み)、深い表層も持っているのである。
その絵の造形的特徴は中心のキャラクターが単体である場合に顕著である。たとえば「ターミナル」という作品の奇妙な形をした足の表現を含むマニエリスティックな形態のおもしろさ。微妙なしぐさが時間を静止させ、両義的な謎をなげかける表現は、彼女が好きだというバルチュスから会得したものだろうか。しかし、形態と空間のリズミカルな絶妙な使い方はむしろ桃山時代に頂点に達した襖絵の世界を思い起こさせる。それゆえにもっと日本人の身体に沁み通ったものだろう。イメージ的な絵画が流行する中、古風なまでに物静かでイコノグラフィカルな、そして巧まざるユーモアとクリティックを含んだ彼女の作品はますます貴重である。

写真「ダンガリー」(2008年)

Yuko Mawatari creates lovely, but mysterious creatures. Her art comes alive inside her mind and by giving names to the characters they spark deeply hidden stories in each viewer.
The theme of your story could be the crisis of modern society, nostalgia for your childhood or a blueprint of your soul…it is up to you.
You will become a resident of Mawatari’s world.
You can create your own “Imaginary Life Stories” with her adorable creatures as the main character.

画家在无意识之间描绘的那些可爱的、时而奇异的生物,再被赋予专有的概念诱发出我们内心深处的故事。题目或为现代社会的危机,或为对幼少年时期的怀念、或为对灵魂的描绘这些作品充满了自由的想象空间。请到这不可思议的马渡世界来,发挥您的想象力,把富有魅力的生物们做为主人公,编织出自己的虚沟拇的传记。
                            

蒸留装置としての東北

2015-10-28 18:56:44 | レビュー/感想
日本に入ってきた海外の様々な文化の種子は、「みちのく」にたどりついてはじめて日本独自の根づき方、開き方をするようだ。古くは院政時代に華麗な仏教美術を花開かせた平泉文化、新しくは西洋モダニズムの影響もそのひとつ。萬鉄五郎、松本竣介などをはじめ日本の近現代の絵画の世界をリードした巨人たちに東北の出身者が多い理由でもあるだろう。今も、東北の地の力は、とぎれなく流入してくる外来文化を流行に終わらせず、日本の風土に根付かせる働きを続けている。まさしく日本の最深部にあって蒸留装置のような役割を担っているのが東北である。とりわけ岩手には低い山々に囲まれた小さな市や町に移りゆく都の流行とは無関係に地道な制作を続けている画家やアーティストが存在する。

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実存の姿を引き出す虚の造形 阿部正彦展   杜の未来舎ぎゃらりい 10/22~31

2015-10-27 11:01:08 | レビュー/感想
一見するとコンクリートのような重厚感があるが、阿部さんの作品は建材用のスタイルフォーム、いわゆる発泡スチロールを基本素材に作られている。木のヤスリやサンドペーパーを使いかたちを彫り込み、アクリル絵具を塗り重ねて、さらにサンドペーパーで表面を整えるといった工程を、何度も繰り返して不思議な「立体画像」がリアリティーを持って立ち上がって来る。

この手法の成り立ちには偶然の出来事が作用した。イーゼル絵画の歴史の延長上に構想されたものではない。例えば、キャンバスに意図的に断線を入れたフォンタナ(Lucio Fontana, 1899ー1968)の「絵画」のように。あるいは歯型をテクスチャに刻みつけたフォートリエ(Jean Fautrier, 1898- 1964)の「非絵画」のように。阿部さんが単身赴任の狭いアパートで油絵を描いていた時、イーゼルが倒れてキャンバスに穴が空いた。色彩が自分の出したくない感情を出してしまうことに少なからず嫌悪感を持っていたので、このとき出来た穴ぼこの方が自分が努力して描いてきた絵より良いと思った。それが現在の作品をつくるようになったきっかけであるという。

最初はかたちを石膏で作るレリーフの手法を取り入れていたが、支持体が脆弱になるので、現在のやり方になった。確かにこれはレリーフではない。彫刻のレリーフなら盲目の人であっても手で触れて、それが何であるかを凹凸の感覚から確かめることができる。だが、これはまさしく「見ること」のみに依拠したイーゼル絵画なのだ。そのために透明アクリル版で覆うことで、表面に触れることすら禁じられている。見る者に近いところが深く彫り込まれ、遠いところが浅く掘られている。近づいてそうした掘りあとの形状を見ても、これが凹型のレリーフではなく、遠近法を立体的に置き換えた絵画的手法で作られていることが分かる。

