中学受験で必ず勝つ!愛知県の私立中学について

受験には勝ち負けがある。
すべて運命とはいえ、出来れば勝たせたい。

夏休みの社会、歴史その4、平安時代。

2007年07月31日 | Weblog
奈良の平城京は素敵な都でしたが、徐々に仏教勢力が強くなり、朝廷を脅かすようになり、更に公地公民が崩れて私有地である荘園が増えたために、藤原氏などの貴族の勢力争いもひどくなり、国が乱れてきました。
律令政治の立て直しの目的で、794年に桓武天皇が京都の平安京に都を移しました。
京都は水陸の交通も便利で非常に条件の良い土地でした。
この先、時代は変化を続けますが、明治維新で都が東京に移るまでの1100年間、ずっと京都が都と呼ばれるようになります。
さて、律令政治の立て直しですが、どのように進められたか。
国司の不正を取り締まり、雑徭の日数を60日から30日に減らしたり、農民の兵役を取りやめにしたり。
その代わり、健児の制と呼ばれる、郡司の子弟たちによる強力な軍隊を作りました。
また東北地方で反乱をおこしていた蝦夷をおとなしくさせるために、坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命して、そちらも支配しました。
昔の人々も土地を所有したいという欲望が非常に強かったようで、有力な貴族や寺社は、たくさんの荘園を所有して、さらに、税をおさめなくてもよい不輸の権や、役人の立ち入りを認めない不入の権などという、信じられない権利まで手に入れました。
そして地方の中途半端な豪族は、そのような有力な貴族たちに荘園を寄付して、その権利だけ主張させてもらい、自分は気楽な地元の管理者となることが多くなりました。
そんなわけで有力な貴族や寺社はどんどん荘園を増やして権力を持ったのです。
公地公民はすっかりどこかへ消えてしまったようですね。
この時代にどんどん力を蓄えたのが貴族の藤原氏でした。
娘を天皇の后にして、自分は摂政や関白の地位について政治を思うがままに動かすようになり、これを摂関政治と呼びます。
その中でも全盛期は藤原道長です。
この世をば~という有名な歌もありますし、とにかく図に乗っていましたね。
その息子の藤原頼通もまだまだ勢力ある時代の人で、なんと50年間も摂政や関白の地位について政治の実権を握っていました。
阿弥陀堂をつくることが流行したため、頼通は京都の宇治に平等院鳳凰堂を建て、それは今でも本当に美しい建物ですから、是非しっかり見て下さい。
のんきな貴族文化ですから、どんどん発達します。
国風文化と呼ばれますが、この名前の通り、日本ならではの文化が育ちます。
理由は894年に菅原道真によって遣唐使が廃止され、日本特有の文化ができあがっていったからです。
まず、寝殿造りとよばれる日本風の屋敷ができ、優雅な生活をしていました。
男子は束帯、女子は十二単など、優美な衣装を身につける貴族がたくさんいました。
そして特筆すべきは、かな文字の発達です。
それまでは大陸から伝えられた漢字を使って書物が作られていましたが、かな文字が発明されてからは、日本人特有の感情を上手に表現できるようになり、それによって、ずいぶんたくさんの文学作品が世に出てきました。
日本最古の物語といわれる竹取物語、そして紫式部の源氏物語、清少納言の枕草子、紀貫之の土佐日記あたりはご存じでしょう。
絵画の発達もあり、大和絵と呼ばれるものが盛んになりました。
貴族たちは非常に優雅な生活をしており、寝殿造りのお屋敷で、和歌のよみ比べをしたり、けまりをしたり、頭がボケてしまうのでは、と思うくらいのんびりしていました。
ちなみに紫式部は、藤原道長の娘、彰子の家庭教師でもありました。
それに対抗して、清少納言は彰子のライバルである定子の家庭教師となり、違う意味で紫式部に闘志を燃やしていたようです。
平安時代は途中までは貴族のおっとりした文化が栄えて穏やかでしたが、そのうち武士が台頭してきて、少しずつ武家社会が始まろうとします。
それにともない、宗教も少しずつ変化が起こります。
平安時代は長いので、後半はまた次回といたします。

