どーも、eとりさん”twitte-nine-r”です

ツイてないeとりさんが140文字にとらわれず、己の境遇を
つぶやきます。ニートの生き様を目に焼き付けるがいい!

今日話して明日かよ!せわしなかった3月16日

2009年09月03日 12時21分15秒 | Weblog
3月13日
 ちょうど吐いていた時に病室に入った。今日も氷枕をしており、体温は37℃台。ここのところ毎日微熱と嘔吐が続いているようである。今まで右腕に刺していた点滴の針が今日は左腕に。今まで刺していた場所が腫れたらしく、位置を変えてもらったとのことだったが、変えてもらってもやはり痛いらしい。「ガマンする」と言っていたが・・・。夕食時は梅干1ヶを喜んで食べるもおかゆは全部食べず、他のおかずも箸をつけなかった。
 
3月14日
 夕食時に病室に入ったが、なかなか手をつけられずにいた。吐きはしなかったが吐き気を催していたようだった。梅干をおかずにどうにかおかゆを食べる。この日は朝食も昼食もそこそこ食べたらしいのだが、午後になって熱が出て、夕食はあまり食べる気がしなかったらしい。
 
3月15日
 昼過ぎに見舞いに来てくれた義兄3号とともに病室へ。熱は37.0℃とのことだったが氷枕はしておらず元気そうだった。氷枕をするしないは看護師のサジ加減のようであった。約1時間半の滞在後、帰途に着く義兄3号を駅まで送り、18:00頃再び病室へ。この時も氷枕はしていなかった。梅干をおかずにおかゆを半分以上、味噌汁は飲み干した。今日は1日中調子がよさそうで良かった。
 
3月16日
 午前中に病院から呼び出される。行くと担当のH医師から「明日H大に移れるから」とのこと。長らく願っていた転院だったが、今日言われて明日かよ!コッチはいろいろやることあるのにさぁ・・・。
 さらにH医師にオカンの病状を聞く。
 「9割がた胆管の腫瘍で、胆管や肝臓の一部を摘出せざるを得ないだろう」とのことだった。血の気の引く思い。それにしてもなぜ"9割がた"なのか?内科のI医師も言っていたが、胆管の周囲というのは図鑑などに載っている図よりも実際にはかなり複雑であり、しかも胆管自体が1cm程度の太さでしかないため、CTやMRIでも精度良く診察することが非常に難しくて、お腹を開いてみないことにははっきりとしたことはわからないらしいのだ。
 そして、
 「H大に移ってもまだ血液中のビリルビンの数値が常人の10倍常人で1、オカンはこの時点で約10)なので手術はすぐにできないと言う(この時点でのH医師の予想は「手術は2~3週間先」とのことであった)。H大への移動は救急車を出してくれるとのことだった。ここのところ続いている発熱や吐き気のことを問うと「点滴のチューブを挿しているせいだ」とのことだった。内科のI医師は肝臓の炎症のせいだとか言ってたんだけどなぁ、どっちが正しいんじゃ?どっちもか?

3月16日(その2)
 H医師との話が終わると今度は3月分の入院費用の精算のために病院事務の人とのお話し合い。病院を出る明日17日の朝までの分がまだあるから今この時点できっちりした額は出せないので、とりあえず6万あれば足りると思うから、預り証を書くので今ここで6万出してくれとおっしゃりやがった。後期高齢者は平成21年3月の時点で医療費は1割負担であるため、1か月分の入院費用はだいたい\6万台。でも3月は半月のみの入院なんだから\6万もいるのかよ!?ニートには数千円から\1万台の差額だってデカいんですYO!
 ちょっとだけ粘ったけど譲ってくれそうになかったのでしかたなく\6万を出す。後日精算したら半月しか入院しなかったのに入院費は約5万6千円。ハァ、確かに\6万で足りたんだけど・・・、半月も1ヶ月もあんまり変わんねぇな。でも4千円の差額はデカいぞ。

3月16日(その3)
 病院から自宅に戻った後は、新聞屋に電話して新聞の配達を止めてもらうようにしたり、近所に「H大に入院するのでしばらく留守にします」と挨拶したり、回覧板をパスしてもらうようにしたり、義兄3号の家に泊めてもらえるよう連絡したり、荷物をまとめたりとせわしなかった。明日は朝8時までに病院に行かねばならんし、早起きしようと思うほど寝付けないeとりさんは寝坊におびえながら床に就くのであった。(つづく)
コメント
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