この「絵画」を見ていると、存在と不在の思惟へと誘われる。われわれは写真を見るようにひたすら見ることだけを強いられることになるが、近づいて見るとそれは写真と違って、そこには何の像も存在しないことに気づかされる。果たしてゴーストを見ていたのだろうか。じっと見続けている時間は、夢と現実の間を漂っているかのような 不可思議な感覚と心地よさを与える時間でもある。一方、それは、ポンペイの遺跡跡から掘り出された人型のような存在の「欠如体」であり、「留まることは何もない」(作品のシリーズタイトル)、それこそゴーストさながらのすべての実存の姿も露わにしている。

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ヘレン・シャルフベック――魂のまなざし 8/6-10/12 宮城県美術館

2015-08-25 15:21:51 | レビュー/感想
フィンランドの画家というと、ムンクはノルウェーだし、ムーミンのトーべ・ヤンソンぐらいしか頭に浮かばない。そういえばこのポスターの自画像の全体にトローンとしたつかみどころのない感じはなんかムーミンのようだなあ、と思いつつ会場に入った。19世紀から20世紀に至る時代、日本と同様、フインランドもフランスやイギリスなどをメインストリームとする西洋近代絵画の圧倒的な影響下にあったのだろう。そうした中で、シャルフベック自身も早くから画才を見出され、フィンランド芸術協会の素描学校に11歳の異例の若さで入学し、18歳で奨学金を得てパリ留学のチャンスを得る。この展示会のポスターにもなっている「快復期」がパリ万博で銅メダル獲得というお墨付きも得て、この画家はトントン拍子で早くから国民的な作家としての名声を得て行ったのだろう。

確かにうまい。しかし、どこかそれは西洋画の技法を自家薬籠中にした優等生的なうまさで深く魂に響いてくるものがない。この本質に切り込まない薄いムードが時節にあって、今日本で巡覧する理由かなとも思ってしまう。例えば「お針子」は明らかなホイッスラーの模倣であるけど、この黒と真横の構図に必然的に結びついたホイッスラーの挑発的なダンディズムに代わる独自のスピリットがあるかというと疑問だ。ピュヴィ・ド・シャヴァンヌ、セザンヌ、エル・グレコと、一目見てその高度な模倣と感じられる作品が並ぶが、いずれにもこれらの画家の表現の核にあったものを掴んでいるとは言い難い。関心もなかったのだろう。

若い頃物事を深刻に感じすぎると人に言われた、と会場のパネルに書いてあったが、それはきっと自分自身のこと、自分の個人的な人生のことなのだろう。そういう彼女にとって画家としての成功は、果たして幸福なことであったのだろうか。二人の男性と関わりがあったという。しかし、思いは叶えられず結婚には結びつかなかった。彼女が生涯描いた女性像はすべて自画像のようで、しかも顔の色彩はメイクアップのそれのようでときどきの感情を引き写しているように見える。絵の唇の色から鮮やかさが消えていく過程は、実人生への希望を喪失していく過程を象徴しているのだろうか。晩年に描いた果物の静物画には、黒いリンゴがひとつ前面に添えられている。人生への悔恨の思いのように。

