わくわく CINEMA PARADISE 映画評論家・高澤瑛一のシネマ・エッセイ

半世紀余りの映画体験をふまえて、映画の新作や名作について硬派のエッセイをお届けいたします。

ホウ・シャオシェン初の新感覚・武侠ドラマ「黒衣の刺客」

2015-09-07 17:47:26 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 ホウ・シャオシェン(侯孝賢)監督は、1980年代に台湾ニューウェーブの代表的存在となり、「悲情城市」(89年)、「戯夢人生」(93年)などで国際的な評価を得た。彼が8年ぶりに手がけた初の武侠映画が「黒衣の刺客(しきゃく)」(9月12日公開)です。学生の頃から愛読してきたという唐代を舞台にした伝記小説がアイデアの原点だとか。ヒロインを演じるのは、「ミレニアム・マンボ」(01年)、「百年恋歌」(05年)などでホウ監督のミューズとなったスー・チー。撮影期間5年、流行のワイヤーアクションを駆使した作品ではなく、アジアの静謐な情景をバックに、ヒロインの非情さと情愛を浮きぼりにした新感覚の武侠ドラマになっています。今年の第68回カンヌ国際映画祭では監督賞を受賞した異色作です。
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 唐代の中国。13年前に女道士に預けられた隠娘(インニャン:スー・チー)が、魏博の重臣である両親のもとに戻ってくる。美しく成長した彼女は、完全な暗殺者に育て上げられていた。彼女の今回の標的は、魏博の節度使・田季安(ティエン・ジーアン:チャン・チェン)。ふたりは元許嫁だった。だが、どうしても田李安にとどめを刺せない隠娘は、暗殺者として生きてきた自分に情愛が潜んでいたことに戸惑う。そして「なぜ殺めるのか」と、その運命を問い直す。幾度となく続く戦いの中で、窮地に追い込まれた隠娘は、遣唐使船が難破したため鏡磨きをして暮らす日本人青年(妻夫木聡)に救いの手を差し伸べられる…。
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 8世紀後半の唐王朝では、辺境の外敵を防ぐため地方組織“藩鎮”を設置、その長として節度使を任命し地方の軍と財政を収めていたという。だが朝廷の支配力が揺らぐにつれて、藩鎮の離反が始まり、中でも最強の藩鎮は魏博だったという設定。そういう意味では、隠娘は王朝側というべきか。だがホウ監督は、細かい説明を省き、長回し・ロングショットを多用し、セリフも少なく、揺れるような映像で運命に翻弄される孤独な女刺客の転変をとらえる。朝廷派と藩鎮派の争いに巻き込まれ、刺客に襲われる隠娘。彼女は静かに剣をふるい、黄金の仮面をかぶった異形の刺客を迎え撃つ。そうした静と動の動きが、水墨画のような中国の絶景、京都・奈良・兵庫で撮影された寺院などを背景に、陰影鮮やかに映し出される。
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 ホウ監督は、ワイヤーアクションなどは自分のスタイルではなく、現実主義的な表現方法で武侠ドラマに挑んだという。そして「私が最も影響を受けたのは、黒澤明などに代表される日本の侍映画。彼らの作品の本質は、侍としての哲学や、そこから生まれる侍特有の行為であって、アクションそのものではない」と語る。雅な藩鎮の風俗や習慣、それとは対照的に素朴な村の暮らし。そんな中で、隠娘は、標的が大切に思う子供などを殺すことができない。クライマックス、彼女を刺客に育てた女道士は言う。「あなたの技術は完璧だが、情にもろい」と。ホウ監督流にいえば「使命と感情との間で引き裂かれるヒロイン」像だ。彼女が、日本人青年の案内で山奥の村に匿われ、殺伐とした任務を捨てるくだりが暗示的です。
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 本作のもうひとつの特色は、隠娘をはじめ登場する女性キャラの豊かさにあります。冷徹だが人間味もある女道士・嘉信(シュー・ファンイー)、慈愛豊かな隠娘の母、権謀術策に長けた田李安の正妻、罠にはめられ隠娘に救われる田李安の妾、日本の青年が故郷に残してきた妻(忽那汐里)。「女性は独特の感受性を持ち、より複雑な考え方で現実とつながっている。男性が理屈っぽくて面白味のない考え方をするのに対して、女性の感情は細やかで刺激的。自立していて、不屈で、孤独。この3つが、私が描く女性キャラの特徴」と、ホウ監督は述べる。すでに68歳、年とともに円熟味を増したホウ監督の新しい地平を拓いた作品ということができよう。ちなみに日本公開に際しては、妻夫木演じる日本人青年の回想シーンを加えたオリジナル・ディレクターズカット版が上映されるという。(★★★★+★半分)



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