わくわく CINEMA PARADISE 映画評論家・高澤瑛一のシネマ・エッセイ

半世紀余りの映画体験をふまえて、映画の新作や名作について硬派のエッセイをお届けいたします。

老いた母親の心の闇をカメラで凝視する!「抱擁」

2015-05-02 18:11:38 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 急速に進む高齢化社会。そして、老いるという逃れられない現実。人間は、老後をどう生きるべきか。それは、私たちにとって切実な問題になっています。ドキュメンタリー作家として知られる坂口香津美監督が、自らの母親に4年間カメラを向けて、こうした問題に取り組んだ作品が「抱擁」(4月25日公開)です。同監督は言います。「精神的に混乱する母親を前にして、料理を作ったり、薬を与えることしかできない、ほかは何もできないこと、無力を痛感。私自身も追い詰められて、目をそむけず、痛みから解放されるために手にした唯一のものがカメラだった。そのカメラが、私たち親子を救ったのかもしれません」と。
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 坂口すちえ(監督の実母)は、長女を病気で亡くし、夫(坂口諭)も入院、精神安定剤を手放せない日々を送っていた。息子(監督の坂口香津美)は、精神の混乱に陥った母を深く理解するためにカメラを向ける。やがて、すちえが介護ヘルパーを初めて部屋に招き入れた日から、ほどなくして夫は他界。すちえの妹マリ子は、変わり果てた姿になった姉を、このまま東京でひとりで生活させることはできないと、郷里の鹿児島県種子島に連れて帰る。太陽と海と緑の島で、姉を立ち直らせるために、妹の献身的な介護と苦闘が始まる。それは、すちえにとって38年ぶりの帰郷、すなわち“第4の人生”の幕開けとなった…。
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 錯乱し、体の痛みを訴え、わがままになり、すべてを拒絶し、寝床でのたうつ母親。そして、病院で寝たきりの父親が、やがて死を迎えるシーン。坂口監督は、母親とともに暮らしながら、彼女の老いと苦しみをカメラで見つめ続ける。それは、監督自身の闘いでもある。「(母の)その姿は哀しい。カメラを向ける私の気持ちも哀しい。母親が、この苦しみから解放されることをひたすら願い、息子として彼女から目をそらさないためにも、カメラの存在は大きいものがあった」と、監督は母にカメラを向けたことの苦悩を語る。それは、極私的な母の人生を社会化、普遍化するためだったと。これこそ究極のリアリズムといっていい。
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 やがて、母すちえは、故郷・種子島で自己の本質に回帰する。親しい身内や人々との接触、自然(花や畑仕事)とのふれあい、精神専門の医師との出会い…。そして、母は笑いと生きる力を取り戻す。姉妹で入浴する場面での屈託のない笑い、種子島宇宙センターのロケット打ち上げを見物に赴くくだり、姉妹でウミガメの仔を海に放つラスト…。母を再生させた10の行い。監督が掲げるそれらの条件とは、ひとりの信頼できる友を持つ、ペットを飼い花を育てる、人の輪の中に入り交流する、ふるさとに一度は帰る、ユーモアを忘れない、など。おかげで、現在84歳のすちえさんは、驚くほどの心身の健康と恢復を取り戻したそうだ。
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 この作品を見ながら、わが母親の晩年の姿をしきりに思い出しました。超わがままで、他人を拒絶し、花見や温泉に誘っても拒否。一緒に暮らそうという、こちらの申し出も断る。と思えば、真夜中過ぎに電話で「すぐ来てくれ!」と一方的に強制。施設からは追い出され、ついに施設御用達の病院で亡くなった。これが20年近くも続いたわけですが、そんな思いにとらわれることこそ、坂口監督の言う“テーマの普遍化”なのでしょう。それでも、すちえさんには種子島という故郷があり、献身的な妹さんがいただけ幸運だったのかもしれない。明日は我が身、身をもって坂口監督が掲げる10か条を守りたいものだ。(★★★★+★半分)


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