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Beyond All Directions 

2015-08-05 11:12:54 | レビュー/感想
たまたまH氏から作品のタイトルを英文にしてほしい、と言われ翻訳した。その作品のエスキースはここにあげた通りだが、日本語のタイトルは「向性の先」ということであった。彼の説明では「方向性は各々違うが、その先がある」ということであった。この抽象的な言い方に、抽象に至るアートの本筋とはなんだ、という疑問が解ける糸口があった。
カントが定めたように、人間の「認識」には限界がある。量子論的な疑義はさておき、物質的な、見える世界であれば、科学がひとつの真実を指し示すことができる。そして我々の文明はそれに基づいてできている。起きたら虫になってしまっていたなどということは金輪際起こり得ない。そういう生活感の中で通常われわれは安定的に生きている。しかし、認識を超えた超越論的な世界では、われわれの「構想力」に基づいてあらゆることが可能となる。そのことを表しているのが芸術の世界だと言える。
すべての芸術家がこれが絶対だと思って作品をつくる。また、そう思わない限り、彼のモチベーションは働かない。しかし、それは普遍性には到達し得ない。知り合いの陶芸家が「自分の考えている美をつかんだと思うと、すぐその先がある」といっていたが、美は永遠に捕捉不可能なものとしてある。カントは、この探求に「思惟」という名を与えた。哲学史的に言えば、プラトンを遠源とするギリシャ以来続く、形而上的な探求の道をこのことによって留保したのだ。それはニヒリズムが常態となる近代へのカントなりの抵抗だったのだろうか。
印象派は、光と色の関係を解いた色彩科学を道具に遠近法の発明以来なかった視覚的な認識の世界を極めたと称した。その究極はスーラの点描の世界だった。しかし、それはなんとリアリティーのない浮遊する世界(H氏のもうひとつの絵のタイトルがこうであった)であったことか。
ここで俄かに蘇ったのが、古代以来の形而上学の世界であった。それが東方宗教のセオロジーが生活感情として色濃く残るソビエト、ロシアで花開いたのは偶然ではない。ロシア構成主義、カジミール・マレーヴィチ、ウラジーミル・タトリンがその代表者者だが共産主義という政治的理想主義に行ってしまった後者はさておき、前者はロシアの形而上的な風土の魂を宿した作家だった。この作家はシュプレマチズムと称されるアバンギャルドな探求を続け、最後は「黒の正方形」という絵画自体の否定に至ってしまう。マレービッチの悲劇(幸福なのかもしれない)は、正教的な厳格なセオロジーを絵画に体現したかのように、それを生きてしまったことにある。
だが、絵画は、イコンように神学には支配はされない、自由な「思惟」の範疇にある。しかし、それが厄介なのはこれこそ「啓示」と思う信仰に近いものがないと現実に描くことはできないことだ。カントが「善意志」の働きを人間の側に残したように、これなくしては純粋芸術の世界は成立しない。あとは大衆社会向けに便器(マルセル・デュシャン「泉」)をアートと言い立てても成立する、巧みなブランディングに基づいた詐術の世界でも良いことになってしまう。

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「東北の作家たち展Ⅴ」に寄せて  8月1日(土)~ 30日(日)加賀市大聖寺町ギャラリー萩他

2015-07-31 16:09:23 | レビュー/感想
かつてリアス式海岸沿いの狭い土地に張り付くように密集していた街はほとんど消滅してしまい、家並みに隠れていた海が間近に迫って見える。地元に住む人々には一変した有様も、初めてこの地を訪れた人の目には前からこうであったように映ずるはずだ。復興が元の姿に戻すことなら、もはやそれは不可能であろう、と誰もが思っている。この現実の中で前へと歩み続けなければならない。

震災から5 年、そんな東北に生きる工芸家たちを、加賀の方々が引き続き招いてくださっている。あの震災の何年かは、東北の作家たちも、加賀を訪れ、この地の多くの人々から特段のおもてなしを受けた。もはや地元では物が売れない、それだけでなく果たしてここで物づくりが続けられるのかどうか、気力も萎えかかっていた作家たちに、工芸王国からのこの招きがどれだけ励みになったか。感謝の思いを今、新たにする。

震災前、加賀は、多くの東北の作家たちには地理的にだけではなく遥か遠くの存在だった。九谷焼であまりにも有名な彼の地で、東北の作家のひとりとして遇されることは、プロの工芸家としてのあり方をときに厳しく問われるきっかけにもなったと思う。

むしろ地方地方に残された特徴的なローカリティーを大事にすることが、グローバルに羽ばたくことにつながる時代でもある。評価の基準が中央のトレンドに左右されがちな中で、この直接の結びつきが、別な尺度で創作に取り組む道につながってほしいと思う。

工芸家たちの生活は相変わらず苦しい。教室の収益に頼らざるえない現状がある。それどころかアルバイトに追われ作品づくりに戻れていない者もまだいる。しかし、一方 で、ふるさとの山があり、川があり、海が見える。この風土でなければできないものがあると信じて作り続け、新しい取り組みをしようとしている作家たちがるいる。その成長をお見せできる展示になればと願っている。



