どーも、eとりさん”twitte-nine-r”です

ツイてないeとりさんが140文字にとらわれず、己の境遇を
つぶやきます。ニートの生き様を目に焼き付けるがいい!

前途多難だ3月17日(その3)

2009年09月10日 15時50分00秒 | Weblog
3月17日(その3)
 Y町の病院ではオカンが糖尿病を患っていることがわかっていたので食事はずっと糖尿食だったのだが、H大での初めての食事(=この日の昼食)はなぜか糖尿食ではなく普通の食事だった。救急車内で点滴をやめていたこともあり、ひさしぶりに積極的にご飯を食べるオカン。この時のメニューとなっていた焼き魚のブリをeとりさんもちょっとつまんでみたが、結構うまかった。

 しかしオカンは16:15頃あえなくゲロゲーロになってしまった。点滴はやめてたのになぁ(T T)。17:00過ぎには点滴を再開するため看護師さんが来て腕に針を刺そうとするも、腕には今までの点滴のせいで腫れている箇所が多く、また血管が細くて見えにくかったこともあって、結局看護師さんが3人も集まってテンテコマイとなった。

 17:55頃食事となったが、この時はおかゆしか食べることが出来ず、しかもまたもやその後ゲロゲーロになった。そんなところへ女医の先生が現れ、CTとMRIに関する説明をサラッとした後、検査の承諾のための署名をするよう求めてきた。この時は特に何も思わなかったんだけど、後から思えば一事が万事こんな調子で、医者の都合の良いときに患者のところへ来て一方的に話していって「署名しなさい」って感じなんだよね。うまく伝えられないけど「なんだかなぁ」って感じですよ。まぁこのへんはおいおいまた綴っていきます。ちなみにこの時は署名は後日にということにしてもらって次の日にオカンに署名させました。

 この日は18:40頃病室を後にし、義兄3号の家にご厄介になった。はぁ~~、長い1日、前途多難だ・・・。
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この日のおこづかい帳
TVカード(オカン用)@H大病院8階            ¥1000
ミニラーメンセット@H大病院レストラン(eとりさんの昼食)     ¥580
オムツ、箱ティッシュ、ペットボトルお茶@H大病院売店      ¥1543
缶コーヒー@H大病院8階                    ¥110 
高速バス代片道分(S幌→K町)              ¥1100   (つづく)
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H大病院1日目だYO!3月17日(その2)

2009年09月07日 12時28分06秒 | Weblog
3月17日(その2)
 救急車から降り運転手さんに挨拶して病院の中へ。車椅子に座ったオカンはY町から付き添ってくれた看護師さんに押されて先に病棟へ行く。eとりさんは病院の受付で入院のための手続き。手続きが終わると受付の人に「病室は8階の第二外科です」と言われる。どこの病院でも同じだと思うけど、廊下に色分けされた線が数本描かれていて、病棟へ案内する線を頼りに歩いていくと病棟へ上るためのエレベータの前に着いた。一般用が3つ、それと向かい合わせに職員や患者優先のが2つあった。当然一般用に乗って8階へ。
 
 H大病院の病棟は12階建てで、1つのフロアにはエレベータをはさんで2つの診療科(例えば外科と内科)の病室エリアが設けられている。8階は第二外科と泌尿器科。第二外科のナースステーションで病室番号を尋ね、病室へ。
←8階は上から5つめだYO!
 行くとY町の看護師さんがオカンの着替えを済ませてくれていた。これにてY町の看護師さんのお仕事終了。世話になった礼を述べてお見送り。

 さて新たにオカンの主担当となったH大の看護師さんはH館市ご出身だとおっしゃるS田さん。お歳は聞かなかったですがおそらく20代でしょう。パンツルック(←・・・って死語?(^^;)がお似合いの溌剌としたお嬢さん。S田さんからは早速いろいろとレクチャーがあった。Y町の病院では看護師さんがベッドまで来ていろいろやってくれたことがH大では基本的にセルフサービス。検温、体重測定、食事を実際に摂った量、排泄回数などは与えられた用紙に患者自らが毎日記入しなくてはならない。
←実際の3月分の記入用紙です。17日から記入してます。

 そのほか、シャワーに入るのは介護士さんの都合が合えば毎日でもOK、お茶や水はデイルームと呼ばれる広い部屋(まぁロビーみたいなところですね)に置いてある給茶機まで自ら汲みに行くこと(ちなみに紙コップなどはなく、患者が自分でコップを用意しなければならない)、とのことだった。
                      (まだまだ3月17日は終わらない、次回へ続く)
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人生初の救急車は速かったぁ~、な3月17日

2009年09月05日 16時26分00秒 | Weblog
3月17日
 3月11日にまとまった雪が降ったものの、もうほとんど解けていた今日この日、オカンはついにH大に転院することになった。eとりさんも付き添いで救急車に同乗するように言われていたので、朝8時前に荷物を持って病室へ。病室でオカンの身の回りを整理し、いよいよ救急車に乗り込む。一応カメラは持っていたのだが、のんきに救急車の中を撮影できるような空気じゃなかったので自重する。あーもったいない。eとりさんは色褪せたようなピンク色の補助席チックな小さいシートに座る。オカンは救急車備え付けのベッドに寝かされ、付き添いの看護師が点滴のチェックなどをしている。他には運転手と、助手席にもうお一方乗車。
 
