美術の旅人 Voyageur sur l'art  

「美術」との多様な出会い。見たこと、感じたこと、思ったこと。

デザイナー芹沢けい介の世界展 3月17日~6月17日  芹沢けい介美術工芸館

2015-05-18 21:08:39 | レビュー/感想
一階の奥に飾られていたアメリカや東南アジア、アフリカの仮面。この芹沢晩年の収集品が、この展示会のタイトルのようにデザイナーというステレオタイプ化された職域に括ってしまうと決して見えない、芹沢の表現の軸をすべて語っているように思える。同道した娘が「何か霊がついているようで怖い」というぐらい得体の知れない「蒼古的な」オーラが感じられる面だった。芹沢は日常的にどこにこれを飾っていたのだろうか?この収集の嗜好は、上階で展示されている幽霊が背後で舞っていそうな扇を描いた中世の図屏風から、野の長の野生の魂が入った近世のアイヌの草皮衣まで一貫している。この得体の知れないもの、畏るべきものへの欲求が、芹沢の表現の核になっている。そのスタート地点、若い時の芹沢の植物スケッチへの異様な程の入れ込みようが展示会の解説書に書かれていたが、ここにも芹沢の生涯を覆って突き動かした、表現の核、あるいは不思議さを追ってやまない魂の在り処が示唆されている。

それは、たとえそれが工芸品、着物や帯地、暖簾の意匠に変わっても、強烈に残存している。通常、近代的なデザイン表現の経路としては、往々にして、抽象化は対象の不思議さを切り落とす「頭脳化」の過程を通る。結果、デザインはこの「頭脳化」の過程を経て漂白された形態をどう配置するか、きれいなレイアウトの問題になってしまう。その結果、形は生命を失いパターンとなるのだが、芹沢の意匠は、それがない。職人とのコラボレーションで薄められているものもあるが、原初の形の生命がどれにも生きている。これは日本の伝統的なモチーフをベースに新しい表現を生み出したなどという小手先の工夫や鍛錬から生み出されるものではない。たえず自然や諸物に感応している人ならではの作為のない表現なのだ。着物の黍や芭蕉の葉の意匠は、確かにゆれてざわざわと足に触れるようだし、木の枝の意匠は、ぎりぎりまで単純化されているが、風そよぐ森林の中に入った感覚をちゃんと蘇らせてくれる。いろは文字さえ、うねうねと動く生き物のようだ。また、琉球の紅型の風景模様は、亜熱帯の強烈な日差しのもと大地も木々も家々も、もろともに揺らぎうねって今にも動き出しそうに見える。

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