震災の年から毎年続けて、5年目になる今年も、加賀市のギャラリー萩さんの企画で「東北の作家たち展」がこの8月から9月半ばにかけて開催されます。以上はその開催に向けて感謝の思いを込めて寄せた文章です。震災が急速に風化する中で、利得の薄いこのような催しを今年も企画してくださり、運営の労をとってくださった加賀市大聖寺町のギャラリー萩様をはじめ、会場をお貸しくださった山代温泉九谷焼体験工房COCO様、柴山町ホテルアローレ企業様のご厚意に心より感謝申し上げます。日本の「おもてなし」の心の原点は加賀にありです。

写真 気仙沼市の海 (気仙沼市在住ガラス工芸作家菊田佳代さん撮影)

成島毘沙門堂の巨像を見た

2015-06-14 09:22:43 | レビュー/感想
「萬鉄五郎美術館」を見た後、次の目的地花巻に向かおうと釜石道の東和ICの入り口直前まで来て、ふと、道路際の案内看板を見ると、成島毘沙門堂とある。瞬間、かって写真で見た巨大な像が目に浮かんだ。40年近く前唐木順三の著作「あづまみちのく」を読んで以来、いつか見たいと思っていた毘沙門天像だった。それがこの近くにあるなら、予定を変えて見るにしくはない。道なりに続く土地の人の寄進した灯籠を道案内に、くだんの毘沙門堂へはあっという間についた。

境内に入って坂を登っていくと、上から老婦人の一団がやってきた。その一人が「やあ、すごいもの見たわ」と、目を丸く見開いて、感に堪えない声を出しながら降りてきた。社の脇の木立に囲まれた薄暗い道を登った奥に、その鞘堂はあった。先ほどの婦人の声を思い出して一瞬ためらったが、中にはいると、薄暗い中、高い天井を突き抜けるばかりに立っている毘沙門天像があった。高さは4.73メートル。一木造の毘沙門天立像の中では日本最大で、国の重要文化財に指定されている。平安時代中期(10世紀末~11世紀初頭)の作だという。中心から右30度ぐらいのところに立つと、目線があって背筋が寒くなった。京都の優れた仏師の手になるであろうと確信させる迫力満点の彫像である。

この像がある三熊野神社は、一説によると、坂上田村麿が奥羽平定を紀伊の熊野三山に祈願し、戦勝後の延暦21年(802年)にこの地に三山の神を勧請して創祀したものという。この彫像自体は、 平安時代中期とされるが、敵味方の違いを超えて崇敬されていた英雄坂上田村麻呂を、四天王の一尊に数えられる北方の守護神、毘沙門天に擬して、彫られたように思われる。材料は土地の巨木であったかもしれない。もっと想像を逞しくすると、土地に住み続けた蝦夷の子孫たちの、自然を畏れる素朴な信仰の対象であったのではないか。それを切り倒し、坂上田村麻呂そっくりの偶像を彫り込み、礼拝の対象とする。そこには武力を背景にした威圧的な意図が感ぜられなくもない。

この像は地天女の肩と掌の上に立つ特殊な像容をとっている。とりわけ気になるのは、ふくよかで逞しい東北の女性を思わせる地天女の目を閉じたその表情に、何の感情も読み取れないところだ。唐木順三は「その無表情な顔は忍従の果てのように映った」と述べる。従来踏み敷かれているはずの二鬼も、地天女を支えるでもなく、両脇にぽつねんと離れ立ち、まるで全てを奪い去られてなすすべもなく膝を折った蝦夷兵士の哀れな姿のようにも見える。

やがてこの地は奥州藤原氏の勢力下に入ることになる。その中心地であった平泉には、何度となく赴いている。確かに金色堂の華麗な装飾が施された阿弥陀堂や諸仏は、京都にある浄土思想を体現した藤原文化の遺産と比べても遜色ない、いやそれに勝るものだと思う。しかし、唐木順三は、京都、鎌倉に拮抗する北方の地の覇者となったとしても、都を基準にした文化でしか権勢を表せなかった清衡の内心を読んで、アンビバレンツな感情と言う。それは今も田舎に住む者が、かえって都会人より流行の最先端を走ってしまうのと似通っている。昔からそうなのかと思うと、中尊寺の華麗な仏像群もどこか脆弱で寂しげな様子をしているように思えてくる。