夏休みの社会、歴史その3、奈良時代。

2007年07月30日 | Weblog
710年、元明天皇の時、唐の都、長安にならって作られた中央集権国家のための都が平城京です。
大内裏を中心とした、それはきちんと計算しつくされた素敵な都でした。
産業も発達し、708年に和同開珎という貨幣もつくられました。
つい最近まではこれが一番古い貨幣と言われていましたが、1999年に奈良県で富本銭が発見され、日本で最も古い貨幣と確認されました。
しかし、当時、なんともつらいことに、伝染病が流行り、災害も多く、貴族の勢力争いに巻き込まれたり、国民はずいぶん苦しみ、国全体が落ち着かない状態でした。
仏教にすがる思いの聖武天皇は、様々な取り組みをしました。
国分寺、国分尼寺を建て、さらに総国分寺として奈良に東大寺を建てました。
743年に大仏造立の詔を出し、人々に協力を求め、10年の歳月をかけて、752年に完成させました。
行基という僧の協力のおかげで人々もずいぶん好意的に受け止めたようでした。
大仏の完成式にはインドや中国からも招待客が集まったそうです。
人々、特に農民が苦しんだ理由は、伝染病だけではありませんでした、口分田を借りても、重い税が払えず、兵役も負担になり、生活できない人が増えました。
平城京周辺では、いかにも文化的生活が始まったかのような様子ですが、実はほとんどの農民は、この時代でもまだまだ竪穴式住居に住んでいたのです。
そんな農民の苦しみを表現した最も有名なものが、万葉集の中の山上憶良の貧窮問答歌、資料集で是非チェックしておいて下さい。
口分田の貸し出しだけでは解決できないと感じた朝廷は、723年に三世一身の法を定めて様子をみました。
ただ、これも三世代たったら、結局は国に土地を返すわけで、あまり変わりがないじゃないかと不評。
次に考えたのが、743年の墾田永年私財法です。
これでようやく農民はやる気を出したわけです。
ところがこれで知恵をめぐらせた貴族や寺院は、農民を使って土地をどんどん開墾させ、私有地を増やそうとし、公地公民が崩れてゆくんですね。
この私有地が後に荘園と呼ばれます。
ところでこんなに落ち着かなくても文化はどんどん進んでいきます。
天平文化です。
これは貴族中心に栄えた仏教文化とも言えるもので、インド、ペルシア、ギリシアからシルクロードをへて唐に渡った品々がたくさんあります。
例えば五弦の琵琶やガラスのコップなどです。
天平というのは聖武天皇のときの年号であり、聖武天皇の時代に造られた校倉造りで有名な東大寺の正倉院に収められています。
修学旅行で京都や奈良へ行かれるお子さんも多いかと思われます。
是非とも東大寺、法隆寺、薬師寺など、しっかり見て頭に残しましょう。
少し時代が前後しますが、遣隋使はどうなったか。
隋が唐に代わり、小野妹子から始まった遣隋使は、630年からは犬上御田鍬で始まる遣唐使に呼び名が変わりました。
気の毒だったのは、かの有名な阿倍仲麻呂で、結局は帰国できずにずっと唐の宮廷に仕えました。
260年間20回近く送られた遣唐使も、894年には菅原道真の意見で廃しされましたが、これによって日本はずいぶんたくさんの文化や制度を大陸から学ぶことができました。
逆に唐から日本へ渡ってきた僧がいました。
これも非常に有名な鑑真です。
何度も渡航に失敗し、6回目にやっと来日できましたが、残念ながら苦労で失明しており、日本では盲目のまま仏教を広め、薬草の知識も伝えました。
奈良の唐招提寺は鑑真が建てたこれまた有名な建築物なので、必ずチェックしましょう。
受験勉強に追われる中、修学旅行どころじゃないわ、と内心ハラハラの方も、もし行き先が京都、奈良なら、せっかくなので有意義に過ごせるように、資料集などで下調べをして、少しでも社会の知識となるようにしましょう。
わずか1泊といえども、子供には最高に楽しい思い出になるようです。
その前後はしっかり学習計画を守るという約束で、メリハリをつけて修学旅行はたっぷり満喫してきてほしいものです。