 午前8:36Y町総合病院発。数分走って高速のインターに入る。救急車はサイレンを鳴らしていたけど車内ではそんなにうるさく感じなかった。「熊しか通らねぇだろ」と某議員に揶揄された北海道の高速道路は確かに走行している車が非常に少ない。救急車はいたってマイペースで走り、たまに先行する車に追いつきそうになるとサイレンの音のピッチとボリュームを変えて先行車に車線変更するよう促したりする(片側2車線の場合は救急車が追越車線を走行しているため)。救急車は約110km/hで走行していた。

 途中でオカンが「点滴の針が痛い」と看護師に訴えて点滴をやめた以外は特に何のトラブルもなくS幌市内に入る。S幌も街中はほとんど雪がなかった。街中でも救急車はサイレンを鳴らして赤信号も突っ切り(←あたりまえだな)、ノンストップでH大病院の玄関前に到着。時は午前10:56であった。たったの2時間20分で道南のY町からS幌市に着いたのだ、救急車って超速ぇぇ!でもたったの2時間20分だったけどシートが固くて固くて・・・腰とケツが・・・。                 (つづく)
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今日話して明日かよ!せわしなかった3月16日

2009年09月03日 12時21分15秒 | Weblog
3月13日
 ちょうど吐いていた時に病室に入った。今日も氷枕をしており、体温は37℃台。ここのところ毎日微熱と嘔吐が続いているようである。今まで右腕に刺していた点滴の針が今日は左腕に。今まで刺していた場所が腫れたらしく、位置を変えてもらったとのことだったが、変えてもらってもやはり痛いらしい。「ガマンする」と言っていたが・・・。夕食時は梅干1ヶを喜んで食べるもおかゆは全部食べず、他のおかずも箸をつけなかった。
 
3月14日
 夕食時に病室に入ったが、なかなか手をつけられずにいた。吐きはしなかったが吐き気を催していたようだった。梅干をおかずにどうにかおかゆを食べる。この日は朝食も昼食もそこそこ食べたらしいのだが、午後になって熱が出て、夕食はあまり食べる気がしなかったらしい。
 
3月15日
 昼過ぎに見舞いに来てくれた義兄3号とともに病室へ。熱は37.0℃とのことだったが氷枕はしておらず元気そうだった。氷枕をするしないは看護師のサジ加減のようであった。約1時間半の滞在後、帰途に着く義兄3号を駅まで送り、18:00頃再び病室へ。この時も氷枕はしていなかった。梅干をおかずにおかゆを半分以上、味噌汁は飲み干した。今日は1日中調子がよさそうで良かった。
 
3月16日
 午前中に病院から呼び出される。行くと担当のH医師から「明日H大に移れるから」とのこと。長らく願っていた転院だったが、今日言われて明日かよ!コッチはいろいろやることあるのにさぁ・・・。
 さらにH医師にオカンの病状を聞く。
 「9割がた胆管の腫瘍で、胆管や肝臓の一部を摘出せざるを得ないだろう」とのことだった。血の気の引く思い。それにしてもなぜ"9割がた"なのか?内科のI医師も言っていたが、胆管の周囲というのは図鑑などに載っている図よりも実際にはかなり複雑であり、しかも胆管自体が1cm程度の太さでしかないため、CTやMRIでも精度良く診察することが非常に難しくて、お腹を開いてみないことにははっきりとしたことはわからないらしいのだ。
 そして、
 「H大に移ってもまだ血液中のビリルビンの数値が常人の10倍常人で1、オカンはこの時点で約10)なので手術はすぐにできないと言う(この時点でのH医師の予想は「手術は2~3週間先」とのことであった)。H大への移動は救急車を出してくれるとのことだった。ここのところ続いている発熱や吐き気のことを問うと「点滴のチューブを挿しているせいだ」とのことだった。内科のI医師は肝臓の炎症のせいだとか言ってたんだけどなぁ、どっちが正しいんじゃ?どっちもか?

3月16日(その2)
 H医師との話が終わると今度は3月分の入院費用の精算のために病院事務の人とのお話し合い。病院を出る明日17日の朝までの分がまだあるから今この時点できっちりした額は出せないので、とりあえず6万あれば足りると思うから、預り証を書くので今ここで6万出してくれとおっしゃりやがった。後期高齢者は平成21年3月の時点で医療費は1割負担であるため、1か月分の入院費用はだいたい\6万台。でも3月は半月のみの入院なんだから\6万もいるのかよ!?ニートには数千円から\1万台の差額だってデカいんですYO!
 ちょっとだけ粘ったけど譲ってくれそうになかったのでしかたなく\6万を出す。後日精算したら半月しか入院しなかったのに入院費は約5万6千円。ハァ、確かに\6万で足りたんだけど・・・、半月も1ヶ月もあんまり変わんねぇな。でも4千円の差額はデカいぞ。

3月16日(その3)
 病院から自宅に戻った後は、新聞屋に電話して新聞の配達を止めてもらうようにしたり、近所に「H大に入院するのでしばらく留守にします」と挨拶したり、回覧板をパスしてもらうようにしたり、義兄3号の家に泊めてもらえるよう連絡したり、荷物をまとめたりとせわしなかった。明日は朝8時までに病院に行かねばならんし、早起きしようと思うほど寝付けないeとりさんは寝坊におびえながら床に就くのであった。(つづく)
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