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デザイナー芹沢けい介の世界展 3月17日~6月17日  芹沢けい介美術工芸館

2015-05-18 21:08:39 | レビュー/感想
一階の奥に飾られていたアメリカや東南アジア、アフリカの仮面。この芹沢晩年の収集品が、この展示会のタイトルのようにデザイナーというステレオタイプ化された職域に括ってしまうと決して見えない、芹沢の表現の軸をすべて語っているように思える。同道した娘が「何か霊がついているようで怖い」というぐらい得体の知れない「蒼古的な」オーラが感じられる面だった。芹沢は日常的にどこにこれを飾っていたのだろうか?この収集の嗜好は、上階で展示されている幽霊が背後で舞っていそうな扇を描いた中世の図屏風から、野の長の野生の魂が入った近世のアイヌの草皮衣まで一貫している。この得体の知れないもの、畏るべきものへの欲求が、芹沢の表現の核になっている。そのスタート地点、若い時の芹沢の植物スケッチへの異様な程の入れ込みようが展示会の解説書に書かれていたが、ここにも芹沢の生涯を覆って突き動かした、表現の核、あるいは不思議さを追ってやまない魂の在り処が示唆されている。

それは、たとえそれが工芸品、着物や帯地、暖簾の意匠に変わっても、強烈に残存している。通常、近代的なデザイン表現の経路としては、往々にして、抽象化は対象の不思議さを切り落とす「頭脳化」の過程を通る。結果、デザインはこの「頭脳化」の過程を経て漂白された形態をどう配置するか、きれいなレイアウトの問題になってしまう。その結果、形は生命を失いパターンとなるのだが、芹沢の意匠は、それがない。職人とのコラボレーションで薄められているものもあるが、原初の形の生命がどれにも生きている。これは日本の伝統的なモチーフをベースに新しい表現を生み出したなどという小手先の工夫や鍛錬から生み出されるものではない。たえず自然や諸物に感応している人ならではの作為のない表現なのだ。着物の黍や芭蕉の葉の意匠は、確かにゆれてざわざわと足に触れるようだし、木の枝の意匠は、ぎりぎりまで単純化されているが、風そよぐ森林の中に入った感覚をちゃんと蘇らせてくれる。いろは文字さえ、うねうねと動く生き物のようだ。また、琉球の紅型の風景模様は、亜熱帯の強烈な日差しのもと大地も木々も家々も、もろともに揺らぎうねって今にも動き出しそうに見える。

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2015とうほく陶芸家展inせんだい 序

2015-05-18 20:35:07 | レビュー/感想
自然からうまれたかたち、正確に言えば自然から人の思いを介してこころのうちに作り上げられたかたち。それが最初のかたちの成り立ちだろう。だから手によってこころを込めて作られた器は、自然のいのちを受け継いでいる。さらにこうして作られた器は、生活の中で使われ続けることで、使い手の思いを吸収しながら、使いやすく手になじむかたちに変えられていく。自然のいのちをベースに、作る喜びと使う喜びが結び合っている場所、それが陶芸というジャンルの幸せな成り立ちだと思う。
今年で3回目を迎える「とうほく陶芸家展」には、伝統窯と個人窯30窯近くの陶芸家の作品が並びます。長い時を経て用いられ続けた習熟した伝統のかたちと暮らしの今を生きる個性あふれる現代のかたち。それぞれが交流することによって、伝統のかたちには新たな命が注ぎ込まれ、現代のかたちには流行で終わらない魂が宿り、さらに毎日の食べ物を引き立て、暮らしに美と喜びをもたらす器文化がいま再び広がるきっかけとなってほしいと願います。東北の豊かな風土に育まれ、頭の中で設計され、大量生産された工業製品にはない、一つひとつに陶工の魂がこもった手づくりの器ならではの、いのちの温もりを感じ楽しんでください。