夏休みの社会、歴史その2、聖徳太子と大化の改新

2007年07月28日 | Weblog
歴史その2になります。
縄文、弥生、古墳と何千年もかけてゆっくり文化が進んできました。
大和朝廷が成立すると、古墳が作られ、漢字、儒教、養蚕、機織りなどが渡来人によって伝えられ、6世紀には百済からやっと仏教が伝わりました。
そろそろ夢か現かまぼろしかという、おとぎ話のような歴史から、やや現実味のある歴史に変わってきます。
それは前回お話ししたとおり、書物がたくさん残っているからです。
6世紀から7世紀は、東アジアは少しまとまりかけた時代であります。
中国は589年に隋、618年に唐が統一して、律令が整って帝国となります。
朝鮮は、高句麗、新羅、百済の3つに分かれて争っていたものが、7世紀後半に新羅によって半島を統一されました。
日本は、豪族が争ってなかなかまとまらず、蘇我氏と物部氏が対立、6世紀末には蘇我氏が天皇とならぶほどの力を持ちました。
さてまだ混乱が続く日本に登場したのが聖徳太子です。
593年に推古天皇の摂政となったことから、たくさんの偉業をなしとげます。
有名なのは、603年の冠位十二階、604年の十七条の憲法、607年開始の遣隋使、さらに同じ607年には世界最古の木造建築と名高い奈良の法隆寺を建立します。
この時代にすでにシルクロードらしき貿易のルートがあったのかなと思わせるのは、法隆寺の回廊の柱のふくらみです。
この柱のふくらみはエンタシスと呼ばれ、ギリシャの神殿建築によく使われるものでした。
この7世紀前半の文化を飛鳥文化といいますが、聖徳太子が仏教を信仰したため、仏教の影響を受け、さらに、中国、インド、ペルシア、ギリシャなどの影響も受けて、非常に国際色豊かな文化となりました。
によっては、十七条の憲法の内容を重視して、深い理解を求める場合があります。
和を大切に、仏教をあつく信仰、天皇の命令は守るなど、現代でも大切と思われる内容がいくつか挙げられています。
資料集などでしっかり確認しておきましょう。
しばらくすると、せっかく聖徳太子が平和な世の中を築き始めたのに、大化の改新なんてものが起こります。
今、考えれば必要な改革だったのかも知れませんが、殺生というのはできれば避けたい方法ですよね。
そんなわけで蘇我氏を滅ぼしてやっと私利私欲に走らない政治が行われることになりました。
なんせ中心は、天智天皇ですから、側近の藤原鎌足や唐から帰国した留学生たちの知識を参考にして、たくさんの改革を進めました。
公地公民という感覚はここで初めておこったことだと思います。
班田収授の法で6歳以上の男女に口分田を与えました。
ここまでは賢かったのですが、やはりじっくり先のことを考える余裕がなかったのでしょうね、田畑というのは、貸した、返した、を繰り返して豊かに作物が実るほど簡単なものではありませんから、しばらくすると、亡くなったら国に口分田を返すというシステムに無理がきて、三世一身の法というものにとって代わります。
ただ、これもまた、結局は豊かな土が育った途中で国に返すことになりますから、限界がやってきます。
ま~そのあたりはもう少し先で。
天智天皇の行った改革は非常に斬新で、テキパキしていました。
その流れで天皇が代替わりしても継続され、ずいぶんきちんとしたシステムが整いました。
701年にできた大宝律令は、かなりしっかりした法律でした。
この大宝律令は文武天皇が制定したもので、編纂に大きく貢献したのが、藤原不比等であったことも頭に入れておいて下さい。
2官8省をおき、国、郡、里に分け、九州に太宰府をおく。
税制も整えました、租、庸、調、雑徭に分けて税を納める。
都の警備は衛士、北九州の警備は防人。
ただ、この間に実は身内どうしの悲しい戦いがあったのですね。
672年の壬申の乱です。
天智天皇の次の天皇の地位をめぐって、天智天皇の弟と天智天皇の息子が戦ったわけです。
いわゆる年の功というやつで、弟が勝ち、それが天武天皇となります。
ごちゃごちゃしていて、平和なんだか落ち着かないんだかよくわかりませんが、この頃の文化を白鳳文化といいます。
唐からの影響が非常に強く、代表的なものは、高松塚古墳の壁画などです。
この壁画も資料集で確認すべき重要資料です。
語り出すと、気の遠くなるような内容ですが、これがエリザベスの抜粋したほんのさわりだけです。
最低限、知っておいていただかなくてはいけないことだけ選んで書きならべていますから、優秀なお子さんはもっともっと詳しく語ってくれることでしょう。
社会の学習で大切なのは、その日の塾の授業で興味深かった内容を、帰宅してから、あるいはお迎えのクルマの中ででも、じっくりお話してもらうことです。
懐かしい知識がよみがえってきて、ご父兄も楽しいでしょうし、何より、本人にとっては効率の良い復習になります。

