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理科と社会、どちらにもつながる「天地明察」

2012年10月18日 | Weblog
学園祭シーズンが終わり、肌寒くなって参りました。
体調を崩すお子さんが増えているようです。
簡単に着脱できる上着を持たせるなど、工夫をしてくださいね。
ところで、夏から話題の「天地明察」は、もうご覧になりましたか。
過去問に追われる6年生は、今さらのんびり映画でもないでしょうけれど、まだ余裕のあるお子さんであれば、ぜひご覧いただきたい作品です。
算数・理科というと、どうしても日本は出遅れていたイメージがあり、鎖国なんかするから知識が入ってこなかったのでは~と、残念がってしまいがちですが、実はそうでもないのです。
西洋の方々が疑問を持って研究されたのと同じように、日本人も疑問を持ち、観察・研究を繰り返していました。
江戸時代も、月や星の不思議な動きにロマンを感じたようです。
その観測を趣味にしていた人は少なくありませんでした。
それだけでなく、算術という、今で言えば、算数・数学のような学問も発達していました。
その趣味を通して仲間が集まり、語り合う場も増え、西洋に負けない勢いで、学問が進んでいきました。
この映画で取り上げられたのは、主に暦です。
江戸前期に、800年もの間、ずっと人々に使われてきた暦にズレが出てきていることに気づき、正しい暦を作る動きがありました。
会津藩主が主人公である算哲に命じ、苦労の末、新しい暦を作り上げるのですが、当時、権力争いが激しかったため、昔ながらの暦を管理していた朝廷に邪魔されて、採用されませんでした。
せっかくの暦を使ってほしい算哲は、人々の前で、どちらの暦が正しいかの勝負をすることになります。
現代ほど情報が発達していない時代でしたから、人々は暦に従って生活していました。
ですから、どちらが正しいのかは、大変な問題だったのですね。
皆さんがご存知のように、暦にはイレギュラーなことが起こります。
それで右往左往していた時代ですから、それも含めての暦を準備しなければなりません。
ちなみに、日本では、明治に入ってから、長く使われていた太陰太陽暦(陰暦)から、太陽暦(グレゴリオ暦)に変更をしました。
明治の改暦ですね。
いずれにしても、今の便利な世の中は、長い年月をかけて、学者たちが作り上げてくれたものです。
文明が発達し、何もかもがスピーディーに進められる時代ですが、それでも、コツコツと細かい観察・研究を続けなければ答えの出ないものがたくさんあります。
どうぞ皆さんも、世の人々の役に立つような学問にふれてみてくださいね。

5年ほど前ですが、エリザベスは娘たちと一緒に、東京理科大学の中にある、近代科学資料館へ行き、丸一日費やして楽しんできました。
明治村に移したいほどの美しい建物で、すいこまれるように入館しました。
ちょうど企画がない時期だったせいか、人が少なく、1つ1つ丁寧に説明していただけました。
江戸時代の人々が、算術のために工夫して作ったものがたくさん展示してあり、その精巧さに感動しました。
映画にも登場する「関孝和」の偉業の数々は、筆舌に尽くしがたいものです。
中には西洋よりも早く発見(発明?)されたのではないか、と思われるものもあり、やはり鎖国には多くの犠牲がともなったことを痛感します。
決して大きくない資料館ですが、飯田橋・神楽坂方面に行かれる際には、ぜひ寄っていただきたい場所です。
東京理科大学の前身は、明治初期に、東京大学出身の22名が、「日本にもっと理学を!」という高い志で作った、「東京物理学校」です。
それだけに、展示全てが奥が深く、娘たちは時間を忘れて見入っていました。
まだまだ不便だった時代に、目を輝かせてこれだけのレベルの学問に熱中していた人々がいたのだと、想像するだけで、ワクワクしますよ。







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