本田健氏の縄文の炎・藤沢野焼祭2015開催ポスター 

2015-05-12 21:46:34 | レビュー/感想
昭和51年に考古学者の故塩野半十郎氏の指導を得て、縄文の野焼を再現したことをきっかけにはじまった藤沢野焼祭も今年で開催40年を迎える。そのポスターが昨日届いた。今年のポスターは、遠野在住で田園や野山を写実を極めて描いた巨大な鉛筆画(岩手県美術館所蔵)で知られる画家本田健氏が下絵を描いている。大きく空に向かって広がる煙と炎を中心に、俯瞰の構図で参加する人々、一人ひとりの思い思いの姿がブリューゲルの絵のようにいきいきと描かれ、多くの人々の熱いモチベーションが集まって炎を燃やすこの祭りの魅力と真実を何よりもよく伝えるものになっている。なんと画家は制作に1ヶ月を要したと言う。しかし、背景となる年月はもっと長い。窯焚きボランティアスタッフとして毎年参加し、この炎と人の熱気の渦に実際に身体を浸した人でないと描けない、魂の記憶庫から出てきたような絵だと思う。写真から起こしたようなものでは、当然、ない。ポスターとしてみれば、結局はデザイン記号に抽象化することで肉体や感情を脱色してしまう結果になってしまっている、多くの「洗練された」モダンデザインへのアンチテーゼになっている。本田氏は彼の絵画作品と同様に、このポスターにおいても「ここからでないと健康になれないよ」というプリミティブな魂と、描くことの原点を示している。

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作りたい「思い」の丈がかたちになるー平清水焼青龍窯 丹羽良知翁に聞く

2015-05-12 20:20:46 | レビュー/感想
東北陶芸界の長老、現役の陶工でもある平清水焼青龍窯4代目の丹羽良知(昭和6年生まれ)さんにお話を伺った。飄々とした語り口ながら、「思い」(つまりはモチベーションだろう)が大事と言う言葉には、70年以上器と対峙してきた陶工でないと言えない真実があって、「ただ」作ることを良しとし無名の職人を称揚した柳宗悦の言葉が観念的に思えてきた。

ーいつ頃から陶芸をなさっておられるんですか?

戦後昭和21年、14歳の時、師範学校の予科を一年でやめ、平清水にやってきて、焼物に初めて触れたんだ。実家は天童で将棋駒をつくったけど、職人の世界にはそれまでまったく興味がなかったからね。入った当初は、当然、拭き掃除、薪割り、窯焚きなど雑用しかさせてもらえなかった。でも轆轤を引いて粘土からかたちができるのが見たくてね。二人の兄弟子が使い終わった夜にこっそりと使って覚えることを続けてた。ところが3年後に青龍窯の養子になったもんだから‥‥

ー職人を使う側になったわけですね。

はじめはえらい抵抗があったね。先輩の一人は喧嘩して出身地の東京に帰っちゃった。それでなくても陶工はなかなか続かないもんで。気力がある者はすぐ独立を考えるし、側から努力次第だからと嗾けられても逃げだしてしまう者もいるし。その時分から、青龍窯は、先代の当主が九谷の窯に修行に行ったりして、他の窯とはちょっと違ってた。また、仙台の藤崎デパートで鳴海要さんの個展を見て、そうかこういう道もあるんだと思ってね、仕事への熱の入れ方が変わったよ。納得できる作品を作る中で、先代から受け継いだ千歳山の陶石に含まれる鉄分を活かした平清水独自の梨青瓷を完成していく道を歩むことになったんだ。

ーどんなとこに苦労されましたか。

石の性質に合った安定した釉薬の状態にならなくて大変だった。毎回焚く窯の条件が違うし、完全に同じものはできないのが、焼物だからね。出たとこ勝負ってとこか。今でも、ずっと使ってきた千歳山の石の性質すら、十分につかみきれてないんだよ。われわれの時代はヤマカンの時代で、息子には「勉強してないものね」と言われるけど、これからの人は感覚と勉強と二つを大事にしたら、成功率上がると思うね。

ー作品を作るうえで大事なことは?

こういうものを作って見たい、っていう「思い」が大事なんじゃないの。以前瀬戸に行って何十年もお茶の茶碗を作っている陶工と会ったんだけど、ただ機械のように大量に同じものを作っているだけで、何の思いもない、って言っていた。別のものを作りたくないのかなあと思ったね。とくに若い時には世の中に「どうだ!」というものを作りたい、との思いが自分にはあったよ。「写し」は勧められたけど、やった記憶がないし、やる気持ちもなかったね。勉強にはなるだろうけど、そっくり作ろうとするより、その良さをどこで掴み取るかだと思うよ。

ー陶芸家といえば、できの悪いものを壊すイメージがありますが、自分の作品へのこだわりは?