夏休みの社会、次は歴史について。

2007年07月27日 | Weblog
社会の中の歴史分野についてお話します。
歴史は大切であり、内容も多いので、何回かに分けます。
まずは昔で言うところの原始時代から。
ご父兄の記憶にある原始時代のお話と、今のこどもたちが学習してくる原始時代とは、少し違うかも知れません。
あたかも早稲田大学の吉村作治先生かと見まごうほどのレベルで学習しています。
おおざっぱにしかつかまれてていないはずの原始時代ですらこれですから、明治、大正、昭和、平成ときたら、どれほどの掘り下げレベルか、覚悟が必要ですね。
無土器時代、縄文時代、など、なじみのある名前にややホッとするのですが、実はたまに新聞をにぎわすことがあり、少々の変更があります。
必ず塾の先生から詳しい説明があるはずなので、気をつけて下さい。
なぜ昔のことに限って、訂正が多いのか。
それは、その時代の流れを日本人が研究しているのは、非常に遠回りな方法だからです。
時には間違いもあるというものです。
日本という国に大陸から渡来人によって漢字という形で文字が伝えられたのは、紀元後、それも古墳時代ですから、4世紀5世紀あたりにボチボチ。
それまでの長い日本の歴史は、ほとんどが中国など文字の発達が進んでいて歴史書がたくさん書かれていた国の書物をひもといて、その中の、日本について書かれた部分から想像しているわけです。
もちろん国内にたくさんの遺跡もあり、国内の様々なものの研究もされ、歴史を裏付けているわけですが、基本的にはきちんとした日本の歴史を綴ったものは、ずいぶん後になってから編纂されているのです。
かなり初期の歴史書と言われている古事記が712年、日本書紀が720年、地理書である風土記が713年ですから、書物が順調に作られ始めた時期は非常に遅いです。
それまでの日本の歴史を想像するのに使われた、よくテキストに登場するものとして、中国の書物の名前が出てきます。
漢書地理誌、後漢書東夷伝、魏志倭人伝、しっかり覚えましょう。
志賀島で発見された金印が後漢の王から送られたものとわかったのも、邪馬台国の女王、卑弥呼が30余りの国を従えていたとわかったのも、その辺の書物が非常に参考になっています。
あとは、全国で考古学者たちが日夜苦労して下さっている研究発掘の結果、少しずつふくらみをもたせることが、すなわち日本の歴史の厚みを増してくれることにつながっています。
ですから、たまに研究発掘のちょっとした勘違いから、急な変更もあるので、新聞やニュースには敏感になりましょう。
ただし、ほとんどの内容に関しては、はっきり証明されているので、今からしっかり覚えましょう。
江戸あたりからは書物が増えているせいか、覚えなければならないことがグンと増え、明治あたりは、まるでその場に居合わせたかのような内容になり、大正、昭和となれば、それこそ歴史研究家と言ってもおかしくないくらい細かく頭にいれなければなりません。
原始時代から、聖徳太子あたりまでは、ほんの準備体操くらいに考えて完璧に答えられるようにしなければいけません。
少しずつペースを上げて歴史を進めて行きます。
算数や理科の苦手単元をつぶしつつ、国語の読解力や言語事項を定着させつつ、気の遠くなる歴史もしっかり極めましょう。

夏休みの社会、とりわけ地理分野の学習について。

2007年07月25日 | Weblog
夏期講習は順調に進んでいますか?
4年生、5年生の講習はまだ数時間かも知れませんが、6年生ともなると、一日の大部分を冷房の中で過ごすことになりますね。
睡眠をしっかりとり、ビタミンもしっかりとり、疲れから病気にならないように気をつけましょう。
ところで、それぞれの進学塾によって科目も単元も違うので、おおまかな確認だけしておきます。
社会と言っても、地理分野、歴史分野、公民分野、と分かれています。
5年生ならさしずめ地理分野がメインでしょうか。
6年生はほぼ全般を網羅しなければなりません。
そんなわけで、まずは地理分野について。
当たり前のようですが、基本として県名と県庁所在地、山、川、平野、山地、山脈などの名前は完璧に覚えましょう。
これはあまり大きな変化が無いので今から覚えて大丈夫でしょう。
逆に農作物の生産地の順位など、年によってガラリと変わる可能性のあるものは、優先順位としては後のほうでいいかと思われます。
ただし、ここで難しいのは、塾によっては夏期講習の総まとめテストで、すでに生産順位を細かく出題する場合があるんですよ。
仕方ないですね~。
入試自体を考えれば秋頃に間違いないと思われる順位を頭に入れたいものですが、夏は夏で何となく頭に入れておく必要があるのかな。
塾のテキストに印刷された生産順位に変更がある場合は、社会の担当教師から必ず連絡があるはずなので、聞き逃さないように注意しましょう。
例えば、おうとうの山形県や、タマネギの北海道は圧倒的なのでまず大丈夫ですが、日本ナシの千葉県、茨城県、鳥取県や、ミカンの愛媛県、和歌山県、静岡県や、キュウリの群馬県、宮崎県、埼玉県などは、いつ順位が入れ替わってもおかしくないような接近具合ですから、あまり早い段階で必死に丸暗記するのもどうかと思われます。
工業もなかなか大切です。
日本の工業はめざましい活躍をしていますから、入試にそういった内容が出題されるのも珍しくはありません。
それに関連して、輸出輸入の貿易も非常に大切となります。
最近では、地理分野にまとめてしまいますが、地球環境問題も頭にしっかり入れておきましょう。
皆さんもちろんご承知と思いますが、土曜日夕方のNHKの週刊こどもニュースという番組は、必ず見ましょう。
どうしても塾の時間と重なるというなら録画しておきましょう。
時事問題に対してあまりかまえることなく自然に頭に入っていきますから、楽しく勉強という理想の形をとることができます。
大人ならいざ知らず、小学生にとって、時事問題を身近にとらえて記憶するのは非常に困難であり、理解するのに時間がかかることが普通ですが、この番組はこども向けでわかりやすく、上手にまとめてありますから、おススメです。
地理分野は、5年終わりから1学期にかけて歴史に取り組んでいた6年生にとっては、お久しぶりの内容で、思い出すのにしばらくかかりますが、この夏休みでしっかりよみがえらせることによって、秋からの総まとめの時期にずいぶん違いが出てくると思います。
めんどくさがらずによみがえらせて下さい。

