北の杜

ニセコ・羊蹄山麓に暮らす一級建築士の奮闘記

湯布院

2007年10月06日 | まちづくり
観光地として人気名ンバーワンの「湯布院」
建築設計事務所協会の全国大会(大分)に参加するきっかけにもなってたところで、どんなまちづくりを展開しているのか興味があった。



別府から日田往還の山道を行くルートで湯布院に向かった。
狭霧台展望台では、牛喰い絶叫大会(昭和51年から続いているようだ)の準備が行われていた。
展望台からは、田園風景が望められた。これが、湯布院か。

街は、車では移動しづらいと聞いていたので、金鱗湖の近くの駐車場に車を止めて街を歩くことにした。



小路は、人、人、人でごった返している。
お土産屋さんや屋台風のお店などがひしめいて、更に若者がいっぱい歩いている。
温泉と田園の静かな町と思っていたんだけど・・・・。
予想外の風景にビックリ。

教えてもらっていた美術館に行く。



「末田美術館」は、京都駅などを設計した原広司+アトリエ・ファイの初期の設計作品。黒い板壁の木造2階建て。昭和56年竣工の建物だけど、古さを感じさせない。ここは、アトリエ兼個人の美術館で、ご夫婦とも芸術家だそうで、屋外に展示されている作品は、建物の中から窓を額縁のようにしても見ることができる。
屋外は、写真撮影OKであった。
人でいっぱいであった街から来ると異次元空間にいるようであった。



「由布院美術館」は、象設計集団の設計。
中庭を回廊のように包み込んだ木造の美術館で、外から全体像を見るのは大変。
自然と同化しているようで、小山の中にあるドーム型の展示室は、妙に暑かった。

由布院には、この他にも随分と美術館がたくさんあるそうだ。

宿は、中心街から離れた田園地帯にある温泉宿「霧の里」。
少人数しか泊まれない小さな温泉宿であったので、ゆっくり温泉に浸かり、食事もゆっくり食べることができた。名物の「青竹酒」が美味しい。
でも、私たち夫婦以外は20代のカップルばかりで違和感を感じる。


湯布院も随分と変わってしまったんだろうと想像してしまう。
昭和の頃のまちづくりの成功から観光地化が進み、街にはありふれたお土産屋ができたりと元々の地元の人たちの思惑を超えた展開になっているんではないかと思う。


湯布院の魅力って、何なのだろう?