みんなやってるんじゃないの。うまくないものはまず自分が見たくないもの。はてな、これはどうかという迷うものもあったら、これはちょっと置いておこうという風になる。結果、一年置いてダメだなと思うものがある一方、意外に良かったというものもある。

ー個展などにもよく行かれるとか。

案内が来れば大体8割方は行くようにしてるね。若い人の作品の中にもおやっと思うもの、ずっとうまいなあと思うものがある。未だに勉強してるよ。若い時分には立ち席で夜行列車に9時間、10時間乗ってたびたび上京し、博物館や画廊を回って歩いたなあ。焼物に限らずいろんなもの見るのが好きでね。最近は台湾に行って、「翠玉白菜」(翡翠から白菜を彫刻した台湾の至宝)も見てきたけど、思いの外小さかった。むしろパッと見てインドの影響の強い仏像に惹かれたね。日本のものでは古代の縄文のものなんかも好きなんだよ。

ー振り返って思われることは。

もう少し勉強しておけば良かったと。化学ばかりじゃなくてね。絵つけもしたいんだけど下手だから描けない。もっとも田村耕一さんは、日本画は特別やらなくても、嘘描かなきゃいいんだと言ってたけど。その点若い人は徒弟制度しかなかった時代と違って勉強できる環境に恵まれてるな。実際、我々と比べてもいろんな知識が持ててるなあと思うね。

ーこれから作りたいものは?

お茶碗をちょっと作って見たいと思って、今頭の中にある。地元の素材にはこれからもこだわりたいね。信楽のものを使っても活かしきれないし、そこには上手い人がいっぱいいる。おれの茶碗は、やはりここの素材でないとものにならないからね。

ーーお作りになられたらぜひ見せてください。

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香月泰男のシベリアシリーズ(針生一郎と戦後美術 1/31~3/22 宮城県美術館)

2015-03-23 10:34:54 | レビュー/感想
シベリアの大地に追いやられ人間性を剥ぎ取られて、丸太のように無造作に埋められた者たちが唯一見たものは、圧倒的な星の瞬きであっただろう。創世記のアブラハムがふり仰いだ星空は、神の約束のしるしであったが、無残な大量の死に対置して、画家香月泰夫が出会った星空は、透明な無言の美に満ちた不条理の表象であった。戦後、彼がシベリアシリーズという絵を描き続け、ヨブのように問い続ける必要があったのはそれ故であったのだろう。

しかし、むき出しの現実に出会う者は常に少数者であった。多くのものは同時代を生きただけでまるで特権を得たかのように、実は解放された自己のイデオロギーをにぎやかにエネルギッシュに語ったに過ぎない。「針生一郎と戦後美術」を見て、ほとほと疲れる感じになったのも、結局はポリティカルな体裁を取りつつ、色や形になって噴出した情念のるつぼのような作品ばかりを見せられたからであろう。

対照的に、この情念を脱色したかのように、厚みのあるマチエールを失い浮遊しているのが現在の画家の絵だ。いずれも時代の表層的空気から出てきた絵だ。しかし、個性を競い合った一連の戦後美術の中で、ほとんど香月泰男の作品だけが、その中で特異なまでの静けさに満ち、かえって独創的に感じたのは、戦争という重い主題を据えたからではなく、過酷な体験を通して究極の外部性という重力を魂の奥底に刻み込まれたからであろう。

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野中光正&村山耕二2人展  2015 2/5(木)~15(日)新潟絵屋

