わくわく CINEMA PARADISE 映画評論家・高澤瑛一のシネマ・エッセイ

半世紀余りの映画体験をふまえて、映画の新作や名作について硬派のエッセイをお届けいたします。

名匠シュレンドルフの歴史認識「シャトーブリアンからの手紙」

2014-10-29 17:39:10 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 1960年代後半から70年代にかけて、ニュー・ジャーマン・シネマという新潮流が興りました。ドイツの若い監督たちが政治・社会にコミットして、映画界に革命をもたらしたのです。フォルカー・シュレンドルフ監督はその俊英のひとりで、当時の代表作に「カタリーナ・ブルームの失われた名誉」(1975年)、「ブリキの太鼓」(1979年:カンヌ国際映画祭パルムドール受賞)などがある。70歳代半ばになるいまも活動を続け、近年は第2次世界大戦下の話を取り上げることに力を注いでいる。新作「シャトーブリアンからの手紙」(10月25日公開)も、ナチス占領下のフランスで多くの罪なき市民の命が奪われた実話の映画化です。
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 1941年10月20日、ナチス占領下のフランスでドイツ人将校が暗殺される。ヒトラーは、即座に報復として収容所のフランス人150名の銃殺を命令。過度な報復に危険を感じたパリ司令部のドイツ軍人たちは、ヒトラーの命令を回避しようとする。だが、時は刻々と過ぎ、政治犯が多く囚われているシャトーブリアン郡の収容所から人質が選ばれる。その中には、占領批判のビラを映画館で配って逮捕された17歳の少年ギィ・モケ(レオ=ポール・サルマン)がいた。映画は、事件前日の10月19日から処刑当日の22日までの4日間を描き、収容所生活や、パリ司令部や郡庁での27名の処刑者リスト作りの場面が挿入される。
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 シュレンドルフ監督は、ドイツの著名な作家・思想家のエルンスト・ユンガーの回想録と、ノーベル文学賞作家ハインリヒ・ベルの小説に着想を得て、この史実を脚本に書き上げた。そして、このふたりの作家は実名で、あるいは架空の人物として劇中に登場する。なによりも特徴的なのは、さまざまな側面から占領下の人間の善悪に迫っている点です。ギィとともに潔く命を絶たれた収容所のフランス人たち、ヒトラーの命令を回避しようとするナチス軍人の良心派、仏共産党の先走りである暗殺者たち、フランス人の対独協力者、そして政治犯の銃殺を命じられたドイツ兵の苦悩。ここには、いままで多く作られたホロコースト映画のような被害者意識ではなく、歴史のひとコマを多角的にとらえようとする視点がある。
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 また作品中には、ギィ・モケと塀を隔てた女子収容所にいる同い年の少女オデットとの淡い恋や、ギィと仲が良く釈放直前だった大学生と妻との切ない別れのシーンも登場する。ギィは、処刑の前に書いた最後の手紙によってレジスタンスの象徴となり、1946年にはパリの地下鉄駅に彼の名前がつけられた。また2007年、当時フランス大統領だったサルコジは、ギィの命日である10月22日に有名な別れの手紙を毎年全国の高校で読むように伝達し、「ナショナリズムを喚起しようとしている」と批判を浴びたという。処刑の時にギィはつぶやく。「17歳と半年。あまりにも短い人生。皆と別れるけど後悔はしない」と。彼は高等中学校の生徒だった時に仏共産主義青年同盟に入ったというが、死に臨んでの潔さには驚く。
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「人々の運命は、あたかも容赦のない機械の上に吊られた操り人形のようだ」とシュレンドルフは言う。また、最期のときのために収容所に来て、27名の人質の手紙を預かったモヨン神父は、ドイツ軍人に対して「あなたは何に従う? 命令の奴隷になるな。良心の声を聞きなさい」と説く。更に、配属されたばかりの若いドイツ兵ハインリヒ(ハインリヒ・ベルをイメージしている)は、銃殺の辞退を申し出て却下される。かつて1970年代の前衛として反体制闘争にくみしたシュレンドルフ監督は、いまヨーロッパの歴史を多様な視点から捉えなおそうとしている。真実の「歴史認識」とは、こうした真摯な姿勢にあるのではないかと思います。(★★★★)



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