夏期講習の中の気晴らしについて。

2007年07月23日 | Weblog
受験生には、夏休みという言葉があてはまるのかどうか。
6年生にとっては予想以上に忙しい毎日になっていることでしょう。
ただ、学校のある時期には様々な行事にも取り組み、なかなか父兄の理想とするきっちりしたスケジュール通りの学習が進まないこともありますが、夏休みはどんなペースにしろ、自分の考えた通りに進められるオーダーメイドの生活ができるので、是非とも有意義に過ごしてほしいものです。
毎日の夏期講習といえども、たまにはお休みがあります、それを上手に利用して、少しゆっくり寝かせてあげたり、少しだけ好きなテレビを見せてあげたり、少しだけ好きなプールへお友達と行かせてあげたり。
缶詰めでやらなければ弱点強化ができないという気持ちもよくわかりますが、缶詰めにしたあげくに、神経が疲れ切ってしまって、最後のテストで思ったような結果が出なかったら、子供の気持ちの逃げ場がないでしょう。
ほんの少しの気晴らしで偏差値が5も6も下がるなんてありませんから、ほどほどの楽しみは笑顔で許してあげましょう。
ただし、その加減を自分でつかむためにも、これだけ遊ぶ代わりにはこれだけ終わらせましょうね、と声かけだけはしましょう。
遊び過ぎてしまえば、間違いなく成績は下がります。
そのあたりは、自分で責任もって行動する大人に成長するいいチャンスとして使えます。
この先まだ半年以上ある受験生活を順調に過ごすための大切な心構えになるかも知れませんから、それこそ遊ぶ加減を親子で相談してチャンスとして活かして下さい。

夏期講習の間に差をつけろ、差をつけられるな、を忘れずに。

2007年07月21日 | Weblog
期待と不安の夏期講習が始まりますね。
時間を大切に使って下さい。
夏休みは長いようで本当にあっという間です。
油断すると置いてきぼりのままに終わってしまいますから、人より一歩先、一歩先に進むつもりで学習しましょう。
みんながその勢いですから、一歩先のつもりでもなかなか一歩先ではないんですよね。
私立中学受験は、以前にもお話したように、中部三県だけでも何万人もいますから、学力の幅は非常に広いです。
中にはのんびりの家庭もありますから、全体がそうとは言い切れませんが、この夏休みあたりからは、ほとんどの親子が目の色変わってきます。
特にトップ校である東区T中学を目指す男子、昭和区N学園女子部を目指す女子は、かなりの勢いで学力をつけてきます。
例年、T中学は定員400に対してほぼ900、N学園女子部は定員200に対してほぼ900が挑戦します。
倍率はT中学が2.1、N学園女子部が4.0前後となります。
単純に倍率だけ見ると、な~んだ、T中学の倍率はたいしたことないな、N学園女子部も4人に1人が合格するならたいしたことないな、と思いますが、この2校に挑戦する子供たちの偏差値はそんじょそこらの子供とはてんで違いますから、その中での戦いたるや、尋常なものではありません。
中には記念受験などと称して合格は期待せずに登場する親子もいますが、噂ほど多くはありません。
子供にとって一日かけて入試問題と戦うのは、大人が考えるよりずっと体力知力を必要とするもので、ほどほどに中学入試のわかっている人は決してふざけて参加することはないと思います。
すなわち、T中学もN学園女子部も、他の中学の入試会場とはガラリと変わったピ~ンと張りつめた空気があり、慣れない親子は圧倒されるような緊張感に押しつぶされます。
その中でその倍率をくぐりぬけることの大変さはやってみなければわかりません。
今からあまりおどしても仕方ないので、一応、心構えだけってことで。
充分おどしてしまいました、ごめんなさい。
話は戻りますが、そのランクの子供たちは先へ先へと進んでゆく性格の子供たちですから、夏休みは時間がある限りどんどんページをめくり、どんどん問題を解き、どんどん先生に質問に押しかけます。
T中学900名、N学園女子部900名、合わせて1800名は、限りなく進んでゆくのです。
それよりさらに先に進もうとすることは並大抵ではありません。
苦手単元がたくさんあればあるほど、人よりたくさん時間を作らなければならないんだと、しっかり自覚して夏休みを過ごしましょう。
1800名全員とは言いませんが、合格圏内の子供たちすなわち600名前後はすでに苦手単元などほとんど残していませんから、恐ろしい勢いで進んでゆくので、絶対に差を広げられないように、そして現在、合格圏内で踏ん張っているぞというお子さんの場合は、決して油断せず、2学期の下剋上にもしっかり耐えうるだけの学力を身につけるようにして下さい。
次回は、非常に記憶が定着しにくい社会についてお話したいと考えております。
夏休みに完璧にしても、年末には必ずかなりのパーセンテージで忘れていますから、叱らないように。
忘れて当たり前なくらい、算数や国語や理科が大変なレベルになってきますから。
ただ、先延ばしにしておくと、手遅れになってしまうので、夏休みに一度おさらいしておくのは非常に大切です。