2014-12-27 21:09:27 | レビュー/感想
木版画もガラスも外部との、それは「版木」であったり「火」であったりするが、そうした手強い物質との闘いが制作の大きな要となる。和紙に押し付けた版木は、あるいは、炉から取り出されたガラスは後戻りできない。一瞬にして魂を作品に宿らせる。
ガラス作家の村山さんは、制作に先立ち構想をスケッチしたりしない。ぶっつけで溶けたガラスをかたちにしていく。木版画家の野中さんもほとんどの作品を下絵なしで創る。いずれも生き生きとした命の流れを写すライブ・パフォーマンスなのだ。だが、これがなかなか難しい。長い間の技術的修練だけでは、心の嫌なものが出てしまうのを防ぎようがない。自然のエッセンスをつかみ、美へと昇華させることができるとしたら、天与のセンスとナイーブさをおいて他にない。かつて「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と評されたボクサーがいたが、力技をエレガントに、豪快に繊細に見せることができる点で、2人のコラボはいつも心地よく響きあうものがある。

来年2月5日~15日「新潟絵屋」(025-222-6888)にて開催、お近くの方、ぜひお越しください。



馬渡裕子新作展 杜の未来舎ぎゃらりい 11/17~30

2014-11-24 13:28:39 | レビュー/感想
常に新しい感覚の世界を開いてくれる、オリジナリティーのある画家とは滅多に出会わなくなった。とりわけ最近は、東京でギャラリー巡りをしても、どこかで見たような似たような、うんざりの作品ばかりだ。陶芸の世界もそうだが絵の世界も存在感が感じられない、気分の上澄みをさらったような曖昧な「薄いもの」があたかも進化した現代の勲章であるかのように、トレンドとなり、エスタブリッシュメントとなっている。そうしたトレンドが確立されると、一般の常としてそれに乗っかった方が未知の冒険をするよりいいという小器用さが優位となる。美術学校や団体という魂の欠けた標準化装置がそれを拡散させている。こうした閉塞状況を吹き飛ばすエネルギーを持った作家はめったに出て来ない。またそういった作家がいても、すでに鑑賞者の目を覆う厚い帳と鈍い魂を突き崩すにはいたらない。作る者と見る者との共犯から生まれる文化の退落が、現にこうやって起こっている。
この画家は震災後から「車と松の木」を繰り返し描いている。彼女は特別にとんがったものを、今の言葉で言えばエッジなことを描こうとして描いているわけではない。そういう表現主義的な意図は毛頭なくて、穏やかな性格のケレン味や小賢しさが少しもない画家だから自然に出て来たのだろう。彼女のこれまでの絵は彼女のアンテナに引っかかった淡々とした日常の風景に独特の想念のツィストが加わって出来上がっていた。しかし、2011年の壊滅的な大地震が、それまでの小市民的なインスピレーションのレベルを津波の巨大な波頭まで押し上げた。前に書いたことだが、大きな揺れで倒れた、彼女のご尊父(故人)が丹精を込めて育てていた盆栽と、日本車のミニチュアのコレクション(私には津波に流されたあのたくさんの車の映像が思い浮かぶ)が深層においてスパークした(のではないか)。それは平穏な日常的なレベルに偶然さしかかった巨大なヌミノーゼの影だった。この現実の出来事のボリュームは一回限りのスケッチ画で描きおおせるものではない。当然のように以後も反復的に描かれ、そして描かれるごと、リアリティーを、存在感を強めて行くことになる。この無限連環の中で絵は平面的な「イラスト」から立体感とマチェールとしての強靭さを得たすごみのある「絵」となって行く。その発展過程を発生の段階から観させてもらえたのは画廊主にとっても楽しい出来事だった。
現在杜の未来舎ぎゃらりいでは、この「車と松の木」の最新作を展示している。異界との出会いを描いた北斎のお化け絵、とりわけ「ろくろ首(何と言う名だったか)」のように日本人の古層にも無意識に通じている作品だと思う。馬渡とのショートトリップを楽しみたい方は30日までだが、ぜひどうぞ。そのうちまた画家は常態(?)のシュールなエスプリを効かせた小品に戻るかもしれないが、この絵の到達点は、それらのエンタテーメントの質を一段とあげていることだろう。来年の新作が楽しみだ。

Who could have imagined a pine tree, resembling a bonsai plant, growing out of a "domestic car" familiar to everyone in the post-war era? What's strange, however, is that if you look at enough of Mawatari's pictures, this sort of thing starts so seem normal. I am surprised each time I see this artist's work at the unique knack she has for nonchalantly pulling something incomprehensible out of a scene that feels so close to home at some point in each picture. Please enjoy her newest piece.