夏期講習の間に理科の1分野を強化しましょう。

2007年07月17日 | Weblog
もう夏期講習のテキストはお手元に届いたでしょうか。
予習の必要な塾の場合は、お忙しいことと思います。
さて、科目ごとに少しだけアドバイスをしますとお話しましたので、今回は理科について。
ほとんどの進学塾では、理科は一通り終わったと思います。
たくさんの単元があり、気になるのは一つや二つではありませんよね。
バネと滑車、水溶液、電流、春の植物、脊椎動物、などなど、数え上げればキリがありません。
小学生は、大人が思っている以上に学習したことをきれいさっぱり忘れてくれます。
あんなに一生懸命に覚えた歴史の年号を、わずか一ヶ月ですっかりごちゃ混ぜにしているのは、珍しいことではありませんし。
そんな小学生に向いているパターンは、まだ入試まで半年もある夏休み、理科に関しては、記憶単元はほどほどにして、とにかく1分野の単元をパーフェクトにすることです。
1分野の単元は、問題のパターンを繰り返すことによって、解き方のカンが身に付いてきます。
2分野の記憶単元は、覚えても覚えても、年末あたりにはまた同じ苦労を繰り返さなければならないことが目に見えています。
同じ時間をかけるなら、少しでも頭にしっかり定着する可能性の高い1分野の計算問題などに取り組むべきです。
女の子は特に電流を嫌いがちですが、これを味方につければ鬼に金棒、かなりの武器になってくれます。
N学園女子部、愛知S徳中学など、高偏差値の女子校は、まんべんなくあらゆる単元から出題する傾向がありました。
来年度も必ずしも同じとは断言しませんが、やはり奇をてらった入試ではなく、確実な学力を求める入試問題こそがハイレベルな中学としてのあるべき姿だと思うので。
それぞれの志望校の過去問を2学期からはしっかり確認してみて下さい。
もし理科の入試問題に、ほとんどの単元がまんべんなく出題されているようでしたら、なかなか手強いな、と覚悟して、まんべんなく学習しましょう。
思いついたように、ポツンポツンとあちこちの単元を拾って出題しているようでしたら、まあ~それはそれで覚悟して臨んで下さい。
とにかく、夏休みに全ての科目の全ての単元を総復習することが理想ですが、もし時間的に厳しいなと思ったら、理科に関しては、記憶単元よりも、まずはパターンでマスターする計算問題系からかたづけて下さい。
一番大切なことは、科目担当の先生を信頼して、つまらないことでも真面目に質問しに行くことです。
そこでもし冷たい態度をとられたら、信頼できる他の先生に正直に相談してみましょう。
科目が違うと先生同士もなかなか関係が難しいようですが、困った時には、まずは信頼できる先生にお話してみるのが早いのでは、と思います。

平常テキストと夏期講習テキストの使い分けについて

2007年07月13日 | Weblog
そろそろ1学期も締めくくり、気持ちはすっかり夏期講習だと思います。
早い塾ですと、もう夏期講習テキストが配布されますね。
4年生、5年生は、まだ夏休みはこのテキストをしっかりやりましょうね、で大丈夫です。
6年生となると、そんなことも言っていられず、それまでに取りこぼした単元が気になって仕方がなく、夏期講習の間も、平常授業で使っていたテキストが頭から離れないのではないでしょうか。
逆にそれくらいでないといけないのですが。
終わったテキストをどんどん頭から消してゆくようでは、取りこぼしが山のように積まれるだけです。
ザルのようにこぼさないためにも、きっちり丁寧に拾ってゆきましょう。
まず、ある程度の規模の塾であれば、夏期講習に向けてのテキストが作られており、ほとんどの場合、6年生1学期までに履修した内容がてんこ盛りの圧倒されるようなもののはずです。
から特別な指定が無い限り、まずはそれをパーフェクトにしましょう。
大手K塾やM進研などのテキストに関しては、夏期講習向けに配布されるものは、非常に上手にまとめられており、まずはこれでしょうと思われる内容です。
まわりよりも一足早く夏期講習テキストがパーフェクトにできたら、そこからが差をつけるチャンスです。
夏期講習テキストで気がついた苦手な単元、あるいはそれまでに充分気がついている苦手な単元を、手持ちの山と積まれたそれまでのテキストから抜粋して、これでもかというくらいに復習して下さい。
欲張って志望校の過去問を解き始めるよりも、そちらが先です。
とにかく基本的に必要な内容をパーフェクトにしましょう。
次回から、科目ごとにエリザベスなりの提案をしていく予定ですが、まずは苦手な子の多い国語。
こればかりは非常に地道な作業ですから、時間がかかります。
それだけにこの早い時期にお話しておきます。
とにかく質の良い長文問題をできるだけたくさん解いて、また質の良い解説をたくさん読んで、わからないところは説明の上手な国語担当教師に質問することです。
何度も繰り返しますが、国語の読解力は、筋トレのようなもので、少しずつ鍛えるしかないのです。
力の5000題、自由自在、応用自在など、分厚い、見るからに頼りになりそうな参考書の中から、これ、というアドバイスがあるかなとさんざん探してみましたが、どの子供にも間違いなく向いている方法は、やはりたくさんの良質な長文問題をひたすら解いて、トレーニングすることでした。
漢字、文法などの言語事項は時間をかけてしっかり頭にたたき込みましょう。
それとは別で、普段はなかなか時間がとれなくて手がまわらなかった国語の長文問題は、せっかくの夏休みなので、わずかでも時間を見つけて、力をつけて下さい。

早いものでもう夏期講習ですね。

2007年07月10日 | Weblog
私立中学では期末試験の時期ですが、ふとふり返ると、中学受験の頃は、今ちょうど夏期講習に向けて、準備開始といったところでした。
1学期までの内容の総復習は当然ながら、そろそろ気になる志望中学の過去問など、そして、弱点強化するためのプラスアルファ。
の先生、あるいは信頼できる近くの先輩ママにしっかり相談して、一日として無駄に過ごすことのないように準備して下さい。
無駄に過ごすというのは、遊ぶな、ということではありません。
遊ぶ日、と決めたら楽しく遊んでいいです。
問題は、勉強するでもなく、遊ぶでもなく、なんとなく一日過ごしてしまった、ということにあります。
ダラダラするのが一番いけませんから、勉強すると決めた日は、思い切り勉強しましょう。
遊ぶと決めた日は、心残りないくらい思い切り遊びましょう。
ともすると冷房病になりそうな生活の受験生ですから、外で夏休みらしい空気をたくさん吸って、がんばるぞ~って走りまわるのも、たまには必要だと思います。
ただし、与えられた時間は全員同じ、上手な使い方をして下さいね。
何度も言いますが、睡眠不足は厳禁、睡眠時間は子供によって千差万別ですから、特に指定はしませんが、毎日頭がスッキリしている状態で過ごしましょう。
夏休みは学校がありませんから、だらけがちです。
などを基本にして、毎日の生活をきちんと整えましょう。
夜更かしの朝寝坊は、2学期が始まった途端に体調を崩す原因となります。
自分の体調に合わせて、多少のんびりするのは夏休みならではのリフレッシュではありますが、身体のリズムがおかしくならないように、規則正しくすることは非常に大切です。
1学期まではトップだったから、と油断すると、夏休みの過ごし方一つで、いくらでも順位が入れ替わる、まさに下剋上が始まります。
まずは夏休みが勝負です、でも、大丈夫、秋にまた勝負そして、年末に勝負最後は年明けに勝負です。
くれぐれも疲れ過ぎないように、所々、休憩を入れながら、自分のペースを大切にして、着実に力をつけて下さい。
皆さんが、6年生の夏休みは本当にいい思い出だね、と笑顔で話せるようになる日が来ることを、エリザベスは心からお祈り申し上げます。

南山大学附属小学校の説明会があり、制服が発表されましたね。

2007年07月09日 | Weblog
昨日、南山大学にて、南山大学附属小学校の入学説明会が行われましたね。
2000組を超す親子の参加で、かなりにぎわっていたそうです。
熱心なインテリジェンスあふれるご夫妻の参加が多く、ちらっと見たエリザベスも圧倒されました。
とうとう可愛らしい制服が発表されました。
黒に近い濃紺のセーラー服のように見えましたが、黄色いリボンが素敵でした。
過去問も存在しない厳しい入学試験になりそうですが、将来の日本をしょって立つ素敵な学生を育てる環境としては、なかなかいいのではないかと思います。
時々、前を通ってみますが、小学校の校舎も着々と工事が進み、可愛い新入生を迎える準備が整ってきているようです。
南山学園の中でも、男子部女子部の中学高等学校の校舎がおかれる昭和区五軒家町や隼人町は、緑の多い閑静な住宅地で、非常に恵まれた環境です。
エリザベス自身も、女子部在学中に、体育の授業でマラソンがあると、学校周辺を走らされるのですが、緑が多くて静かな邸宅が並ぶあのあたりは、素敵なお散歩コースにもなるため、あまり苦痛に感じることなく、のんびりと走ったものでした。
東から順番に、女子部、短期大学、南山教会、男子部、大学附属小学校と並ぶため、女子部と小学校はかなり離れた位置になりますが、小学校あたりももれなく素敵な住宅街で、大切な時期を過ごすのに最適な場所と言えるのではないでしょうか。

偏差値は限界まで上げましょう。甘くはありません。

2007年07月01日 | Weblog
いろいろな進学塾の広告が毎日たくさん入ります。
過熱している現実をしっかり説明してあり、中学受験がわずか12歳の子供にとってかなりハードなものであることを感じさせます。
ただ、時々、気になるのは、東海専門、南女専門、という塾、あるいはコースにもかかわらず、非常に希望を持たせるような甘いお話が体験記として載っていることです。
中には、まさかと思うような偏差値から、驚異的な快進撃で、見事に合格を勝ち取ったお子さんもいるのでしょう。
ただ、それを見て、偏差値50の子でも、もしかしたら運良く合格するのかも、などと勘違いされてしまうと、大変なことになってしまいます。
よくあるのは、この塾に移る前は、偏差値50、移ったあとはメキメキ伸びて、なんと偏差値60、見事に南女に合格しました、などと寝ぼけた体験談です。
偏差値は、模試の種類によって多少の誤差はありますが、一般的に、東海62~64,南女63~65と思われます。
またまた勘違いしないで下さい。
それはボーダーラインです。
その間にいる子たちが合格者なわけではありません。
合格者は東海なら62以上、南女なら63以上、つまりほとんどの合格者はアベレージ64~72なのです。
運の良いが、たまに偏差値59くらいで合格してしまいます、これは、当日のがんばりでいくらでも逆転できるからです。
エリザベスが統計を取り始めてから6年になりますが、トップ校である東海、南女に関しては、なんと言われても揺るぎないトップ層が集結しますから、偏差値はそれほど大きな動きがありません。
東海なら確実ラインは62以上、可能性ありゾーンは57から62です。
南女なら確実ラインは64以上、可能性ありゾーンは59から64です。
なぜ南女の方が厳しいか、それは募集人数が200名と非常に少ない上に余分合格をほとんど出さないことと、それに伴って厳しくはね上がる実質倍率が影響しています。
愛知県で中学受験をする小学生は年々増加し、昨年はもう14000名を超えました、女子がほぼ半数としたら7000名、南女はそのトップ200名にのみ合格をだします。
それは甘いことは言っていられない世界です。
確実に、と思ったら、無茶と思われるかも知れませんが、偏差値70を目指しましょう。
それでちょうどいいくらいだと思って下さい。
エリザベスが何人かの受験生を見ていて思うのは、ギリギリ不合格だった子が一番かわいそうだということです。
ダメ元で受けて、やっぱりダメだったか~なんていう場合は、子供も親もすぐに立ち直れるでしょう。
でも、是が非でも合格したいと、必死にがんばったのにあと一歩で不合格、という場合は、子供の心の傷はいかほどのものかと、エリザベスも悲しくなります。
どうせ狙うなら、できることなら確実ラインに入りましょう。
もっと言えば確実ラインでも、当日しっかり勝負する気持ちも大切にしないと、油断するとすぐに足元すくわれます。
ちなみに可能性ありゾーンには、ご存じのように、ダンゴ状態で素晴らしい人数がひしめき合っていますから、一触即発、五分五分の勝負だという覚悟をして、当日、今までで最高のできだったと言えるくらいの入試にして下さい。
はっきり言って、ここ数年の結果を見ると、南女の可能性ゾーンは59~63ですが、偏差値59の子と、偏差値63の子と、合格の可能性は同じになります。
つまりそのあたりの子たちは、当日の漢字一つ、社会の選択問題一つで、いくらでも逆転できるくらい接近したレベルであり、また、人数もゴチャゴチャにひしめきあっているということなのです。
決して偏差値63が80パーセント、偏差値59だと30パーセント、というわけではありません。
入試前のお子さんには決してかわいそうで言えない厳しい現実ですが、ご父兄だけは必ず頭に入れておいていただきたいことです。
励まして進めてゆきたい主義のエリザベスですが、これだけは、どうしてもお話しておきたかったので。
今の偏差値で落ち込まないで下さいね。
6年生は、夏休みでゴチャゴチャに入れ替わり、また秋に入れ替わり、なんと年末にもドカッと入れ替わり、入試結果を見て、またまたびっくり、という、なんとも神経の休まるヒマの無い時期です。
逆に言えば、今、ご父兄をハラハラさせているお子さんでも、夏休み、秋、年末、年明け、といくらでも逆転のチャンスがあるということです。
そのあたりからは、油断せずに努力しないと、まわりは盛り上がる一方、もしペース崩すと、復活するのに結構な月日を費やします。
くれぐれも、6年生後半は細心の注意を払って過ごして下さい。